起きる時間
現れては消える氷の粒のせいだけではない。
先程まで、新たな血が巡っていた体が、急速に腐っていく感覚に、ラミュエルは陥っていた。
どうしてそうなったのかはわからない。だが、あの銀髪の青年の中にいるのは、間違いなくあの男である。
「父上」
「……なんてことだ」
どうやら、背後の父も同じ意見らしい。唇はわななき、苦しそうに目を細めて、銀髪の青年、ガウナ・アウグストを、その内に存在するトウェル・ソレイユを見ている。
かつて、父は彼に唆され、自分の娘を手にかけることを許した。けれど、とラミュエルは思う。
ーー父上は、あのことを知っているのだろうか。
幼いラミュエルに向かって吐かれたあの悍ましい言葉を。自分の娘が、どのように……。
ーー考えても仕方ないですな!
姉のようになろうとした出来損ないが、アホヅラを浮かべてラミュエルの肩を叩く。
ふう、と息を吐く。案外、中途半端な性格というのも良いものだ。意図的に性格を変えているので、考えが切り替えやすい。
ーー私ができることは、今この場にいる人間を守ること、だな。
魔術師同士の戦いに割って入れるほど、ラミュエルは自惚れてはいない。無数の氷の刃を作り、その刃をナイフ一本で叩き落とし、砕き、切断している、人を外れた人の戦いには。
……それにしても。
大剣を振るい、あるいは盾にして、飛んでくる氷礫からジルトや女王陛下を守りながら、思う。
ラミュエルは唇の動きを読んだだけだから、彼がどんな思いで言っていたのかはわからない。だが、氷礫の最中に彼によって紡がれた言葉は、ラミュエルの胸の奥に淀みを残した。
ーー“結局、神様の言う通りってやつかもな”とは、どういう意味なのだろうか。
実力は伯仲。
それほどまでに、魔女の器としての体は優秀で、神殺しをしたのはやはり正解だったと、セブンスは思った。
ーーあとは、聖剣作っといて良かったな。
自然に動く右手をちらりと見ながら、セブンスは思った。
予知能力がいくら優れているとはいえ、飛んでくる氷刃を全て捌けるわけがない。特に、良き親友としてセブンスと試合をしてきたトウェルなら、セブンスの癖も見抜いているだろう。回避場所に氷刃を投擲することも可能。
これが並の魔術師相手だったら、聖剣で氷刃を壊し、かつ、その氷礫を安全なところまで飛ばせるのだが。正直な話、聖剣は魔剣だ。セブンスの身を守るためだけに機能するので、その余裕がない。
だから、セブンスは、ラミュエルと、ラテラの存在を心強く思った。
大剣を構え、氷礫からジルトを守ってくれるラミュエルと、王子達の説得が終わったのだろう……レデンを守ってくれているラテラ。
それから。
飛んでくる氷刃が、何もない空間から出現した氷の壁に、阻まれた。
「ふぅん?」
トウェルがリルウを睨む。リルウは、唇を噛みながら、両の足で立っていた。
「お父様、お帰りください。帰って!」
強く言い放ち、リルウは、トウェルを囲むように、円状に氷の刃を出現させた。それが、トウェルを串刺しにしていく……前に、
きんっ!
トウェルが出現させた氷の刃が、その刃先とぶつかりあい、相殺された。ぱらぱらと、氷の粒が床に落ちていく。
「お兄様ッ!」
「わっ」
間髪入れずリルウが叫び、ジルトの腕を掴む。
「失礼しますッ」
ジルトの腕に腕を絡め、自分の体と密着させる。
ぱちん、ぱちんと二回指を鳴らし、それから踵を鳴らす。
二回目に出現した氷の刃は、一回目と同じくトウェルの周りを囲った。だが、
「……参ったな」
空中に、横、上、自分を囲む刃の出現を確認したトウェルは、両手を挙げた。ゆるりと、リルウを見る。
「下にも仕込んであるね? 僕が空間魔術を使ったと同時、コレが僕の体を貫くわけだ」
「ええ。これで終わりです、お父様」
「さっきまで死にそうな目をしていたのに。ずるいなあ、お前のところにはジルト君がいるなんて」
トウェルは、どうしてリルウがジルトを離さないのかわかっていた。
空間魔術を使ったせいで、残り少ない魔力になったリルウが選択したのは、その場での魔力の補填。自分が最も幸せだと感じる瞬間をこの場で作り上げ、魔力を生成しているのである。
ーーあの嬢ちゃんも、セレス姫の器ってことか。
もちろん、これは荒削りな魔力回復の仕方。だから瞬間的なのだが……瞬間的だからこそ、爆発力がある。
「うーん、どうしよう、これは困った」
トウェルはけらけらと笑って、しかし、娘の成長を喜んでいた。
「だけど、僕は時間稼ぎ要因だからね。とっとと退場するに限る。ね、そうだろうセブンス?」
「……」
彼が言わんとしていることは、今のセブンスにはわかっていた。
トウェルは両手を挙げたまま、リルウに向き直り。
「強くなったね、リルウ。君は僕の理想の姿だよ。僕も、好きな人をその腕に抱いて、ぱわーあっぷというものをしてみたいものだ」
だけど、僕には才能がない。
「お前に希望を託すのも良いかもしれないね」
「気持ち悪いこと言わないでください」
ピシャリと言ってのけるリルウに、トウェルは、笑みを深くし、
「そう言ってられるのも今のうちだよ。実際、僕がそうだったからね……愛してるよ、リルウ。そして、ジルト君」
片目を瞑って、トウェルは甘い声で囁いた。
「地獄で会おうね」
それを最後に、トウェルの気配は消え、後に残ったのは、薔薇の魔女のみ。
リルウがパチンと指を鳴らし、空中に止まっていた刃を一斉に向かわせる。床下からも突き刺すような氷が、一斉に生えてきて。
「あーもう、殺意をバシバシ感じるんだけど!? ユダリカ!」
「へーい」
やけくそ気味に叫んだガウナの言葉と、気の抜けた声を最後に、セブンスの体からは、一切の感覚が失われた。
……そこは、行けども行けども暗闇で、そんな暗闇に包まれていると、自分が何者なのかわからなくなる。
実際、記憶は薄れてきていた。自分はなんという名前だったっけ。ローラ、アネット、カミラ、イザベラ……どれもしっくり来るけれど、どれもしっくり来ない。
『うーん、なんか、これまずい気がするなあ』
彼女は、暗闇の中でそう呟いた。闇に包まれているというより、闇に溶けていく感じだ。それは、自我というものかもしれない。
『でもまあ、思い出せないなら思い出せないでそれでいっか、大切な記憶じゃなかったかもしれない……し……』
本当に?
おんなじ声が、彼女に問いかけた。
本当に、大切な記憶じゃなかったの?
『だって、思い出せないし』
あの、手の感触さえも?
『手の、感触?』
悲しそうな顔してた人達も?
『……』
じゃあ、思いださなきゃね。大丈夫、あの光に向かっていけば、わかるから。
『後悔しない?』
するかもしれない。だけど、呼ばれてるから。
『誰に?』
誰かはわからない。だけど、“上”に行けばわかるよ。
都合よく現れた光に、まるで虫みたいに吸い寄せられていく。自分のことを知りたい、彼女はそう思って、光に足を踏み入れ。
思い出さなきゃよかったと、思った。
体の表面から剥がれ落ちていた悲しみが修復されて、彼女を形作っていく。
あの憎き魔女の青年の声が、光から降り注いだ。
「さあ、起きる時間だよ。ソフィア」




