商会の人間
ジルトとファニタの意地の張り合いは、周囲の生徒には、少し違うように届いたらしい。
ーーなんだ?
ポケットの中にある左耳から、奇妙な声が聞こえてくる。一人一人の声を、順番にしか聞き取れないが、大半は、自分への妬みの声。
「いやいやいや」
その声の意味するところを理解して、ジルトは、ファニタと自分の会話が、周囲にどう伝わっているかどうか、初めて知った。知ってしまった。
「ファニタ、やばい、俺たちの会話」
急いで軌道修正しようとするが、
「絶対に負けないから! 私、貴方を失いたくないの!」
「ああぁ」
目の前の鈍感女子は、またしても頭の痛くなるようなことを自信満々に言って、ひらりと踵を返した。
「面白くなってきたのです。私も負けません」
ふんすと鼻息荒くして、クレオがジルトの腕に抱きつく。彼女は、この状況を理解した上でそうしたようである。もしかしたら学園に、商会の手のものが潜んでいるかもしれないと思ってのことなので、ジルトとしても振り解けない。
「ハルバぁ」
「うん。面白くなってきたな!」
助けを求めれば、唯一無二の親友は、ぐっ、とサムズアップ。
こうして、ジルトは、クレオの婚約者になり、ファニタとクレオと共に、なんだか面倒臭い関係だと周囲に思われてしまうのであった。
そして実際、商会の手のものは、潜んでいた。
「それにしても、婚約者殿というのはかわいそうな役割だな。いったいどんなお人好しを捕まえたんだか?」
ガウナはワクワクしながら、報告書を読んだ。読んで、めまいを覚えて、椅子ごと背後に倒れ込んだ。
「公爵様!?」
元の地位で呼んでくるグランテの“用心棒”の心配する声を背景に、しばらく、天井を見上げる。
ーーどうして学園に戻ってすぐ、そういうことに巻き込まれるかなあ?
いくら予知があるとはいえ、ラグル商会の娘が、自発的にジルトに会いにくるなんて。学園ではそれなりの問題児との噂がある彼に?
ーーそんなことしたら、目立つだろうに。
どうしてジルトなのだろうか。実家が乗っ取られつつあるのなら、あちらもこちらを敵と見定めているのなら、まずは教員、それから、それなりの貴族か……手は回してあるが、新聞上で活躍を認められる地位の人間に頼むことが筋というものだろう。
決して、一生徒に頼んで解決するような案件ではないのである。婚約者にするにしても、ジルトの素行を掘られたら終わりだし、それなら、もっとしっかりした家柄の生徒を婚約者にすれば良い話。
ーー見る目があるな、クレオという娘は。
そこまで考えて、ガウナは、むっくりと起き上がった。
紹介された時は、こちらを見ているのかわからない、眠たそうな目つきだった。ガウナに不審な目を一切向けないでいたから、気にする必要なしと思っていたのに。なかなかどうして、成り上がりのラグル商会の娘らしい、大胆な性格だったようだ。無関係な男子生徒を巻き込むことも厭わないとは。
ーーそこは、評価できないけれど。
もし死んだら、どうするつもりなのだろう。クレオが頼った相手がジルト以外だったら、ガウナは迷わず殺すのに。
ーーさて。
目の前のグランテの“用心棒”たちは、表ではラグル商会の用心棒ということになっている。
エリオットが、前外務大臣の葬儀で示した通り、グランテの領主の腹の中は真っ黒だ。予知という、未だに裁判にも捜査にも表立って使用されない手段で暴かれた腹を、さらに切り裂いて見てみれば、エリオットが言った以上に、グランテの領主とラグル商会は、深く繋がっているとわかった。
ブランを殺そうとしたナイフの出どころがラグル商会、というだけではない。グランテ領主は人材を、商会は武器を供与する関係だったのである。
そこに漬け込んだのがガウナなので、ここで不自然に、婚約者を殺すなと言えば、相手に勘ぐられてしまう。ガウナは、弱みを握られるわけにはいかないのである。
椅子ごと倒れておいてなんだが、まだ、挽回できるだろう。
「この、ジルトという少年が、どうかしましたか?」
一人の男がガウナに訊いてくるのを、ガウナは忌々しげな表情を作って答える。
「いや、またこの少年かと思ってね。丁度いい、彼もこの機会に殺せるなら、殺しておこう」
せっかく、『神の左耳』を使って逃げることができたのに、また飛び込んでくるなんて。
「やっぱり」
「はい?」
「なんでもないよ」
ーーやっぱり、運命っていうのは、素敵だなあ!
クソッタレとか言ってごめん。
指定されたのは、とある喫茶店だった。
「意外です。てっきり、紹介支部に連れ込んで、内内に始末するものかと思ったのですが」
案外肝が据わっているクレオは、こくこくと紅茶を飲んだ。
「まさか、こんなに人の目があるところで話をすることになるとは。都合は良いのですが、少し不気味ではあるのです」
ジルトは、同感の意を込めて頷いた。
喫茶店というと、彼を思い出す。思わず、周囲の客を見回してしまった。ついでに、ポケットに忍ばせた“左耳”を握って、彼ら一人ひとりの声を、丹念に聞いていく。彼らは、商会の手のものではないらしい。安心して、耳を離す。
「何を考えているのでしょうか、彼は。娘が彼氏を連れてきたというのに、家に通さないなんて」
「え、そこ?」
「当然なのです。私は割と、ジルト先輩を婿に迎え入れるつもりでいますから」
つ、と耳に触れてしまう。
『その方が、商会を守れますし。ジルト先輩より適任の方はいません』
聞こえてくる信頼の言葉。そうだ、彼女は最初から、
「なあ、クレオ。どうして俺のことをーー」
ジルトが尋ねようとした、その時だった。
「やあ、君が、クレオさんの婚約者かな?」
甘ったるい好青年の声が聞こえて、ジルトは、思い切り顔を顰めてしまった。
ジルトとクレオ。机を挟んで、向かい側の席に座る青年は、つい最近まで一緒に暮らしていた青年だ。
ーー少しやつれたか。
燻製を作っていたときの、目の輝きがあまりない。そんなことを思っていると、
「失礼します」
硬い声が降ってきて、ガウナの横に、見たこともない青年が座る。青年は、まっすぐ前を向いて、
「旦那様の名代で参りました、ラグル商会の、カルディアス・レアンと申します。よろしくお願いします」
ジルトは、商会の会頭が直接来ないことは知っている。だが、クレオは知らないはずだ。それなのに、驚きを顔に出すことはない。どころか、
「そうですか。よろしくお願いするのです。レアンさん。商会に、貴方のような人間がいた覚えはないのですが」
たっぷりの皮肉を効かせて、机越しに手を差し伸べたのであった。




