取り返しがつくこと
王城、客室。
ソファにゆったりと腰掛けながら、共和国副大統領レデン・アーウィッシュは、驚いて声も出ないブランに、その話をした。
しばらく放心していたブランは、口を閉じて引き結び、ぶるぶると震え出した。
「わ、私が『魔女の信徒』の一斉摘発をしているうちに……! ジルト君め、平穏な学園生活を送ってほしいと言ったのに……」
口調は乱れているが、彼は本当に、ジルトを心配しているのだ。と、
「貴方はどうして、ジルト君を見逃したんですか!」
好ましい。激昂したブランに胸ぐらを掴まれながら、レデンはそう思った。相手を本気で心配しているブランのことを、若さゆえと嘲笑うことなど、レデンにはできやしない。子供のやることをこうして見守り、包摂しようとすることを正しさだとは、レデンは思っていない。それで命を落としたら、元も子もないからだ。
レデンは、これが正しいとは、これっぽっちも思っていない。ただ、そうしたいと思ったからそうしただけだ。これは、単なるエゴである。
「……取り乱しました。すみません」
レデンの服を掴む手を離して、ブランは席に戻った。
「改めまして、今回の事件へのご協力、感謝いたします。アーウィッシュ副大統領」
「礼には及ばないよ。私がそうしたいと思ったからそうしただけだ」
「貴方がいなければ、ハルバ君は潰れていた」
頭を下げるブランの表情はわからないが、このまじめな青年のことだ。声からしてきっと、苦渋に彩られていることだろう。
「私は、彼の精神状態を見ないふりをして、彼に無理を強いてしまったのです。あのまま貴方が来なければ、彼の心は壊れていたことでしょう」
ストリ刑務官を一刻も早く逮捕しなければという気持ちが、自分を焦らせたのだと、ブランは吐露する。
「ハルバ君だけじゃない、私は、アドレナ嬢をも不安定な状況に追い込んだのです。彼らにとって、人が死ぬというのは、どんなに苦痛だったことでしょう」
「それは、君も同じだろう」
それを察している時点で、ブランも、同じ思いを抱いていたのではないか。レデンは、そう思うのだ。
「君もまた、精神をすり減らしながら、“囚人殺し”を解決しようとしていたんだ。それは、彼らもわかっていたと思うよ」
「ありがとうございます。そう言っていただけると、幸いです」
このまじめすぎる秘書官は、少しだけ頬を緩ませたが、
「私は、ジルト君を止めたいと思っています。彼はもう少し、日向に目を向けるべきだ」
「日向に目を向ける前に、暗がりを見ておきたいのかもしれないよ」
「はい。そうかもしれません。ですが、その暗がりは、見る必要がないものだと、私は思います」
「そうかもしれないね」
ブランがレデンの言葉を否定しない通り。結局、正しさなんて、二人ともわかっていないのである。
「無責任な話だが、暗がりを見たとしても、帰ってこられるかもしれない。私は彼に言ったんだ。“取り返しがつかないことをしたとしても、案外取り返せるものだ”とね」
「そんなことを……」
「実際、私は、取り返せると思っているからね。大丈夫、私は、予知で一人の少女の人生を狂わせて暗殺者に仕立て上げ、王族を処刑し、共和国を内乱に巻き込み、帝国も王国もなくそうとしたが、こうして生きているのだから」
「改めて並べ立てられると……」
「君も相当だと思うがね」
人を動かすという意味でなら。レデンは、紅茶に口をつけた。
目の前の青年は、養父を殺されてから、実に精力的に動いてきた。
内務省の再編から始まり、若手の掌握、王城における『魔女の信徒』の一斉摘発まで。
「脇目も振らずに走った経験が、君にもあるだろう。彼らも同じだ。走りたいのさ」
ならば、レデンは見守るのみだ。
「先祖は、これをいつか、返さなければいけないと思っていたそうだ」
スーツのポケットから、『神の左目』を出す。燃える帝城で、どうしても手放せなかったものだ。床に這いつくばりながら、拾ったものだ。だが、今は、手放せなかったのではないのだと言える。
自分を増長させたそれを、レデンは机の上に置いた。
「王国には、ギリア海があるだろう。これを、海に沈めてくれないか」
神が眠る海に。
ブランが目を瞬く。
「良いのですか? 共和国が繁栄するには、これが不可欠だと思われますが」
「これが要ると思うほど、私も落ちぶれていないからね」
どこかすっきりした気持ちで、レデンはそう言った。「君がどう使おうが、もう私には視えない。好きに使ってくれ」
ブランは、じっと、机の上の赤い玉を見ていた。
「私に使えるかどうかわかりません。それに私は」
少しだけ笑って。
「暗がりを見ることは、やめようと思っていますから。
よく晴れた、波の穏やかな日に、沈めに行こうと思います」
「ああ、頼むよ」
思った通り。視ることはできなくとも、レデンには、ブランがそう言うだろうことはわかっていた。
ブランが出て行った部屋で。
「良いのか? 目を手放しちゃって」
がっつり話を聞いていたユバルが、向かい側のソファに座り、
「もしかしたら、俺が王権を取り戻そうとするかもしれないぜ?」
悪どい笑みを浮かべながら、手をわきわきと動かす。レデンも負けじと、副大統領の笑みを浮かべた。
「そうされても、負けない自信があるから、アレを手放したんだよ」
「今更手放したって、ニェルハにやったことは許されないし、許さない」
この幼馴染思いの王子様は、赤い瞳に剣呑な光を宿してそう言った。
「だけど、ニェルハはどうかっていうと、許しちゃうかもしれないな。アイツ、アンタのこと好きだから」
どうしようもないな、と首を横に振る。
「きっとさ、アイツのことも、“取り返しのつくこと”なんじゃねえの?」
そう言って、ふてくされた。




