足音
こつ、こつ。
足音が聞こえた。ヘルマンは、一瞬、憔悴した自分の幻聴かと思った。
伯爵亡き今、この暗い監獄で自分を救い出してくれる存在などありえない。だが。
こつ、こつ。
音は、だんだん近づいてくる。ヘルマンが顔を上げれば、カンテラの光が見えた。
こつ、こつり。
足音が止まった。
ソフィアは、明るい地上に出た。監獄までついてきてくれた看守長に、ぺこりと頭を下げる。
「おかげで取材が捗りました。 ありがとうございます、看守長さん!」
中年の看守長は、いやいや、と頭を掻いた。
「なに、こちらとしても、三年前の負い目がありますからな。貴方たちに協力するのは当然ですよ。せめてもの償いです。本当に不甲斐ない……」
恥いるような看守長。ソフィアは首を横に振り、幾分か励ますような口調で言う。
「私たちはいつでも覚悟があるので、彼もそんなに後悔してないんじゃないでしょうか。だから、思い詰めないでくださいな」
「いやしかし……」
なおも言い募ろうとする看守長は、一瞬視線を下に向けて、そのあとソフィアを真っ直ぐ見た。
「貴女は危うい。私の立場から言うのもなんですが、彼は、強大な敵ですよ」
何を言うかと思えば。ソフィアは黒い瞳を輝かせた。
「強大な敵だからこそ、ですよ」
自分に言い聞かせるように、“巨人殺し”に取り憑かれていることを、自覚しながら。
「王都通信社のモットーは、金よりも真実! ですから、敵が大きければ大きいほど燃えるんです!」
「そうでしたね……彼も、三年前にそんなことを言っていました」
「そうでしょう、そうでしょう? きっと彼は、自分のしたことに誇りをもってます。私たちは彼に餞を送りたいんです」
同じ場所でね、とは口には出さない。
看守長と別れたソフィアは、口元に笑みを浮かべながら、軽い足取りで新聞社へと帰る。
「さーてさて、仕込みはじゅーぶん。あとはしゃちょーとバカンスの準備をしなきゃ!」
どこかの青年を思い浮かべながら、彼女は不敵に笑う。
「命なんてかける方がお馬鹿なんですよ。でも、お涙頂戴っていうのは民衆に受けるのです」
これから起こることに思いを馳せて、全てのものを笑い飛ばす。
「あの厄災とも、これでおさらばです!」
クライスの言葉に心が揺らいだ翌日のこと。ジルトが学園のクラスに行けば、待ってましたとばかりにファニタが駆け寄ってきた。
「ジルトッこれっ、これ見て!」
よほど慌てているのか、ジルトの顔面にぎゅうぎゅうとなにかの紙を押し付けてくるファニタ。
「ちょ、見えない」
なにかの紙を顔から離してみれば、なんとそれは『王都通信』だった。右上には、今日の日付。そして一面は……。
「なになに? “アウグスト公爵の自作自演”?」
不穏な見出しである。ジルトはそれを読み進めた。
ーー先日処刑されたゴート・アゼラ伯爵の死は、ガウナ・アウグスト公爵に仕組まれたものである。公爵は昨年からアゼラ伯爵と密会を繰り返しており、『魔女の信徒』ともつながりがあった……
裁判の数日前には、公爵の使者が伯爵邸に乗り込み、伯爵に罪を被せる工作を行なったと思われる。その際に巻き込まれたのが、王立セント・アルバート学園の一人の生徒である。我々はその生徒から、公爵が犯罪に加担していたとの証言を得た。
「いや証言してねーわ!」
かろうじて新聞を叩きつけるのを我慢して、ジルトは叫んだ。ファニタも困ったように言う。
「私も証言してないし……ちょっと、見逃せないっていうか。なんだか、わざと的を外してるような……」
ファニタの違和感に、ジルトは頷く。
そう、この書き方は、真実を知っているのに、それをストレートに書かないで、わざと煽っているような書き方だ。もっとも、それは真実に近いジルト側だからこそ感じるのだとも言えるが……。
「いったい、何をしたいんだ、王都通信社……」
ジルトは髪をがしがし掻いた。こんなことを書いたら、公爵の目に入って、あんな小さな会社なんて潰されてしまうのに。
「くそっ」
放課後、もう一回あの新聞社に行ってみよう。ジルトは密かにそう思った。
そうして。
「あ、これ、そうじゃないやつだぁ」
上がる血飛沫と、どこか余裕そうで、だが異様な雰囲気を漂わせる彼女の、
最期の言葉を、聞いたのだった。




