好きと嫌い
およそ四百人。
それは、ガウナの餌になり得る人間達の数である。
シンス・ゲイナーという盾をひっそりと失ったかわいそうな信者たちを、『魔女の信徒』という檻に閉じ込めて、一気に“殺された”魂として消費しようというのが、あちらの狙いだろう。
計画自体は、『ユーフィット醫院』の事件の頃から動いていたように思われる。
水面下での軍事施設の計画は、リルウの父、トウェル王の禁域建設計画にそっくりだ。レイデス院長が院を畳まなければ、新生『魔女の信徒』が、シンスになりかわったガウナの傀儡を頭に誕生していたはず。
だが実際は、そのときにはシンス・ゲイナーと、四百人の人間は死なず。シンスは今死に至り、残りの信者も、魔力の餌として使われようとしている、という状況。
そう、自分たちは、ガウナの魔力食いを阻止しようと、ここにいる。
「これ、ちょっと楽しいかも!」
セレス姫の魔力を目覚めさせ、目を輝かせてラテラを付け狙うリルウを横目で見ながら、レオンは少しだけ困ったように笑った。
ーーたぶん、そのはず?
氷柱が、地面から生えてくる。
生え方は一定。生成スピードも一定で、伸びる方向も一定。
おそらく、氷の魔術には、最近目覚め始めたのだろう。
ーーそれに、クセもわかりやすい。
好ましく思うほどだ。ガウナの手の者達を氷の彫像にした技は、初見では対応できない。が、そのやり方は、恐ろしく単調。
人一人を氷漬けにするには、時間がかかる。だから、地面から近い足を固定すべく狙ってくる。ラテラは、リルウのそのクセを使って、自身に有利な場を築き上げていた。
ディーチェル邸は、主人の意向で、庭がこざっぱりとしている。小回りを得意とせるラテラの飛び回れるような建造物は少ない。
ーーだから、作る!
リルウが指を鳴らせば解除される氷柱は、未だに解除されていない。ラテラが、解除する隙を与えていないからだ。
ーーここから逃げることはできない。
それほどには、女王陛下は甘くない。だから、攻めなければならない。
リルウとレオンの退路を氷の柱で塞ぐ。ラテラ自身は、ランダムに作らせた氷の柱に身を隠し、着実に近づいていく。
「あわわわわわっ」
リルウの攻撃も雑になってきた。
「陛下。一度、氷柱を解除されては」
リルウの隣に立つレオンが、そうアドバイスし、リルウが頷く。それはさせない。
ーーごめんなさい。
ラテラは、わざと氷柱と氷柱の隙間に姿を現した。抱えている教祖の遺体を……宙に放り投げる!
「なッ……」
リルウが驚愕の表情になり、教祖の遺体に釘付けになる。その隙を縫って、一気に距離を詰める。小刀を、リルウの喉元に突きつけた。
「降伏、してくださいますか」
「……完敗だわ、ね、外務大臣」
「そうですねぇ」
レオンが、やけにゆったりと返事をする。はっきり言って、レオンは優男だ。荒事を得意とするわけじゃないのに、どうして彼が選ばれたのだろう。
ーー護衛にするなら、軍部とか……。
そこまで考えたところで。
ラテラは、教祖の遺体が落ちたところまで飛び退った。唸り声、呼吸音……人間とはまったく違う生き物の気配が、リルウとレオンのいる氷柱の向こうで、した。
「まさか」
ラテラは、レオンを見た。シリウス先生から聞いたことがある。ダグラスが魔法使いと呼ばれた理由。どんなに凶暴な動物とも、対話をできたという……。
ラテラの判断は早かった。
「それを動かしたら、この男の遺体の皮を剥がします」
「ほう」
遺体の顔に刃を滑らせる。これは賭けだ。リルウとレオンは、“教祖”としての遺体を欲している。だから、それを“教祖とわからない”ようにするという脅しは通用するはず。問題は、それのスピードに勝てるかどうか。
レオンが指を鳴らす。ラテラは、教祖の遺体に刃を振りかざしーーリルウが、目を見開く。
「す、ストップ! ストップ!!」
氷柱が一気に消え、獣の気配が消える。何事かとリルウを見たら、リルウは走り出していた。身構えるラテラの脇をすり抜け、リルウは彼に抱きついた。
「え……」
ラテラは困惑した。困惑するしかなかった。
一触即発という空気を堂々と引き裂いたリルウに。リルウにそうさせた存在に。
「どうして……」
「……色々あったんだけど、一つずつ解決していこうって話になったんだ」
リルウに頬擦りされながら、ジルトは苦笑していた。
リルウははしゃいでいた。
「お兄様っ、お兄様っ、久しぶりのお兄様だわっ! くんくん、ああ、良い匂い」
それはもう、はしゃいでいた。思えば、長い間彼と会っていなかった。お兄様成分が足りていなかった!
「久しぶり、リーちゃん」
「お久しぶりですお兄様ッ!」
はしっと背中を掴み、全身でジルトを堪能したリルウは、「はっ」と我に帰った。
「ど、どういうおつもりですか。まさか私たちを止めようと!?」
「そのまさかだよ」
ジルトが、にっこりと笑って言う。
「リーちゃん、企んでる計画全部、中止にして。お兄ちゃんからのお願いだ」
「お断りしますわ」
リルウもにっこり笑った。ガウナの餌になる前に、教祖の遺体を使い、『魔女の信徒』の自決を図る……そうしないと、リルウはガウナに勝てない。すでにリルウは、ガウナを殺すために、共和国の内政にまで手を出している。
ここまでしておいて、手を引くことなんて、できない。
「相手は薔薇の魔女です。人道は、捨てなければなりません。たとえお兄様が否定しようともーー」
「リーちゃん」
「なんですか?」
「好きだ」
「ふえっ!?」
顔が一気に熱くなるのを感じた。
「俺はリーちゃんのことが好きだから、リーちゃんには、師匠みたいに……アイツみたいに、不幸な道を歩んでほしくない」
握った手のひらからは、熱が伝わってくる。リルウの熱だけではない、これは、お兄様の熱だ。こくりと頷く。
「ありがとう」
それはそれは、優しく笑い、強く抱きしめられる。これまでの策謀を手放して良いものかと、思わないでもないけれど。多幸感に包まれながら、リルウは思った。
ーー私がいちばん欲しいものは、これだから。
そんな様子を見ながら、レオンは指を鳴らそうとした。
リルウ陛下はまだ十歳。精神的にも幼く、翻意なんてあり得ることだ。
ーー大丈夫。公爵を殺す手立ては、まだ失われていない。
ここは、友達を使って一旦離脱。リルウと袂を分かつとなれば、軍部に掛け合って、戦争を起こすことも……
「じゃあ、俺は兄貴のことを嫌いになろっかな〜」
「わ、私もやめようかな!?」
最愛の弟の言葉を聞いて、レオンもまた、くるりと手のひらを返したのであった。
敗因ブラコン




