一騎討ち
とん、とん、という小さな音が、静かな教室に響き渡った。
レネ・フロワージュは、その音の発生源を見て、溜め息を吐く。
「そんなに気になるなら、見てきたらよろしいのではなくて?」
とん、とん。
「婚約者だなんて、突然すぎますわ。きっと何か、事情があるのでしょう」
とんとん、とん。“婚約者”という言葉を出した途端に、彼女が机を指で叩くスピードが速くなる。非常にわかりやすい。なおも机を叩こうとする指、その上から自分の手を重ねて、レネは彼女……ファニタに言う。
「せっかく、バルフィン様がお戻りになったのに、突然婚約者だなんて、貴方も不安でしょう。ですが、不安だからこそ、バルフィン様とお話するべきですわ」
以前、ファニタがジルトと仲違いのようなことに陥った時があった。それは、少しの間だったが……ジルトを遠ざけた時の、ファニタの憔悴ぶりときたら。まるで、心臓に直接影響が出ているかのようで、今にも死んでしまいそうな顔をしていたのである。
あのことがあってから、レネは、ファニタの恋路をいっそう応援することに決めていた。
ーーバルフィン様だって、ファニタのことは意識しているようですし。
ファニタに言えば、「アイツは朴念仁だから」など言われそうだが、レネから見ればそう思う。きっと、腹を割って話せば、突然現れた婚約者の正体とやらも、杞憂なことがわかるだろう。
ーーそれにしても。
「バルフィンの奴、アドレナさんがいながら、婚約者だと!?」
「明日、ご両親に挨拶に行くらしいぜ」
「クレオちゃん可愛いからなぁ」
問題児であるジルトと、小動物的可愛さを持つクレオの噂は、すぐに広がった。まだ、昼休みも終わっていない頃なのに。
ーーああもう、静かにしていただかないと、ファニタが余計に落ち込むじゃありませんの!
せっかく、意中の人が学園に帰ってきたのに。
「どうして、こうもこうも……」
「レネ?」
「いえ、何でもありませんわ。とにかく、バルフィン様と話してごらんなさいな。放課後、お約束しているのでしょう?」
「し、してるけど……」
ファニタは、どこか怯えているようだった。
「お二人で話して、納得できないようだったら、私にまた話してくださいな。このレネ・フロワージュ、常に貴方の味方ですから。いざとなったら、侯爵家の権力を使うことも厭いませんわ!」
胸を張って言えば、ファニタの顔には、笑みが浮かんでいた。
「ありがとう、レネ。でも、権力は使わなくても大丈夫。そうね、私、行ってくる!」
「え?」
がたん、と席を立つファニタ。
「こうなることは、わかっているんだろうけど。でも、精一杯足掻いてみるから」
青色の瞳には、様々な意志が煌めいていた。レネは、ファニタのそんな瞳が好きだ。
こうと決めたらすぐに行動する親友の背中を見送って、レネは微笑んだ。
ハルバは、ジルトのストッパーにはなり得ない。だから、ファニタにそうなってほしいと、思っていた。
「勝負よ、ジルト」
中庭から食堂に戻ってきたジルトは、眠たそうな目をしているクレオと一緒に、あんぐり口を開けていた。
ーーこの光景はわかってたけど、こんなこと言ってたんだな。
ハルバはしみじみ思う。
「勝負って?」
ジルトは半眼でファニタに訊く。ファニタは、こほんと咳払い。
「私は貴方にまた風邪をひいてほしくないの。だから、危ないところには行ってほしくない」
文脈はつながらないが、ジルトや、ハルバにはわかった。クレオは……ハテナマークを浮かべている。
ーーアドレナさんは、俺と違って、別の復讐を提示しようとしてるんだ。
ハルバは、ジルトの復讐を、そのままなぞって、最高の形で叶えてやりたいと思っている。ジルトに言われるがまま、クレオとの出会いを予知した。商会の娘だということも、すでに把握していた。
だが、ファニタは違う。ジルトに、違う復讐の形を提案しようとしている。ジルトがいなくなって、彼女は思ったのだろう。こんなに危ないことはしてほしくない、と。
だから、勝負なのだ。
「前言撤回するようで悪いけど、私は、貴方のことを止めてみせる。貴方のことを、繋ぎ止めてみせるから!」
予知対予測、ふたたび。
不謹慎な話だが、自分の予知が、どの程度ファニタに通用するか。試してみたい気持ちが、ハルバにはあった。
「いいぜ、止めてみせろよ。俺はもう、決めたから」
食堂が、にわかに騒がしくなる。
どうして騒がしくなったかといえば、
「うるさっ」
『神の左耳』を持っていなくてもわかっただろう。いや、ジルトは、わかっているのだろうか。
「これ、実質アドレナさんと後輩ちゃんの一騎打ちなんじゃね?」
「どうする? 賭ける?」
賭けるな。
ハルバは賭けの話をしている生徒をぎろりと睨んだ。
だが、紛らわしい言い方をした二人は、不気味に笑って、がっちり握手を交わしている。
「一年の頃の再来ってやつか」
「懐かしいわね……」
そんな二人を見て、小動物な後輩は、目を細めた。
「仲が良いのです。羨ましい限り」
「いや、君も当事者になってるからね?」
ハルバの頬は引き攣っていた。




