彼に無いもの
こつりと。
靴音がした。見上げると、ダレスと名乗った男が、警備員に囲まれながら、ジルトのそばまで来ていた。
「何をしてるんです?」
ガウナが立ち上がり、ダレスの方を向く。ダレスは、手錠をされている両手を挙げた。
「何もしない。ナイフも取り上げられたしな。だから、彼と少し、話をさせてくれ」
「……いいでしょう。この距離を保ったまま、話をしてください」
「君は、彼の保護者か何かなのか? まあ、いい。ジルト君と言ったね、さきほどは、腕を踏んでしまってすまなかった」
深々と、ダレスが頭を下げた。顔を上げた彼の顔は、見た目には、晴れやかだった。
「私の復讐は、虚しいものだった。けれど、君の言葉に救われた気がしたよ。ありがとう」
「そんな、俺は」
あの時手を離してしまったことを後悔して、殺すのを、殺されるのを止められないで、みっともなく喚いていただけなのに。予想外の言葉に、どう答えていいかわからなくなってしまう。
「願わくば」
何もかも抜け落ちたような表情で、微笑む。
「君が、私と同じ思いをしないように」
「……」
ダレスは、ジルトが手を離してしまった意味を、正確に理解していた。
遠ざかる背中。それを見ながら、ガウナが不機嫌そうに言う。
「ジルト君は、そうならないに決まってるのにね?」
「なんでそんなこと言えるんですか」
「僕がそうさせないから」
ぽん、と、肩に手を置かれる。「それに」、
「僕の“良心”は、常に正しい」
あんまりにも、あんまりだった。藍色の瞳は、この場にそぐわない、慈愛と、狂おしいほどの期待に満ちていた。
「……」
「大丈夫、君が間違っているときは、僕がどんなことをしてでも正してあげる」
「反吐が出そうです」
「それも正しいことだ」
置かれた手が、どうしようもなく不快だった。
「アウグスト公爵、貴方もですよ。ジルト君から離れてください」
「はいはい」
だから、ブランがそうやって注意してくれて、安心してしまう。
「大丈夫か?」
ノーチラス侯爵を手当てしていた、ハルバとファニタが駆け寄ってくる。ジルトは頷いた。ハルバの頭のことも聞くが、「俺って石頭だからさ」と軽く流されてしまった。
「なにか、変なこと言われた?」
ファニタが心配そうに聞いてくる。ジルトは少し迷った後頷いて、ブランの元に向かうガウナの背中を睨んだ。
言い方からして、自分の正体がバレたことはわかった。それと同時に、這い上がってきた、気持ちの悪い感情。
「アイツ、人のことを何だと思っているんだ」
「もちろん、“良心”に決まっているだろう」
へらへらと笑う男は、もっともそぐわない言葉を口に出した。
「人間というものは、自分にないものを嫌悪し、反対に、愛好する生物だ。ガウナ君の場合は、後者だね」
かつての親友は、ゆっくりと、テーブルの周りを歩き出した。まるで、謎解きをする探偵みたいに。
「自分が手に入れられないものほど、輝いて見えるものだ。ガウナ君は、理想を拗らせてしまったんだね」
「お前みたいに?」
「おや、厳しい。それが親友に向ける言葉かい?」
「親友だった奴に向ける言葉だよ。最後の最後で、所有権を明け渡しやがって」
「あれは奇跡だよ。クライス君の、意思が起こした奇跡だ」
のうのうと言ってのける。セブンスは、舌打ちをした。
「それに、少しは緩めてやらないと、彼の方が先に死んでしまうだろう?」
何が面白いのか、笑いながら部屋の扉を開ける。そこには何も無い。だが、彼がこんこんと空間を叩くと。
何も無いはずの部屋に、一人の男が現れる。彼こそが、セント・アルバートにて、撹乱をしてくれた門番、ユダリカ・ヒューエルである。
「あっ、セブンス様、ちーっす。俺、まだ死ねないっすよ」
そして、彼こそが、セブンスの元親友を呼び出すための、魔力の源。人間スイッチ。
「僕には挨拶してくれないのかな?」
「腹黒王様には挨拶しません〜。ていうか、あの従者じゃなくなったってことは、あの従者死んだんすか? いいなぁ〜」
心底羨ましそうに、ユダリカは言う。そう、こいつは、何を隠そう、自殺志願者なのである。
家族と友人と恋人に裏切られた末に、セブンスに傾倒してしまった哀れな男。ソフィアのように復讐をしたいわけでも、フレッドのように恩を返したいわけでもない、ただの自殺志願者だ。
だから、遠慮なく使っている。
「お前、生命力強いな」
「なぁんか、そうみたいっすね。小さい頃から鍛えられてたからかな」
嬉しそうに言うヒューエル。褒められたと思っているらしい。
「自殺しようと思っても死ねない俺と違って、従者君は優秀だったわけだ。良いなぁ」
「お前ももうすぐ死ねるよ」
「本当ですか!? やったぁ!!」
頑張った甲斐があった、とはしゃぐユダリカ。皮肉なことに、これに耐え抜けば殺してもらえるということの一心で、生命力を維持していたらしい。
「ああ。だが、お前には、もうひと頑張りしてもらう必要がある」
「もうひと頑張りぃ?」
「そうだ。お前にはーー」
その、ときだ。
「見つけたぁっ!!」
「うわぁあああッ!?」
突如として、結界が割れ、一人の少女と、青年が入ってくる。
「セブンス・レイク! ジルトのお師匠様!」
びしっとセブンスを指さしてくる少女の髪は珊瑚色。ぜーぜーと息を整える青年の髪は、赤茶けた癖っ毛だった。
「もうこんな馬鹿なことはやめた方がいいよ! あの公爵、王様を呼び出す絡繰に気付いてるから!!」




