起こらなくていい奇跡
トウェル・ソレイユは、猫被りである。
それが、彼の跡を継いだガウナの感想だ。
この場合の猫被りとは、なにも、ユリズ・クリード内務副大臣に示していたような、暴力的な側面だけではない。内務省行政局の長官に示していたような、魔術的な側面も含まれている。
故に、死んだはずの彼が、トウェル・ソレイユとして出張ってくることはないというわけだ。死んでまで築き上げた自分のイメージを台無しにするなんてこと、彼がするわけがない。それがされるとしたら、異端が晒される時だが……そんなの、未来永劫訪れるはずもないのである。
だからガウナは、トウェル王が反撃できないのを良いことに、戦争責任をトウェル王にひっ被せた。死人に口なしというのもあるが、別の理由もある。それというのも……
「私は、隠し部屋で全てを見ていました」
今、この場は、ノーチラス侯爵の独壇場だ。
汚職に塗れていても、貴族しか参加できなくても、裁判というのは、成熟した人間社会の最たるものである。寡黙を貫いていたはずの侯爵の悲痛の訴えは、普段の彼を知る陪審員にも、そして、はじめて彼を見た聴衆にも、憐憫の情を抱かせる。
それゆえに、自然と視線は、クライス・エドガーの方に向くのである。逃げるための手足を潰し、ノーチラス家に火をかけた残虐な一族の生き残りとして。
ーー僕が、そうなるようにした。
もちろん、この裁判の争点は、あくまでも、ガウナがソフィアを殺害したかどうかであり、クライスの一族の罪の有無ではない。だが、どうしてもクライスの心証が悪くなることは確かだ。だから、ガウナはトウェル王に罪を被せることにした。エドガー家の残忍さを、トウェル王の命令によるものだという印象を植え付けたかったのである。
ーーあくまでも、クライスのことはきっかけだ。
この裁判の場に、旧政権の罪を持ち込んだのはガウナである。ノーチラス侯爵の家族を皆殺しにした作戦にクライスは関わっていないが、彼が王家の鴉として働いてきたことは事実。
侯爵の事件がきっかけとなり、彼のやってきたことを掘られて裁判にかけられ、極刑になることは想像できる。まったく、死に逃げしたどこかの誰かさんはお気楽な立場だ。だからせいぜい、スケープゴートにさせてもらおう。
ーー僕は、クライスを失うつもりはさらさらない。
これは、極めて現実的で、理性的な判断だ。ガウナはセブンス・レイクのように天才ではない。彼はソフィア・アルネルトという“妥協”案を見事に成功させたが、それは、神をも殺す彼の才能あってこそだ。
ーーだから、僕は、そんな不確実な賭けはしない。
魔術が妥協を許すというのは、天才にのみ与えられたロジックだ。たまたま魔女の生まれ変わりであるガウナに、それができようはずもないのだ。
ーー他に方法があるはずだ。
そもそも、魔術を手に入れたとして、うまく活用出来るかはわかっていない。トウェル王がシンスに教えたヒントは偽物かもしれない。そうだ、そうに違いない。あの人間紛いの男が、ほんとうのことを教えてくれる良心を持っているはずがない……
「……以上、証言を終わります」
ノーチラス侯爵の声が、ガウナの思考を引き戻した。そう、ここからだ。
ーー侯爵は、クライスを殺そうとしている。
彼の懐には、研ぎ澄まされたナイフが隠されている。彼は、証言が終わり次第、クライスを殺すつもりで、証言台に立った。なぜ青年を殺したか、動機を先に話していたのである。
ーーだけど、ハルバ君は動かない。
わざと泳がせているのだろうか、それとも。
証言台から、ノーチラス侯爵が退いて、クライスとすれ違う。瞬間、刃が煌めき。
からん。
虚しい音を立てて、床に落ちた。
突如として現れた凶器に、法廷がざわめく。
「証人、これは……」
「私は、エドガー氏を殺そうとしていました。ほんのさっきまでね」
ごく普通のことのように、侯爵はそう言った。
「私の家族を、血の繋がるもの全てを殺した鴉の一族。その生き残りの首でも、掻き切ってやろうと、思っていたのですが」
一歩踏み出しかけていた、ガウナを見る。
「彼はきっと、私と同じ目をしていましたから。殺すのはやめました」
穏やかな顔を向けられて、ガウナはどうしていいかわからなくなった。
「助けたいのに助けられない。あの日、隠し部屋で惨めに震えていた私と、同じ表情です。ですが、彼は私とは違う。私はできるだけ、何も見ないように、何も聞かないように。目を塞ぎ、耳を塞いでいました。全てを見ていたなんて嘘です。断末魔を聞いてから、ようやく、覗く覚悟ができたのですから」
ノーチラス侯爵が、陪審員の席へと戻っていく。ガウナは、それを黙って見送ることしかできなかった。
ーーそんなに、僕は必死な顔をしてたのか。
顔全体に手を当てても、自分がどんな表情をしているのかはわからない。
突然起こった殺人未遂と、あっけない終幕。拍子抜けしそうな体を叱咤して、気を引き締める。
ーー次は、お前だ。
旧政権の罪はでっちあげだが、見上げた先、トラス・アヴェイル判事の罪は、拘置所の看守から聞き込みした本物だ。
ノーチラス侯爵の証言で、クライス・エドガーの証言の反証はした。次は、この裁判自体を茶番にす……
「まったく、がっかりですよ。ノーチラス侯爵」
蔑みの声が、法廷に響いた。侯爵の置き土産のナイフを拾った彼が、発した声だ。
ーーあの性悪王、今度は何をする気だ?
やはり、あの男は信用できない。見てみろ、あの男の、あまりにもまっすぐな目を。
「……っ」
「私は、アウグスト公爵の敵だというのに。なぜ彼が、私を助けたいと思うのですか」
「証人、口を閉じなさい」
「……ええ、ガウナ様は、私を助けたいとは思わないはずです」
クライスは、優しく微笑んだ。
「もう一人いる。日和るな、ガウナ・アウグスト」
これ以上なく、厳しく。
「わかったよ、クライス」
クライス・エドガーは、ガウナ・アウグストの背中を押したのであった。
「ナイフを蹴れッ!!」
ジルトの焦った声が聞こえたが、ガウナは、ゆるりと首を横に振った。法廷に乱入してきた男が、それを拾う。
「せっかく、クライスがくれた未来だ」
「何を言って……!?」
「僕は、もう、日和らない」




