幸福の中の不幸
ダグラスの予知、ひいては神の予知は完全じゃない。
言うなればそれはカメラで撮った写真を、一枚一枚繋ぎ合わせているだけなのだ。一つ一つのシーンを作る写真は一枚しかない、だから、その一枚の写真で、“それ”が本物か偽物かなんて、わかりっこないのだ。
たとえ神のものであろうと、予知が精度に欠けるのは、『未来視』に精度が必要ないからだ。神は精度を、『千里眼』で補完する。
ゆえに、どちらか片方の目だけでは意味がないのだ。片目だけならば、それはまだ人間である。
左手で頬を触る。
「あー、いってぇー……」
空間魔術を使ってジルト達から離れ、セブンスは、ラミュエル達の元へと向かっていた。
ラミュエル達の場所は、すでにレデンから聞いている。それなのに、ラミュエルを探すそぶりをしてジルト達の前に現れたのは、ひとえに、セブンスが囮の役割を引き受けたからだ。
本命はあちら。セブンスがジルト達を引きつけている間に、レデン達とラミュエルを接触させ、協定書を使った取引を持ちかける。
もちろん、ハルバとファニタによって、こちらの動向はバレている。セブンスが何をしようとしているのかの目的も含めて。
ーーあんの、天才の忘れ形見が。
セブンスは、眉をひそめた。
天才にもいろいろいる。その中でも特に厄介なのが、人の使い方を知っている類いだ。自分の限界を知り、人に希望を託す。自分しか信じていないセブンスが、最も苦手とする人間。
あの少女の選択は正解だ。おかげで、『神の左耳』を使うことになってしまった。
もともと、アレはレデンに使うつもりだった。それなのに、あそこで使わされたのは、少女の予測勝ちといったところだろう。
ーー決して、俺がジルトに甘いってわけじゃあない。決して。
ひそめていた眉を少しだけ下げて、セブンスは、口元を隠した。隠した口元の端は、吊り上がっていた。
ーーあのガキンチョが、あんなに強くなった。
セブンスに一発入れられるくらいに、セブンスが痛みを感じるくらいに強く。しかも、あの時ジルトの胸に渦巻いていたのは、セブンスに向けられていたのは、悪意の欠片もないまったき良心。
セブンスに戻ってきて欲しい、育ててくれて感謝している、やっぱり師匠は師匠だーー薄汚れて、一線を越えた自分には勿体無いほどの、賞賛と憧憬が溢れに溢れて、思わず、暗闇に慣れたセブンスの目は、眩んでしまったのだ。
ーー予知でダグラス本家に勝てるわけはない。だから、俺が殴られたのは、レデンの信用に揺らぎを与えない。
とはいえ、誰かに殴られたとあっては、天才の名が廃る。幸いなのは、『千里眼』を持っているか否かに、この一連の出来事は関係ないことだ。
『千里眼』を持っているとして、弟子の一撃は避けられないし、ましてやそれが、ダグラス本家によって定められたことであれば、セブンスは従うより他はない。
ーーレデンが持ってんのが『未来視』の方で助かった。
でなければ、この作戦は成功しない。すぐに偽物と見破られ、セブンスは、レデンに取り入ることができなかっただろう。そして、この作戦を成功させることも。
ーーだが、ラミュエルは、俺の思う通りには動いてくれないだろうな。
ジルトの命がけの行動により、それは証明された。愛しい姉を殺した実父を、それでも彼女は、嫌な顔をしながら守るだろう。
訂正。
自分しか信じていないというのは嘘だ。セブンスは、自分の弟子のことを信じている。もしかしたら、自分よりも。
「……ッ」
ずくりと痛むものを感じて、胸を押さえる。手近な柱にもたれて、セブンスは、目を瞑った。夜とはいえ、夏の空気にさらされた石柱は、思ったよりも冷たくなかった。
だから、セブンスは、懐に手をやった。
ーー惑わされるな。
手を伸ばしても、届かないものと思え。届いたら最後、アイツも汚れてしまう。
鞘に収められたそれから発せられる魔力は、セブンスを落ち着かせた。それは、負の魔力だ。魔女の心臓を貫き、神の心臓を貫いた。
ーーこれも、レデンに視られてたかな。
もしかしたら、ハルバにも。だが、良い。このナイフがどんな意味を持つのか、ハルバにも、ファニタにもわからないだろうから。
ーーまだ、満たされるな。
人が幸福になることは、存外、難しいことじゃない。じゃなきゃ、人間なんてちっぽけな存在が、今日まで生き長らえることなんて、できないのだから。
そう、たとえば、幼い頃の記憶。
呪いとも言えよう両親の愛情でも、その頃は確かに幸福だったのだ。恋に狂って行く親友を、それでも幸せになって欲しいと見守っていたことも。
自分と同じ目をした子供を拾って、育てて、こうして成長を見せつけられたことも。
たしかに、幸福だ。
ーーだが、俺は欲張りだから、まだ足りないんだ。
古今東西、欲を出した奴が辿る道なんてただ一つ。だから、セブンスは「まだ足りない」と自分を騙す。騙し通そうとする。
ーー 、
その名が出てきたことに、笑ってしまった。寄りかかっている柱から身を離し、歩き出す。
ーーそうだ、俺にはまだ、アイツが残ってる。
皮肉にも、それは希望の光だった。幸福という暗闇に包まれそうなセブンスを救ってくれる、断罪の光だ。
「そうだ、俺を」
ーー俺を赦すな。
ごぽり、ごぽりと上がって行く泡を見上げるのも、あと少しだ。
『人間はバカだな、赦されないことに幸福を見出すなんて』
膝を抱え、彼は目を見開いた。
契約不履行。
その言葉が揺らぎつつあるのを悟って、
彼はまた呟いた。
『あーあ、まだ死ねないのかな、俺は』




