異端の定義
アヴェイル邸の客間の窓は開いていなかった。風など吹き込んできていない。それなのに、燭台に置いてある蝋燭の火は消え、あまつさえ灯ったのである。
この不可思議な現象とともに、異端の存在を告げれば、それなりに相手は信じるのではないか、とは、ここに来る前にハルバとジルトが話したことである。ちなみに、ファニタはそれを半眼で聞いていた。
だが、シチュエーションは大事である。ただ言葉を口にされるよりも、身をもって経験した方が、何倍もの説得力があるのだ。
そのことを学んだのは、この間のトウェル王との一件から。二人には、何をされたかは話していない。だが、あの出来事は、文字通り心臓が凍った出来事は、なによりも、魔術を近いものに感じさせたのだ。
トリックはある。アヴェイル判事には、魔術の擬似体験をしてもらった。『魔女の信徒』の教祖が生きていて、ソフィア殺害に関わっているということの、補強、暗示として。
「……私は、自分の弱点を知っている」
だが。
アヴェイル判事はおもむろに席を立ち、燭台が据え付けられている壁の前に立った。蝋燭に息を吹きかけ、炎を消す。マッチを擦り、か細い煙(正確には違う)に炎を近づける。蝋燭の火がまた灯る。
「蝋燭は、火種が残っていれば再点火する。何ら不思議なことはない」
「火が消えたのは」
「不良品だったんだろう」
消した可能性も、点けた可能性も。
トラス・アヴェイルは考えていなかった。蝋燭の火が勝手に消えて、点いた。それだけを信じている。
再び明るくなった部屋で、アヴェイル判事は、妙な言葉を口にした。
「二割だ」
「は?」
「実際に、異端が関わっていたケースの割合だ。たいていの貴族は、自分に有利になるように、他人に不利になるように。醜い欲望から、偽物の異端が持ち込まれる」
なるほど、弱点というのは、自分の異端嫌いのことを指しているらしい。
「俺たちの言葉が嘘だって言いたいんですか?」
「君からは、異端の臭いが感じられない」
ーーじゃあ、アゼラ伯爵は?
そう聞きたくなったが、
「……それじゃ、俺は?」
ジルトの右隣に座るハルバが、そっと手を挙げたので、ジルトはそれを胸の中にしまった。
「俺は、予知ができます。これって異端って言えるんじゃないですか?」
アヴェイル判事は、それも否定した。
「社会的地位を確立している者を、私は異端とは呼ばない。ダグラスの異常な習性は、前外務大臣の葬儀で発覚したばかりだ。その点においては異端と言えるだろう。だが、実際の能力となると、世間に小波を立てる程度」
「小波……」
「ましてや君は、未成年だ。先ほども言った通り、未成年は証言能力に乏しい。君が予知をし、それが真実だったとして、信じる者がどれだけいることか。思い上がらない方が良い」
「……俺は信じるからな」
「私も」
がっくりと肩を落とすハルバに、それぞれ声をかけるジルトとファニタである。
アヴェイル判事は、そんな様子を見て、不愉快とでも言いたげに眉根を寄せた。
「むしろ、私が異端とするのは、君の方だよ。アドレナ君」
「私、ですか?」
きょとんとするファニタ。
「ああそうだ。君のお父上が勤めていた『王立総学研究所』。あれは、悍ましい場所だ。あれこそが、私が嫌悪する異端に最も近い。神学でも学んでいればいいものを、人でありながら、神の領域に達しようとするとは」
「それはわかるかも」
ファニタが苦笑しながら呟くのを聞きながら、ジルトは、アヴェイル判事の説得が、思ったよりも難しいことを悟っていた。
どうやら、一口に異端と言っても、彼の中では明確に線引きがされているらしい。目の前で起こった不可思議な状況を、なんとか説明できるようにし、ダグラスの予知を取るに足りないものとした一方で、魔法や魔術を使わずに、ただ研究しただけの人物を異端と見做す。
これなら、先ほど口にしようとしていた疑問の答えもわかる。
ーーアゼラ伯爵は、この人が嫌いな王総研に勤めていた。だから、異端認定されたんだ。
ガウナが証拠を捏造したことも関係しているのだろうが、根本的な原因はそこにある。アゼラ伯爵が、『魔女の信徒』の教祖として処刑されたのも、むしろ、この歪な異端を憎む心を隠すためだったりするのだろうか。
ーー異端そのものより、それを信仰してる人を憎んでるっぽいな。
なぜかはわからない。だが、複雑に絡まったアヴェイル判事の関心を惹くには、教祖生存説だけでは足りない。無実のガウナを異端から救うというだけでは足りないのだ。
あともう一押し。本当の本当、最後の一押しがあれば。
ジルトが俯いていると、
「だが、君は貴族ではない」
「へ?」
不思議な言葉に、ジルトは顔を上げた。相変わらず尊大な態度で、アヴェイル判事は続けた。
「言っただろう。たいていの貴族は、と。君は貴族ではない。アウグスト公爵が助かったところで、報奨金ぐらいしか、得られるものがない。それなのに、異端嫌いの私の元に来て、異端の存在を告げようとするのは、リスクが高い。演技をしていたことからして、無実の人間を助けたいという正義感は感じられない。私には、君が何をもって、たとえ言葉の上だとしても、異端に関わろうとしているのかがわからない」
一息に言われて、ジルトは気付いた。
ーーわからないのは、判事も一緒なんだ。
「彼女と同じ瞳を持っている君が、どうして異端に関わろうとしているのかが、わからない」
蝋燭の炎が揺らめく。これはトリックではない、純粋に炎が揺らめいたのである。
判事の心情に呼応するように。
「手を引くことをお勧めするよ、ジルト・バルフィン君。私はかつて、異端に身を滅ぼされた人間を知っている」
「それっ、て……」
「シルヴィ・ウォールカっていう、王都でも有名だった美人さん」
アヴェイル判事が、ばっ、と燭台の方向を見た。ジルトは、額に手を当てた。告げられた名前よりも、そこの方が心配だった。
「出てくるなって言ってあったろ」
「そこのダグラス君への言い方を聞いてたら、私もセーフかなって思って」
燭台の前に立っているチェルシーは、ぺろっと舌を出した。彼女は、驚愕している様子のアヴェイル判事に、優雅に腰を折って挨拶する。
「初めまして、トラス・アヴェイル判事。私の名前はチェルシー・ディーチェル。しがない公爵家で……多分、貴方の過去を知る者、かな?」




