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だらだら不本意運命奇譚  作者: 縞々タオル
最終章その1
396/446

存在証明と資金源

何も見たくない。聞きたくないのに、ここから出ることができない。


「俺は関係ないのに。俺は、アルバートじゃないのに」


絞り出した言葉は、無力な自分を決定づける言葉だった。そもそも、自分というものは、まだ、ジルトの中にあるのだろうか。


今のジルトは、アルバートの魂という海の中に放り込まれて、なんとか助かろうと、手だけを突き出している状態だ。時化(しけ)った海の中で、ジルトは海の藻屑と化すのを、待つしかない。自分というものがなくなって、肉塊になって骨になって、また……産まれ直すのを。


外務大臣の葬儀の時、牧師は、死ははじまりだと言っていた。死からアルバートがはじまって、死でアルバートが終わって。所詮ジルトは、器でしかない。アルバートという巡る運命を受け止める、ひとつの器に過ぎないのだ。


耳を塞いでも、心の声を塞ぐことはできない。認めてしまえ、お前はアルバートだと。


目を瞑って、耳を塞いでいるのに、どこにも逃げ場がない。


そ、っと耳を塞ぐ手を握られる。顔を上げれば、藍色の瞳と目があった。彼女とは程遠く、むしろ対極にあると言える色の彼と。


「君は、ジルト・バルフィンだ」


ゆっくりと、肯定の言葉が紡がれる。少しだけ息が楽になって、ジルトは目を見開く。


「アルバート・ドーガーでも、他の誰でもない。僕の良心だよ」


目を背けたくなるくらいに、柔らかで、温かい笑み。向けられる優しさに、ジルトの心は恐怖で震えた。


他ならぬ、ジルトをアルバートと認めて、繋ぎ止めるこの男に。ジルトと同じはずなのに、まるで海に溺れていない。どころか、ローズさえ呑もうとするこの男に、アルバートは恐怖を覚えている。


「アルバートに呑まれないで、ジルト。確かに君は、アルバートの生まれ変わりかもしれない。だけど、それ以前に、僕の良心でもあるんだ……余計なことはするなよ、アルバート。僕の良心を殺したら、僕がローズを殺す」


違う。


ローズだけではない、アルバートさえ、ローズを人質にして、呑もうとしているのだ。 


感じるのは、圧倒的な個。ローズ・クリエという人間を殺し、それ以前の魂と以後の魂を殺し。その屍の上に、ガウナ・アウグストは立っている。


自分を自分だと認識し、かといって、ローズを完全に殺すことはない。彼女の存在を認めた上で、利用しているのである。


アルバートが、ローズを殺されることに恐怖する。自我が戻ってきて、ジルトはジルトを取り戻した。 


「おかえり」

「……」


本当は、こんな空間に閉じ込められていなくてもわかるのだ。

アルバートではなく、ジルトを、“良心”として認識してくれるこの男こそが、ジルトをジルトのままでいさせてくれる存在なのだと。


同じ立場で、強い自我に飲み込まれそうな不安を抱えている、ジルトの一番の理解者。それが、ガウナ・アウグストだ。


ジルトのために屈んでいた彼は、すっと立ち上がった。


「おいで、紅茶を淹れよう」




温められたカップに、紅茶が注がれる。


今のジルトは、液面を見て、ローズと同じ瞳の色だと思うことはない。そのことにほっとして、カップに口をつける。


「美味い」

「それは良かった」


何事もなかったかのように、こうやって会話していることを、ジルトは不思議に思った。と、同時に。


「こんな高級そうな茶葉を使って、お前、金はどうしてるんだ」

「僕は元宰相だよ?」

「銀行は使えないんじゃないのか」


なにせ、彼は裁判所の出廷命令が出ている身であり、そしてそれを無視している。口座の差し押さえは、当然されているだろうから、使える金は限られてくるはず。


「資金源があるからね」


そう言って、ガウナもまた、紅茶を飲んで微笑んだ。


「資金源?」

「そう。だから君は、何も心配しなくて良い。たいていのわがままなら通るから。あ、でも金製品が欲しいと言われたら、あっという間に破産してしまうかも」 


茶目っ気たっぷりに、ガウナはそう言ったのであった。






そう。ガウナ・アウグストとしての口座は差し押さえられているが、他はそうとも言えないのである。


王都は、この四年間、人の救済を旨としてきた。それは金融制度にも及び、誰しもが、紙切れ一枚に署名をするだけで、簡単に口座を持つことができるのである。 


だからたとえば、ストリ刑務官が偽名を使って登録した口座から、ガウナが偽名を使って登録した口座に金が流れることもあるわけだ。さらに言えば、そのストリ刑務官に金を流している者がいる可能性もある。


現在、その金の流れを財務省で追おうとしているが、立場のあやふやな人間は王都にたくさんいすぎて、追いきれない状態だ。 


いっそ派手に金を引き出してくれればいいものを、ガウナは少額ずつ引き出しているようで、たまにヒットするのは関係ない犯罪者だったりする。


「元宰相がみみっちいことしてんじゃないですよ!!」


ばんっ! と机を叩いて、財務省事務次官、ダニエル・グラスは思わず叫んだ。叫んで、天井に顔を向けて、腕を広げる。


「もっとこう、ばーっと! 引き出してくれたらわかりやすいのに!」

「アウグスト元宰相は、意外と吝嗇家(りんしょくか)だからねぇ」


穏やかに言うマルクス財務大臣は、異動による給金の計算の確認を終えて、今はダニエルの仕事を手伝ってくれている。それを、苦虫を噛み潰したような顔をして見るダニエル。


「申し訳ありません、大臣。ご子息のことを心配する時間すら、取り上げてしまって……」


先日、マルクス財務大臣の子息が襲撃され、そしてその襲撃者が殺された。大臣としても、仕事は休んで、子息のそばにいたいところだろうに。


すると、大臣は眉を下げて、


「仕事に行けと言われてしまったよ。俺のことは心配しなくていいからと」

「それは、頼もしいご子息ですね」


一時期、ロクな噂しかなかったあの放蕩息子が、そんなことを言うようになるとは。ダニエルは密かに感慨を覚えた。


「それに」


とんとん、と書類を合わせながら、マルクス財務大臣は、強い意志を秘めた瞳で言った。


「資金源を断つことが、事件解決の、一番の近道だからね」

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