特別な銀貨
月明かりに照らされた地面。
「ん」
そこに、ジルトは、何かが描かれているのを見つけた。
ジルトが飛ばされたのは、セブンス達が最初にいた場所だ。ハルバが、セブンスが何かを落書きしているところを視ていたが……残念ながら、どこかの公爵と同様、師匠には絵心がない。
だから、実際に見たって、わかりようがない、はずなのに。
「……」
ぽたり、不意に水滴が、地面に落ちた。ジルトは、袖で目を拭った。何度も、何度も。
「やっぱり、まだ子供じゃねえか」
ぐしゃぐしゃになった顔で、笑おうとした。溜まりに溜まったなにかが、涙と一緒に溶け出していく気がした。
ーー師匠は間違ってる。だけど。
自分にかけられた転移魔術ならば、他人にかけられた魔術よりも、踏み砕くのは簡単だ。今度こそ、リルウは、ユバルと、自分の分を踏み砕くことができた。
「やるねぇ」
父親と同じように、人を舐め腐ったような表情の男は、小さく拍手すらした。リルウの魔法陣を踏み砕きながら。
「六回っていうのは、俺が甘すぎたな。だけど」
「……っ」
セブンスが指を鳴らすのに合わせて、リルウもまた、指を鳴らした。少々乱暴に、ユバルにかけられた転移魔術を踏み砕く。空中に散る氷の破片は、夏の夜の熱気に溶けていった。
「今度はギリギリだ。強がんなよお嬢ちゃん。国一つ跨いだんだ。もう、魔力は尽きかけてんだろ?」
「リルウ陛下」
「大丈夫です」
ユバルが心配そうに声をかけてくるのを制する。強がりかもしれない。だが、まだ自分は笑える。額の脂汗を拭う。
「まだ、大丈夫」
「弱いものいじめは、趣味じゃねーんだけどな」
魔力が血と密接に結びついている意味を、リルウは、今更ながら理解していた。なけなしの魔力を使うたびに、脳に血が行き渡らなくなっていく感覚がする。セレス姫の魂で補填されていた借り物の魔力は尽き、今は自分の魂を血に溶かしている状態だ。
「美味いもん食べて、ぐっすり寝て、そうして健全な魔力は培われるんだぜ?」
「それは、貴方も同じでしょう。貴方ももう、限界なのではないですか?」
「俺のは、健全な魔力じゃねえから」
赤い瞳の魔術師は、月明かりを背に嗤った。
「わかってんだろ? 俺のはお前みたいに、昔々のご先祖さまが、ぶっ殺させて溜めた魔力じゃないってこと。俺のは、特別な銀貨なのさ」
ーー特別な銀貨。
その言葉の意味するところは、こうして魔術を掛け合っているリルウには、痛いほどにわかってしまった。
だから、訊いた。
「その時、貴方は……哀しかったですか?」
「そりゃ、哀しかったよ。だが、同時に嬉しかった。あの人で覚醒できなきゃ、俺はとんだ人でなしだ。クソ親父とおんなじ」
「サファード様と……」
「王族に様付けされるなんて、あの甲斐性なしも偉くなったもんだな」
たっぷりと皮肉を込めて、セブンスは言った。
「家族も。自分の身すら守れなかった癖に」
「やはり、貴方が、サファード様を」
「さてね」
ぱちんと、セブンスは指を鳴らした。
「おしゃべりはおしまいだ。もう、頃合いだろ?」
セブンス・レイクは、『千里眼』を持っているのか否か。
それを見極めることが、レデンにとっての最重要事項だ。だからあえて、彼に、“視えない瞬間”を教えなかった。
『神の左目って、ダグラスみたいに決定権ないから、暗闇にはなんねえのな』
もちろん、そんなことはない。子供達が街中にいる時は、その様子は視えなかったし、この先、とある一瞬から、レデンの視界は暗闇に包まれていた。つまりそこが、セブンスが反応できなければいけないポイントだ。
そこで見極められなければ、『千里眼』を持っているというのは嘘。見極められたら、『千里眼』を持っているというのは本当。彼の言うように、魔女とやらを戦争の名目で殺してやってもいい。
そして、その時は迫っている。
五、四、三、二、一……暗闇。
目を見開いた時、狼の姿が、そこにあった。
手塩にかけて育てたニェルハは、レデンの首を目掛けて、迷いなく、暗器を振るった。それを、セブンスが弾き飛ばす……何もない空間へと。
金属音。
地面に暗器が落ち、レデンの背後に隠れていたディーチェルの娘が、青緑の目を見開いた。
「なんで、わかったの……」
「視えてたから」
これ見よがしに、セブンスが赤い玉を転がして見せる。
「『千里眼』にかかりゃ、お前がどこにいるかなんてお見通しだよ」
ゆっくり、レデンは、目を瞠いた。
ーー本物だ。
本物の、『千里眼』だ。セブンスは、チェルシーの場所をぴたりと当ててみせた!
百歩譲って、『神の左耳』で、子供達の作戦を知ることはできただろう。チェルシーとニェルハが、大統領府に飛ばされたターゴを救出するのではなく、最終転移地点であるこの場で待ち伏せ、レデンの首を狙ってくることは。
だが、チェルシーの正確な位置までは、思考からは読み取れないはず。もしかしたら、ニェルハの背後から二撃目を狙ったかもしれないし、レデンを囮にして、まずは大統領を狙ったのかもしれない。
いずれにせよ、思考を読むだけでは、チェルシーの具体的な位置はわからないのだ。
故に、わかる。『千里眼』は本物で、セブンスは嘘をついていない。
「良いでしょう」
「ふ、副大統領? まだ、王子が」
「いえ、もう良いのです。稀代の魔術師様は、信用に値するお方だ。それが見極められたのなら、無駄な殺しはするべきでありません」
「だ、だが」
「スェル大統領。一つ、お教えしましょう」
なおも言い募ろうとする臆病者に、レデンは、にこりと笑った。
「殺せば殺すほど、人は不幸になるのです」
「……は」
「そしてまた、殺させれば殺させるほど、人は不幸になる」
こちらを睨んでくるユバルを見据える。親兄弟を処刑されてもなお、生きながらえている彼に。ニェルハが選んだ彼に。
ーー私は、不幸になってもらいたい。




