殺し返してやったよ
捻れていた輪が、ただの一つの輪になって。
聞こえたのは、男の声や、女の声だった。男の声の方が、一際大きく聞こえたが、雑音が邪魔してうまく聞こえない。
ぺたぺたと、さっきまであった土の壁を探して、何もない空間を歩く。けれど、土の壁は見つからない。参ったな、これじゃ、帰れない。
もしかして、帰り方を教えてくれるのではと、聞こえてくる声に耳を澄ます。男の声は、なぜかしんと静まって、代わりに女の声が聞こえた。
不思議と、一人一人の名前がわかった。ティーリ、セシリア、アイラにダリア。皆一様に、「かわいそうに」「私よりもかわいそう」と、失礼なことを言ってくる。
近くで声が聞こえるようになったから、その人たちは、自分のそばに近づいてきたのではないかと、壁の代わりにその人たちをぺたぺたと触ろうとする。けれど、何もない。影なんてものがあればいいが、ここは深い深い地下の暗闇。
「私は行かなきゃいけないんだ。だからさ、手伝ってよ」
この、ずうっと続きそうな暗闇から。頭がおかしくなってしまいそうな暗闇から、早く出ていかないと。
「早くあのお姫様の機嫌を直さないと、王都の経済はめちゃくちゃだよ」
けれど。
最初はあった土の感触が、朽ちた何かの感触が、足裏に伝わってこないのだ。どころか、靴も履いていないように思えた。
「うーん、感覚がない」
足裏を触りながら、「血を流しすぎたからかな」と呟く。でも、手の震えや、足の震えは何もない。現に自分は、歩くことができている。地上に出ようという意思のもと、両の足を動かしている。それこそ、怪我をしているとは思えないくらいに、体が軽いのだ。まるで、飛ぼうと思えば飛べるくらいに。
試しにとんっ、と地面なのか怪しい地面を蹴って、飛んでみる。飛べたと思うが、そこは暗闇だ。自分は、飛べたのだろうか?
「落ち着け、遭難したら動かないのが鉄板だって、なんかの本に書いてあった」
一瞬で地面に戻って、そこに座り込む。
そうして、彼女は、自分が歩き続けた理由を知った。
「私、迷ってるんだ」
膝を丸めて、彼みたいに、俯いた。
足を止めてしまえば、自分に足なんかないように思えた。どころか、自分というものさえ、あやふやな靄みたいなものに思えて。
しゃくりあげる彼女に、「かわいそう」と言っていた女たちの声は遠ざかり、かわりに。
……誰もいない、いるはずのない空間に、一人の男が立っていた。
珊瑚色の髪に、あの男と同じ、深海のような瞳。気の弱そうなその男は、不思議な輝きを放っていたから、暗闇でも見つけることができた。
『……ごめん』
何に謝っているのかわからない。男は屈み込み、頭を撫でてくれた。感覚こそ伝わってこなかったけれど、たぶん、撫でてくれたのだ。
『結局、俺は、お前を守ることができなかった。どころか、これまでの魂で、いちばん惨い終わり方をさせてしまった……』
終わり方。そう聞いた途端、目から涙がこぼれた。
頭を引き寄せられる。透明な雫が、ぽたぽた落ちてくる。涙だとわかるのは、ここが、視覚とか、触覚とかで説明できない空間だからだ。
男は、引き寄せた頭の上で、震える声で言った。
『ごめん、ごめんな、チェルシー……無能な先祖だ、お前を死なせてしまった』
「いいよ、泣かないで」
かわいそうなご先祖さまだ。魂が、自分の存在を忘れて消えていく中で、存在感が大きすぎるから、罪と一緒に生きている。
さっきから聞こえる女の声は、たぶん、チェルシーに向けられたものと、このご先祖さまに向けられたものだ。消えることのできないご先祖さまは、この先いくつもの魂を見送るのだろう。そうして、自分がかわいそうと思っている魂にすがりついて、泣くのである。
「泣くんなら、自分が殺させた家の人たちに向かって泣こうよ」
『うっ、痛いとこついてくるな』
「お互い様だよ。私も結構、人殺してたし」
ラテラや、ジルトに会うまで荒んでいたし。
ご先祖さまの抱擁から逃れて、チェルシーは、ぐるりとあたりを見回した。
「そうか、これが、死後の世界ってやつ? なんっにもないんだね」
『……そうだ、お前は、ここでずっと、暮らさなければならない。だからせめてもの償いとして、俺が現れたんだ』
またご先祖様の顔が曇って、チェルシーは苦笑いした。
「気を落とさないでよ、ご先祖さま。最後の最後に、貴方の声を聞こうとしなかったのは、私なんだから」
『……どうして、聞いてくれなかったんだ』
「それを聞いたら、私は私じゃなくなるから。だからほら、私、貴方と同じ死に方をしなかった」
立ち上がり、チェルシーは胸を張り、にぃっと笑う。
「アイツを、道連れにしてやった!!」
ぱちん。
心底嫌そうな顔をするガウナに向かって、チェルシーは両手でピースを作る。
「やあやあ、元公爵にして宰相さん! 私の活躍は目にしてくれた!?」
置いてある新聞をめざとく見つけてひったくり、目を通して、
「ぷっ、くくく……」
一つは、自分が行方不明になったという記事。もう一つは、とある警邏官の失踪の記事。
その反応を見て、ガウナは舌打ち。柄が悪い。
「死者のくせに」
「基本好感度が高くないと情報がもらえない魔術で、情報をもらおうとする態度かな? それが。そんなんだから、ジルトにいつまでたっても心を開いてもらえないんだよ」
「言ってろよ、僕は生きてるからなんとでもできるんだよ。君と違ってね」
「死者にマウントとって虚しくない?」
「虚しくない。じゃあ、答えてくれるかい、チェルシー・ディーチェル。フランド警邏官に、君はちゃんと殺されてくれたのか」
「もちろん」
くすりと笑って、チェルシーは、ぱちんと指を鳴らした。ガウナもわかっていたのだろう、同じように指を鳴らして、互いの結界は消滅。
精一杯の侮蔑を込めて、チェルシーは嗤った。
「殺されたけど、殺し返してやったよ?」
最終章その1おしまいです。次はその2。ありがとうございました。




