アーウィッシュの悲願
王国の地に置いてきた、温かい思い出がある。
『神様はね、案外けちんぼなの』
耳触りが良いと感じていたのは、その人の声が優しかったから。神の話をしながらも、確かに自分に向けられる、愛情を感じていたからだ。
レデンは、母の話を聞くのが好きだった。神様とか、アーウィッシュの一族の悲願だとか、そういう難しいことはよくわからなかったけれど、母が嬉しそうにしているのが、なによりも好きだったのだ。
だから、セブンスのその言葉は、嘘だと分かった。
「俺もマザコンでさぁ、神サマ信じてた女の腹から生まれてんの。あっ、俺の場合は、親父も神を信じてたからちょっと違うかなぁ」
大統領席に腰掛けて、横柄な態度を取る彼の瞳は、神と同じ色を持つ彼の瞳は、どこまでも冷めていた。
「信じてたら救われるんだってさ。たとえ無惨に死んでも幸せなところに行けるらしいよ。そんなの、教会の奴らとか、アイツ自身のお為ごかしに過ぎないのにな?」
まるで、レデンの幸せな思い出を壊そうとするかのように言うのである。レデンの中で、唯一残っている希望を壊そうとするかのように。
「俺もお前も、神サマに呪われてるんだよ。不幸になるようにできてる。だから俺はお前に同情してるが、『右目』をやるかっていうと、話は別」
ころころ、ころころ。右手の平の上で、セブンスは右目を転がした。ともすれば、硝子玉のような、鉱石を磨き抜いたかのような、完璧な球体である。
レデンは、自身の持っている『左目』を見た。『左目』は、セブンスが持っているものと瓜二つだ。目玉といっても、神のそれであるから、人間のように瞳孔や虹彩というものがない。いや、神の身体にあった時点では、それは正しく目玉として機能していたのかもしれないが、神の身体から取り外された時点で、それはただの、魔力を伴った石である。
人間には過ぎた代物なのだ、神の身体は。
だからこそ、神の『左目』は、王国の外に持ち出された。
目の前にいる、セブンス・レイクの祖先によって。
“宿題”を出されたスェル大統領が、「手を切るか、いや、『千里眼』は惜しい」とあれこれ悩むのを尻目に、レデンは、窓辺で、共和国の街並みを見ていた。
ーー見ていますか、母上。
先程の会話で、胸の奥に閉じ込めていた郷愁が、溢れ出した。
ーーまた、帰ってきましたよ。
レデンは、王国の生まれである。だが、共和国が王国であった頃、王国になる前……つまり、何千年も昔、レデンの祖先は、ここに住んでいたのだ。
よく、母が話してくれた。神様の使いの話を……レイク家の祖先が、アーウィッシュの祖先にもたらした、幸福の話を。
実際には、それは幸福ではなかったのだが……その時は幸福だと感じていたので、幸福と見て良いだろう。
幸福。それは、アーウィッシュの悲願である。だが、その悲願が、レデンには腑に落ちない。御伽噺は、優しくて甘くて、ふわふわとしている。無理矢理、何も見えなくさせられているような、そんな気持ちに陥るのだ。
母は好きだ。だが、レデンは、王国から出る頃、違う結論を導き出した。
ーーレイク家のために幸福になるなんて、間違っている。
大統領府の屋上に腰掛けて、セブンスは、ぼうっと空を見ていた。今のセブンスには、すぐに発動できる空間魔法がないが……まあ、これで死んでも別に良いと思えるくらいに、心は空っぽだった。
「結局、アイツは、俺とは違うんだ」
呟く。不幸になりたい愚か者だと思っていたレデンは、自分とは全然違った。似たもの同士というのは、レデンが思い出しかけたことを遮るための嘘だが、思ったより自分が傷ついた。
レデンの思い出の中の母親は、きちんと、膝の上のレデンを見ていた。神様ばっかり見ていた、自分の母親とは違う。レデンの中の父親は、生まれたばかりのレデンと、母親を残して出て行く屑だったが、世間の目を気にして、愛してもない女を見捨てなかった男と……いや、利用価値があるから女を生かしていた男とは、雲泥の差だった。
ーーこれも不幸になる為なんだけど、なんか、クるな。
落ち込むと共に、自分のおこないが正解だったと、セブンスは思った。できるなら、自分の中に流れる赤い血を全て抜いてしまいたいが、それは不可能なことを知っている。そして、あのクソッタレと同じ血が流れていることで、安心できる。
ーー俺は、アイツの血が流れてるから、クズなんだ。
ジルトにぴったりとくっついているリルウによると、これは休養らしい。
「健全な魔力を培うためです。心苦しいですが、ご協力をお願いします」
「そう思うんならもう少し表情引き締めろよな、女王サマ」
と、茶々を入れたアントニーが、氷漬けにされるのを見ながら、ジルトは、リルウの表情が優れないことに気付いた。
「大丈夫か、リーちゃん。魔力を使い過ぎて、苦しくないか?」
「いえ、それはお兄様で休養することで完治しているのですが……」
リルウは、躊躇いがちに、ジルトを見た。
「お兄様は、ご両親のことをどう思っておられましたか?」
「どうって……母さんは厳しいし、父さんは隙あらば稽古つけて来ようとするしで大変だったなーって」
「好きでしたか?」
「好きだったよ」
即答して。ジルトは、リルウが複雑そうな顔をしていることに気付いた。リルウは、ジルトの服の裾を、ぎゅっと掴み、
「それならば」
声は、震えている。
「お兄様は、親殺しについて、どう思われますか?」




