ガウナ君の燻製道
新聞は、彼に残された、唯一の外とのつながりだ。
定位置に座りながら、ジルトはガウナの置いていった新聞を広げている。それを、ガウナは外の窓から少し離れた場所で観察した。
自分の目の前では、だいたい寝てるか無表情かなので、起きて少し感情を出している彼を見ることができるのは、悲しいかな、ガウナが目の前にいない時なのである。
わざと目の前で新聞を読みあげて興味をひいて、後で新聞を読むように仕向けている。だいたいどの面に何が書いてあるか把握しておいて、ジルトの反応と照らし合わせている。
リルウのことが書いてあるページには、少しの笑みを浮かべて、ストリによる拘置所の殺人には、渋面を作って。小さく載った探し人の欄にある自分の名前を見ては、影を作る。
最初は、外とのつながりを作るべきか迷ったが、そうしてよかったと思った。おかげで、ジルトはまだ希望を失わずに済んでいる。日に日に昏くなっていく草色の瞳も、また綺麗だと思うが、やはり、良心には笑みを忘れないでほしい。
だからといって、希望を持って脱走されるのも困るので、毎日毎日、魔女の言葉で愛を囁いてつなぎ止めている。前世というのは本当に便利だ。どさくさに紛れて抱き締めても、柔らかな笑みで許して、あまつさえ抱き締め返してくれる。
それは、ガウナとジルトではなく、ローズとアルバートの逢瀬なのだろうが……まあいい、亡霊どもの逢瀬でも、使えるものは使ってやる。
呪いが絆になるのなら、ガウナはいくらでも、ジルトに呪いをかけてやる。
ーー差し当たって、邪魔なのは。
炎魔術はとにかく便利だ。自分で火加減を調節できるので、料理で大活躍である。
人を焼くこと、または照明代わりにしか使っていなかったそれを、こうして使うことに感慨を覚えながら、ガウナは、明日の朝食にする燻製を作っていた。燻製というと、前は作る気もしなかったが、こうして炎魔術を再び操れるようになると、俄然作る気が湧いてくる。
最初は氷魔術で食糧を保存していたが、保存が効く燻製に目覚めてからは、やたらと燻製を作るようになった。一部のことを除いて、ガウナは熱しやすく冷めやすい。王立図書館で、偽名を使って本を借りて、燻製のやり方を学んだ。そこからは、どんどん坂を転がり落ちていった。
最初はチップを買って、恐る恐るチーズを燻製にした。次に、ジルトが好きな魚。それから肉。卵も美味かった。
山に行って木の枝を拾ってきて、それを炎魔術で天日干しに近い状態にする。太陽の光でじっくり乾かすのと、炎で一瞬にして乾かすのはやはり違うが、自分は薔薇の魔女である。すぐにコツを掴み、脳内で響く“そんなことに使うな”という不満の声を封じて、ガウナは自家製チップを作ることに成功した。
「魔術は人を幸せにするんだなあ」
ということを呟きながら、網に二人分の川魚を乗せ、蓋をし、炎魔術で器の底を温める。しばらくして、ガウナの背後に、人の気配がした。
見上げると、実に嫌そうな顔をしたジルトが、そこに立っていた。何かを言いたそうにしている。何かは察しているが、ガウナはジルトの口からそれを聞きたいので黙っている。
「……臭い」
「ごめんごめん」
燻製を作る理由の中に、この一連のやりとりも入っている。苦情を聞く、というか、このコミュニケーション目当てで、ガウナは燻製を作っているのである。
いつもなら、そう言ってすぐに引き返していくのだが、ジルトは鼻をすんと鳴らした。
「今日は何を燻してるんだ?」
敬語がなくなったのは前進だ。誰がなんと言おうと、前進なのである。
「川魚が手に入ったから、それをね。売ってくれた人の話だと、パンにつけてもよし、パスタと絡めても良し、らしいよ」
「……ふぅん」
多少興味を惹かれたのか、ジルトはガウナの横に立って、煙を立てる燻製鍋を見ていた。
ーーやはり、食!
ガウナは目を開いた。やはり、餌付けしかない!
至極失礼なことを考えながら、ガウナは興奮のあまり強まってしまった火力を調整した。
「や、野菜を燻製にしても美味しいらしいよ。今度やってみようか!」
「……」
返事こそなかったが、ジルトが喉を鳴らす音が聞こえた。ガウナは拳を握った。どんな演説の時よりも緊張した。
ここぞとばかりに、話題を広げようと頭の中の引き出しをひっくり返し……
「人を燻製にしたらどんな臭いがするんだろうね!」
「お前はもうそれに近いことをやってるだろ」
やってしまった。ジルトの表情は途端に暗くなり、向こうへ帰っていってしまった。
「さ、さすがに今のはデリカシー無さすぎたかな。でもあれは燻製というより直火焼きだし……」
ずるずると座り込みながら、ガウナは先ほどの会話の反省点を考えた。もっと気の利いたことが言えたら、もう少し会話は続いていたのだろうか。
「僕が過去にやったことと絡めなかったら、もっと行けたのかな……」
しゅんしゅん、しゅん……鍋の炎は一気に小さくなり、ガウナは慌てて火力を強くした。気を取り直して。
「差し当たって、邪魔なのは、ゼンと、彼らか……」
すう、と目を細める。
ぱかっと蓋を開けて燻し具合を確認しながら、また蓋を閉める。
「ふふふ、この魚のように、逃げ場をなくして足元から火をつけてやるよ。ふふふ、あー、はっは!」
ちらっ。
無理に高笑いしてみたはいいものの、うるさいと苦情に来ないジルトにがっくりして、ガウナはため息を吐く。ため息を吐いて、それでも、彼が一つ屋根の下にいる事実に、自分と同じものを食べる事実に、笑みを隠せない。
欲しいものは、すでにここにある。
あとは、どれだけ生活を守れるか。鍋の中で、徐々に息苦しくなっていく生活で、燻されてしまうまで。
「時間は、永遠にない」
永遠にないからこそ、理由づけにできる。
「時間がないって言っとけば、だいたいのことは許されるからね。そうだろ?」
次の犠牲者の名前を呟いて、ガウナはパチンと片目を瞑った。
「まあ、君の赦しなんて、僕にはいらないけどね」




