行ってらっしゃい
これだけは、言っておかねばなるまい。彼女達の友情に、罅を入れないためにも。
ジルトは、頭を掻いた。彼女と話す時、ジルトはいつも面はゆい気持ちになる。
「言っとくけど、レネは喋ってねえぞ」
「うん、知ってる」
ぶっきらぼうに言ったジルトに、彼女は優しくそう答えた。学園の中庭。奇しくもそこは、二人が初めて会った場所である。
ファニタは、校舎の壁に体を預けながら、少しだけ視線を落としていた。
「レネは私のことを思い浮かべて、貴方がそれを『左耳』で聴いたんでしょ?」
「ああ、その通りだ。便利なんだぜこれ」
『左耳』をファニタに見せようとして。しまった、とジルトは思った。彼女の思いが、奔流のように頭の中に流れ込んできたからだ。
「馬鹿じゃないの」
言葉とは裏腹に、俯き、髪の隙間からジルトのことを見たであろうファニタの声は、どこまでも穏やかだった。なぜか視線は合わせてくれない。口角の上がらない口元と、わずかに震えた声はきっと、ジルトが向き合わなければならないものだ。
「ファニタ」
「本当はね、保管するだけじゃなくて、私が聖剣を握ろうと思ってたの。そうしたら、貴方は絶対に地下に行かないでしょ? でも、それをすると、ハルバに私が聖剣を持ってるってバレてしまうから、やめたんだけど。つくづく、予知って便利なものなのね」
抑えたような話し方、だが、ファニタの心の中は、荒れ狂う嵐のようだった。ざあざあと雨が降り注ぎ、波が立つ、灰色の海のようだった。彼女は穏やかな部分だけをなんとか切り取って、ジルトに見せてくれているのだ。
自身が聖剣の呪いを負ってまで、ジルトを引き止めようとした。ジルトがそうすることを願うのと同じくらいに、ファニタはそうさせたくないと願っている。
「ねえ、ジルト。私がしたこと、忘れないでね」
「ああ、忘れないよ。ずっと憶えてる」
もう戻れない一線を超えてしまったとしても、振り向けば彼女がいる。自身の友人を巻き込み、自分も破滅の剣をとって、ジルトを止めてくれようとした、彼女がいるのだ。
ジルトは振り向いた。視線を感じたからだ。
背後では、ハルバとクレオがおとなしく二人のやりとりを見ていた。アントニーがニヤニヤしている。よし。
「……ファニタ」
「へ?」
ジルトはファニタの右手をとって、『左耳』を載せた。
「ちょっと絵面が悪いかもしれねえけど、我慢してくれよ」
その上から、自分の右手を重ね合わせる。思いのまま、ありったけをこめて、ファニタを見る。彼女はまだ俯いたままだ。それで良い。だって心では、二人ともまっすぐに向き合っている。
「もう、大丈夫」
しばらくして、ファニタがぽつりと言った。
「もう、大丈夫だから」
彼女は話し始める。レネから預かった聖剣を、どこに移動させたかを。ガウナを殺したことにして、生かすつもりだったこと。そのために、魔術の使えない地下に、決戦の場を持ってきたことを。
「私は、やることが、あるから……一緒には行けないけど……後でちゃんと行くから。だから、ね、ジルト。待っててくれる?」
それは、彼女がジルトに与えた役割だった。全てが終わった後に、ジルトがちゃんと存在できるように、ジルトが“地上”に帰ってこられるように。
「ああ。待ってる」
だからジルトは、力強く笑った。
「そうと決まったら、ほらっ」
「わっ!?」
背中をぐいぐいと押されて、ハルバ達の方に突き出される。ぱんっ、と背中を叩かれて。
「行ってらっしゃい、ジルト!」
「ああ、行ってくる!!」
遠くなる背中を見送って、ファニタは、自分の寮部屋に帰った。
ぱたんとドアを閉めて、ずるずると床に座り込む。両手で顔を覆った。
「私の馬鹿……なにが、やることがあるからよ……何にもないくせにっ……」
たくさんのことを経験して、取り繕うことが上手くなったはずだった。それなのに、ジルトの顔は見れないし、声は震えてしまった。
……無様だった。
けれど、ジルトは気付かないフリをしてくれた。
ファニタが一方的だと思っていた気持ちが、ジルトにもあると教えてくれた。
ファニタは立ち上がり、机の方に歩いていった。引き出しを開けて、アゼラ伯爵からの手紙を取り出して広げる。後悔に満ち満ちている手紙。
こんなふうに、苦しい思いをしてほしくないから、ファニタは愚かな行為に出てしまった。ガウナが地上を混乱に陥れるために紛れ込ませた聖剣を、ジルトを引き止めるのに利用してしまったのだ。
「だって、殺して欲しくなかったんだもん……」
ぽたり、ぽたりと、雫が手紙の上に落ちた。かろうじて背中は押せたけれど、まだ心の中はぐしゃぐしゃで、真っ直ぐ伸ばして綺麗にするのは難しい。
強いて言うなら、ファニタのやることはそれだ。気持ちの整理をつけること。
ジルトが帰ってきた時に、どんな顔であれ、出迎えて……いいや、
「どれだけ無様でも、私を待っててくれるジルトに、会いに行くこと」
「……降参だ」
ガウナが両手を挙げたまま、首を横に振る。
「いやはや、君とアドレナ嬢の策略は流石としか言いようがない。チェルシーの死に際の情報があったとはいえ、王宮地下の秘密を解いてしまうだなんて、僕もお手上げだよ。この通り」
「じゃあ、死んでくれるのね?」
「ああ……と、言いたいが、最後に一本吸わせてくれ」
ガウナは、自身の胸ポケットに目線を向けた。そこには箱が入っていて、
「タバコ……?」
訝しむリルウに、ガウナは、四年前よりも随分上手くなった笑みを浮かべた。
「ああ、最近ハマっているんだ。口寂しくてね。僕は今手が使えないから、リルウ。君が、咥えさせてくれないか?」




