絶対に負けてない
とん、とん、とん。
夜分、扉が叩かれた。ベッドで寝入っていた魔法使いは、眠い目を擦り、不機嫌そうに「誰だ?」と大声で問うた。
「俺だよ、アルバートだ」
「アルバートッ」
魔法使いは一転。歓喜の声を上げてベッドから跳ね起き、急いで玄関へと走った。扉を開けるとそこには、草色の目をした、久しぶりに見る友人が立っていた。
「アルバート、アル、お前、痩せたか? ちゃんと食ってるか?」
「もちろん、俺は英雄様だからね。王城で、たくさんご馳走を食べてるよ」
とん、と自分の胸を叩くアルバート。魔法使いには、その言葉が嘘だとわかった。
アルバートは、穏やかな目をしている。濁っていたはずの彼の目は、澄んだ目になってしまっている。皆が求める、英雄の目になっている。
魔法使いは知っていた。俺の親友は、そんなに綺麗な目をしていない。
「なあ、アル。お前、本当にローズを殺すつもりか? アイツは……」
「わかってる。俺のことが好きすぎて、こんなことをしちゃったんだよな。だったら、俺が責任を取らないと。ああ、今日はその話をしに来たんだよ」
「その話……?」
親友との語らいのはずなのに、今すぐにでも、魔法使いはドアを閉めたかった。だが、アルバートの草色の瞳は、それを許さなかった。
ゴテゴテとした鎧の隙間に差していたそれを、アルバートは引き抜いて。
「これ、返すよ。お前の心遣いはありがたいけど、ローズはたくさんの人間を、苦しみ死なせすぎた。何かに操られていたからって、許されることじゃない」
「違う、違うんだ、アル。これは……! お前が持ってなきゃいけないもので……!」
「俺はローズを殺す。それは変わらない。じゃあな、達者でやれよ親友。あんまりあこぎな商売すんじゃねーぞ」
震える両手に、かつて、聖剣だと言って渡した剣が、乗せられた。
「待ってくれ、アル。違うんだ、持っていってくれ、お願いだから、せめてこの剣で、ローズを殺してくれ」
「それはできない。それは、良心を取り戻す剣だろ? ローズが目を覚ました時、アイツはきっと、現実に耐えられない」
そう言って、英雄は、魔法使いの元から去っていった。残された魔法使いは、冷たい地面にうずくまり、顔を伏せていた。
「違うんだよ、アル……この剣は、聖剣なんかじゃないんだ。ローズは操られてなんかいなくて、本心から、お前とローズを引き離す存在を憎んで殺してる」
だから、この剣には、何にも意味がない。
アルバートには、良心を取り戻す剣だと言ったけれど、そんなのは嘘だ。魔法使いの持てる魔力を持って鋳られた剣は、今や王国を脅かす存在となったローズの命を、確実に終わらせるための、醜い剣だ。
それなのに、なぜ嘘をついたかといえば、アルバートの気持ちを、少しでも軽くしてやりたかったからだ。人を殺すという罪悪感ではなく、人を呪いから救うという大義を得てほしかった。アルバートに、親友に、辛い思いをしてほしくなかったのだ。
「いつから……」
魔法使いは呟いた。
「いつから、こうなってしまったんだ……」
思えば、魔法使いの願いは、その頃から始まっていたのかもしれない。
冷たい夜は、星がよく見える。英雄と旅をしていた頃は、よく星を見上げて、この旅が終わったらしたいことを挙げていたものだ。
「お前は、暖かい寝床も、美味い料理も、手に入れたっていうのに……」
見上げた夜空に、星は見えなかった。魔女が操る炎が地上を焼いて、空を赤々と照らしていたからだ。
ジルトの言葉を聞いたガウナは、口元を押さえて震えていた。それは、歓喜の笑みだと、リルウはすぐにわかった。
「笑わないで、不愉快だから」
リルウの怒気を孕んだ声を聞いて、箍が外れたらしい。ガウナは哄笑を響かせた。
「ぷっ、あはははは! これが笑わないでいられるかい? まさか、聖剣をスルーしてジルト君がここに来るなんて! ふ、ふふふっ、ジルト君、よっぽど僕に会いたかったんだね!」
「ある意味そうだけど、そうじゃないぞ。聖剣はちゃんと見つけたし、お前を殺すのに、あの聖剣は必要ないってだけだ」
「お兄様、聖剣を見つけたって……」
「ファニタが持ってた。今は、アントニーさん達が確保しに行ってる。地上では火事が起きそうになってて、ハルバが予知で頑張って止めようとしてる。だけど、あれって、魔術の炎みたいでさ」
嫌な予感がした。リルウは、耳を塞ぎたくなったが、それをすれば、目の前のガウナから切先を外してしまうことになる。
「魔術の炎は、魔術でしか消せないって俺は思うんだよ」
「どうしてそれを、私に言うんですか?」
頼むから、それ以上は言わないでほしい。
ーー私に、理由を与えないで。
「だってあの時、帝城でアイツの炎を破ったのは、リーちゃんの氷魔術だろ?」
「ーーッ!!」
「だから、リーちゃんだったら、王都が燃えるのを阻止できると思うんだ」
ジルトの声はどこまでも優しかった。そして、どこまでも残酷だった。
ジルトが言う通り。ガウナの炎でできた壁を破ったのは、リルウが氷魔術で作り、ラミュエルに持たせた大剣である。それは一瞬だったけれど、たしかに、彼の炎を切り裂いた。
『薔薇の魔女』の放った炎を、幸か不幸か、セレス姫の生まれ変わりである自分だけが、止められるのである。
「これだけお膳立てされておいて、地上に行かないなんてことはあるのかなあ? あははははッ、リルウ、世界を救ってきなよ! 君にしかできないことだ! あははははッ」
耳障りな声が聞こえて、リルウはこめかみに青筋を浮かべたが。
「……お兄様」
「なんだ?」
「わかりました。地上に行きます。ですが、最後に一つだけ。私がこれから争うとしたら、こんな最低な間男などではなく、ファニタだけだと、約束してください」
「? あ、ああ」
「ぜったい、ぜーったい、こんな男と心中なんかしないでくださいね! お兄様がいなくなったら、私も死にますから!」
わかっている。
こんなことを言ってる時点で、リルウはあの時のセレス姫と同じ。置いていかれる側なのだ。
名前があっても、そこには明確な格差が存在する。
けれど、ひとつのことだけは譲れない。リルウは許さない。御伽噺がなんであろうと、ジルトと結ばれるのは自分なのだ。
「絶対に、帰ってきてくださいね!」
「私は、失恋したんじゃないから」
何やら呟いている据わった目の女王陛下は、調査隊員達が集めたタバコの吸い殻ーーつまり、大規模炎魔術のスイッチを前にして、
ぱちん。
指を鳴らす。ハルバ達のいる丘に、夏だというのに寒風が吹き荒ぶ。踏み躙っても土に埋めても水をかけても消えなかったタバコの火は、最後の抵抗で、少しだけ踊った後に沈黙した。
リルウは、その吸い殻達を、綺麗な靴で踏み躙る。何度も何度も。まるで、恨みをぶつけるように。
「絶対に、絶対に、私は負けてないんだから」




