契約
ここからです。
魔法陣の回転が止まった。
ファニタは息をついた。思った通り、ハルバは契約の乗っ取りに成功したのだ。
……魔法は、“神”との契約である。
『アッカディヤの魔術儀式』は、魔法の再現であり、薔薇の魔女を蘇らせる契約。その契約を強引に乗っ取り、ハルバは予知の契約へと変えた。
何が見えたのかはわからない。けれど、回転を止めた魔法陣が、ハルバの勝利を物語っていた。
隣で座り込んでいたジルトが立ち上がる。呆然とする公爵の元に行き、地面に取り落とされた小刀を見遣った後に、蹴って遠くへやった。
「覚悟はいいですか、公爵?」
そう言って、公爵の頬に、拳を見舞った。
倒れ伏した公爵は、何も言わなかった。たぶん、敗北を認めたのだろう。
ジルトは彼に一瞥もくれず、ファニタとハルバの顔を見て言う。
「帰るぞ」
「だな!」
ハルバとは違って、ファニタはすぐに返事ができなかった。地に伏す公爵を見てしまう。思ってしまう。
もしも、大切な人が理不尽に奪われたとして。
自分は、公爵と同じようなことをしないでいられるのだろうか? 届かない星を、いつまでも眺めていられるのだろうか?
公爵は、薔薇の魔女に会いたかったのではない。喪った大切な人に会いたかったのだ。
彼は、ジルトやハルバ、そしてファニタと変わらない、遺された者だった。
ファニタの心は晴れない。
これで、本当に良かったのか。なにか、別の方法が無かったのだろうか。既に歩き出したジルトとハルバの後を、のろのろと着いていく。
公爵たちから少し離れた後、ジルトが、小さな声で何かを呟いた。ハルバが何と言ったか聞いても、首を振るだけ。
ファニタは空を仰ぎ見た。あの星々の中に、公爵の大切な人も、ジルトの家族も、もちろん、父もいるのだろう。
優しい星々は、何かを伝えようとするように、懸命に瞬いていた……。
段々と魔法陣が消滅し、ただの地面に戻っていくのを、シンスは呆然と見ていた。
実のところ、この魔法陣は、シンスの大半の魔力を注いで描いたものだった。最高傑作と言っても良いぐらいだ。同じものは、もう描けない。
シンスは、自分の夢が潰えたことを悟った。
同時に、夢が潰えたであろうガウナを見る。
外法に手を出してでも、愛する人を蘇らせようとした、憐れな、男、を……?
彼は、肩を震わせて、笑っていた。
口の端を釣り上げて、藍色の瞳を輝かせ。心底嬉しそうに、狂人のように。いや、実際狂人なのだろう。彼は、頭がおかしくなってしまったのだ。
「……シンス、お前は魔法に関しては及第点だけど、もう少し全体を見たほうがいいね」
馬鹿にするような言い方をされ、シンスは眉を顰める。何もあるわけがない。狂人の戯言だ。そう思うが、彼から目を離せない。
ガウナはやおら立ち上がり、魔法陣のあった地面へと視線を向ける。
指を鳴らす。青い光を帯びた魔法陣が、地面に再度現れる。シンスが自身の魔力をかき集めて、やっと描き出した、あの魔法陣が。
「はあッ!? なんだよそれ!?」
思わず地が出たシンスは、悪くないだろう。それだけ、ガウナのしたことは規格外だったのだから。
「これは、僕がお前の魔法陣の下に隠していた魔法陣だ。僕がした契約の内容は、『アッカディヤの魔術儀式』を書き換えて“彼女”を蘇らせること。これは失敗だな。そもそも、ハルバ君が無反応だった時点で……」
ガウナが魔法陣の端を踏みにじり、魔法陣は呆気なく地面に消えた。
「もったいな!!」
シンスが叫ぶのをうるさそうに見ながら、ガウナは足を使って乱雑に新たな魔法陣を描いていく。子供の落書きのようにめちゃくちゃだが、きちんと青く光る。魔法陣として、機能する証拠だ。
「さて、これから彼女を蘇らせることにしようか」
「“彼女”って、火事で死んだ子なんでしょ? 契約を破棄しない限り無理でしょ」
投げやりに言ったシンスに、ガウナは「そっちじゃない」と首を振る。
「お前が会いたがってた人だよ」
落ちていた小刀を拾って、ガウナは躊躇いもなく自分の手のひらを切り裂いた。
ぼた、ぼた。
地面に、ガウナの血液が落ちる。落ちたそばから、魔法陣の輝きの中に消えていく。
……血は、魔術師にとって大切なものだ。“神”は魔法の恩恵を、魔術師と同じ血の流れるものにしか恵まず。そして、ごく稀に、魂として取り扱われるという。
その魂を象って、魔法陣の上でつくられるのは、紛れもない。金色の髪に、紅い目を持つ彼女だった。
「彼女の魂は僕に定着してるから、まだ不完全なんだけどね……さて」
半透明な薔薇の魔女に手を伸ばし、空を切るシンスに、ガウナは傲岸不遜に言い放った。
「僕につけ、シンス。そうすれば、ローズに会わせてやる」




