『神の左耳』
元気いっぱいな死者は、「ところで」と言って、キョロキョロと辺りを見回す。
「ここって、ジルトと一緒に暮らしてる家だよね? へぇ〜いいとこ住んでるんだね〜」
「……」
嫌な予感がして、ガウナは舌打ちすることもできなかった。彼女が運命を捻じ曲げて、“殺された”ことを知れたのは僥倖。だが、その確認にこの家を選んだのは、完全に失策である。
ーーというか、それをわかっていて死んだ? 僕がこの家で、チェルシーの死を確認することを踏まえて……。
だとしたら、狂っている。この五分間のために、全てを賭けるなんて。
嫌な笑いを浮かべて、警邏官の中にいるチェルシーは、ガウナの横をすり抜けようとした。そう、だから燃やせない。この家で死体を出すと、処理に困るし、何より、あの子に汚いものを見せたくない。
「だからといって、会わせるわけないだろ!」
こうなったら物理である。とびついて止めようとしたら、華麗に床に投げられた……まずい。
「こーんな鍛えてる警邏官に、魔剣頼りの君が勝てるわけないじゃん」
へっ、と上から笑われて、ガウナは床に這いつくばりながら、盛大に顔を歪めた。もっと平凡素材を使えばよかった!
だが、困ったことに、ブランがまとめ上げた警邏官は優秀だ。誰を使っても投げられる未来が見える。それに、こうやって物音を立てるのは良くない。こんなことしてたら、
がちゃり。
その音を聞いて、ガウナは固まった。
ドアノブが回って、客室に、彼が顔を出す。
「……何をドタドタやってるんだ、わっ!?」
さすがは身体能力抜群の警邏官の体である。驚くべき瞬発力で、チェルシーはジルトに抱きついた。
「私が一番乗りッ! 会いたかったよジルトッ!!」
「チェルシー?」
ーーふぅん、すぐにわかるんだ。
ガウナは、最近ついぞ感じていなかった感覚を覚えた。心臓に鉛が流しこまれている。心に黒く粘ついて、ドロドロしたものが注ぎ込まれている。
反対に、チェルシーはものすごく嬉しそうだった。それはそうだ、一発で、自分の正体を当てられたんだから。
それが良いことであれ、悪いことであれ。
「なんで、なんで別のやつの体にいるんだよ、それじゃまるで」
「うん、死んじゃったッ!」
抱きしめられながら、へなへなと座り込むジルト。
自分の価値をわかっていない無邪気な少女は、へらへらと笑って「ごめんね」とあまりにも軽い謝罪をした。灰色の髪を撫でながら、
「でも、伝えたいことがあったから」
ーーダメだ。
彼女から告げられる言葉は、決定的なものだ。ガウナは指を鳴らして、仕方なく、警邏官ごとチェルシーを燃やそうとする。
が、それも、チェルシーの作った結界に阻まれた。
「『邪魔をするな、ローズ』」
それは確かに、彼の言葉で。ガウナの中にいる魔女は、憤りに震えた。それを言った自覚は無いのだろう、チェルシーは、なぜかガウナのことを見て、それからジルトのことを見て、意を決したように言う。というか、責任放棄したように見える。
「『神の左耳』を手に入れて。そうすれば貴方は、あの性悪男から逃げられるよ」
「神の左耳って、師匠が、持ってた……」
「そう。えーと、場所は……まあ、いずれわかるよ!!」
ばんっ! とジルトの肩を叩いて、チェルシーは微笑んだ。
「頑張ってねジルト。ほんとはキスしたいけど、これって私の体じゃないからやめとくね! じゃあねーー愛してるよ」
そう言って、警邏官の体はぐらりと傾いた。制服の上に、ぽたぽたと涙がこぼれ落ちる。
「チェルシー、チェルシー」
わかっているはずだ。ジルトも。自分が揺さぶっている警邏官は、もう、彼女ではない。
ーー所詮は死者だ。
暗い優越感が、ガウナの胸に張り付いた鉛を、べりべりと剥がしていく。それは、血を伴う、とても痛々しいものであったが、ガウナは別に、それでよかった。
ーー生きてる僕の方が、ずっと有利だ。
五分しか顕現できない死者なんて、取るに足りない存在だ。
チェルシーだったものに縋るジルトを引き離して、ガウナは強引に抱きしめた。
「ひとり、死んじゃったね?」
「……っ」
「彼女がどうやって死んだかわかるかい? 彼女はね、暗闇で死んだんだ。誰に助けられることもなく、ひとりぼっちで。なんにも見えない、感じることもない暗闇で、滅多刺しにされた体を引きずって、死んでしまったんだ。今も彼女の死体は、そこにあるだろうね。誰かに見つけられることを、待ってるんだろうね」
「……」
「君が、『神の左耳』を欲したら、僕はアントニーを殺す。チェルシーの比じゃない、惨たらしい殺し方をする。生きながら火炙りにして、意識を残したまま、生まれてきたことを後悔させてやる。君に出会ったことを後悔させてやる」
安い脅しだった。けれど、今のジルトには、この上ない、この、下がない脅しだった。
「なんてね」
これは、脅しではない。決まった未来だ。
ガウナの幸せな生活を脅かす奴は、すべからく死者にすべきである。目の前の少年の心を揺り動かすものは、ガウナを人たらしめる“良心”を奪おうとする奴は、残らず燃やす所存だ。
魔女の人生は引き算だ。英雄以外は何もいらない。
「じゃあ、朝ごはんでも食べようか」
ジルトの手を引いて、ガウナは「結局こうなっちゃったな」と心の中で思った。燻製を作っている時のジルトは、もう二度と見ることができないだろう。ましてや、心からの笑顔なんて、諦めた方が良い。
だが、それで良い。
欲をかけば滅ぶことを、古今東西の物語は示している。だから、ガウナは欲をかかない。笑顔を見たいだとか、自分に好意を向けて欲しいだとかは、捨てた方が良いだろう。
ーーそうだ、僕の望みは、




