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だらだら不本意運命奇譚  作者: 縞々タオル
最終章その3
424/446

足を止める

寂寞たる世界に、湯気がたつ。


主のいなくなった書斎にて。ケトルからマグカップへと、できるだけ雑にコーヒーを注いで、写真立ての前に置く。写真立ての中の彼が皮肉げな笑みを浮かべているのはいつものことだが、その皮肉っぽさが少し薄れているのは、ブランが彼にチェスで勝った直後だからだ。


「……」


この写真を撮影したのは、サリア……つまり、ブランの義母である。彼女のことを考えると、ブランの胸は、締め付けられたようになる。


『魔女の信徒』の一斉摘発が終わり、ひさしぶりに家に帰る時間ができた。迎えてくれたサリアは、いつものツンとした態度で歓迎してくれたが。


ブランは、昨日の夜、聞いてしまった。


『あなた』


“あなた”の正体は知っている。サリアは、この書斎で、この写真立てを前に、涙を流していたのだから。


『ブランを守って……しなせないで』 


ブランは、できなかった。 


丸められた小さな背中を摩りにいくことも。「大丈夫です」と声をかけることも。

ただ、細く開いたドアから、彼女を見ることしか。


義父(とう)さん」


サリアが出かけている最中の屋敷で、ブランは彼の前に立つ。ポケットから出したのは、共和国の副大統領から預かった赤い玉。


ブランはそれを、海に沈めるつもりでいる。これ以上の暗闇を見ないために。


……ずっと復讐がしたかった。雨の日、運河で、義父を殺したあの銀髪の青年に。義父の死に方と同じくらいにひどいことをして、殺したかった。


けれど、ブランが結局選んだのは、彼の罪を認識させることだった。認識をさせることはできた、その後が足りない。彼が選択したのは、進み続けることだった。


あの場で殺されなかったのは、彼に芽生えた良心ゆえだろう。聞くに、彼はもうあの時点で、氷の魔術を手に入れていたのだから。


胸に手をあてる。心臓を凍らせられて殺されなかったのは救いだった。また、義母の顔を見ることができたのは救いだった。あの涙を見ることができたのは、救いだった。


おかげで……ブランは、足を止めることができた。


「走りたいのさ、か」


脇目をふらずに走ったら、それは、疲れるに決まってる。ブランは、一つ頷いた。


ーーがちゃりと、ドアが開けられる。ブランは、赤い玉をそっと、ポケットの中に戻した。


「あら、ここにいたのブラン」

義母(かあ)さん」


買い物から帰っていたサリアに、ブランは顔を向ける。ブランの表情から何かを感じ取ったのか、サリアがそばに来て、写真立てを覗き込む。


「撮っておいて良かったわ。これがいちばん、良い表情してるもの」


彼女の表情は、柔らかかった。


「あの人ったら、他にあるのはあまりにも遺影に向かない写真ばかりだから。これも、貴方を養子にしたことの利点のひとつね」

「こんなことなら、たくさん写真を撮っておけばよかったです」 

「そうね。って言いたいところだけど、私はそうは思わないわ」


ブランは、サリアのその言葉に、目を瞬いた。


「なぜですか?」

「これが一番、良い表情だと思うからよ。きっとこの先、これより良い写真なんて撮れなかった。貴方がはじめてあの人を追い越した瞬間よりも良い写真なんて」


サリアは、買い物かごを床に置き、ブランのことを真っ直ぐに見て、踏み出した。


「貴方を拾ってから、利点だらけよ。ブラン。貴方は火事で深い悲しみを負ったのでしょうけれど、きっと私たちは、それと同じくらいの幸せを得たの。ありがとう。私たちのところに来てくれて。私たちの子になってくれて」

「かあ、さん……」


サリアは、ブランの体を抱き締めていた。ブランはわかっていた。


弱みを見せない彼女は、ひねくれ者の父に似てひねくれ者の母は、自分の泣き顔を見られたくないのだ。ブランを抱き締める瞬間、サリアの顔は歪んでいた。


「大丈夫ですよ、母さん」


ブランは、震える背中を抱きしめ返した。


「こちらこそ、ありがとうございます。私を拾ってくれて、貴方たちの子にしてくれて」


ある決意と共に、ブランは、


「これからは、ずうっと一緒にいますからね」


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