最良の策
共和国。
中途半端に民主主義を成し遂げたこの国は、今、激動の渦の中にいる。
政府上層部が、急に帝国との戦争を決めたという噂に加え、王国から資金協力を勝ち取り帰ってきたはずの、ユバル王子が不審な動きをしているという事実。
資金協力は良い。が、そこで示された条件を、ユバル王子は頑なに明かそうとしなかった。だが、彼の側近のターゴが漏らしたことによると、だいぶ、王国側に有利な条件だとか。
今日も、堂々と大統領府の廊下を闊歩するユバル王子に、人々は陰口を叩く。『資金の面で大統領派に勝ったからと言って調子に乗っている』『所詮は、王国の犬である』。
「ま、上々ってところかな」
今日も、差し向けられる暗殺者を回避して、ユバルはベッドで眠りにつこうとした。途端、突きつけられる、銀の刃先。
ユバルは、舌打ちした。暗殺者にではない、この暗殺者を通したターゴにである。
ーー余計なことを。
ターゴは優秀な従者である。ゆえに、ユバルの寝室に人を近づけさせるなど、ありえない。だが、例外がある。
それは、ほんとうに、余計なことだ。
「ニェルハ」
名前を呼べば、彼女はびくりと体を震わせた。その隙を見逃さず、ユバルはニェルハの腕を取り、床に転がした。懐かしい。幼い頃、こうやって二人で組手をしたっけ。あの頃から、ニェルハはユバルよりも強かった……ニェルハよりも強くなりたかった自分を思い出し、ユバルは苦笑する。
「どうして笑っていられるの」
月光に照らされたニェルハの瞳は、潤んでいた。たくさんたくさん、鮮血を見てきただろうに、幼馴染の瞳が未だに美しいことに、ユバルは驚きを隠せない。
青い目の狼は存在しない。だが、存在するとしたら、それは特別な存在だ。いっとう気高い存在だ。
世界で一匹しかいない狼を、ユバルは死なせたくなかった。だから、ずっと背を向けていたのに。向き合ったが最後、ユバルとニェルハは、敵になってしまう。
ニェルハは、ユバルの体を蹴って、離れたところに着地した。
「ユバル、今すぐ、王国から手を引いて。リルウ様の言うことを聞かないで」
「あんなに仲良く喋ってたのに、そんなこと言うのか?」
「それとこれとは別。私は友情よりも幼馴染をとる」
「リルウ陛下は、俺たちに示された道でも、ましな方を選んでくれたんだよ」
この幼馴染は、武術には優れているが、情に流されやすいところが弱点だ。
「内紛は共和国の性だ。どうやったってなくならないだろうが……今回、俺があからさまに王国側の犬として動くことで、沸点の低い国民どもは気付くだろうよ。“こんなことしてる場合じゃない”って。向こう十年は、内紛なんて起こらないんじゃないか?」
ちょうど、政府上層部も帝国との戦争に舵を切ったらしい。
リルウ陛下は、それすらも読んでいた。だからユバルに、あからさまな、王国の犬としてのプロパガンダを命じたのだ。これによって、共和国民は、戦争相手としての帝国、それを煽る王国という二つの外憂を得る。
帝国との戦争も、そんなに早くは起こらないだろう。ユバルを通じて、あからさまに国を乗っ取りに来ている王国という構図が、国民感情にブレーキをかけるからである。
まったく、悪役を引き受けてくれたリルウ陛下には、感謝感激雨霰。もちろん彼女にメリットはあるのだろうけれど。共和国は、きっと舐められているんだろうけれど。
それでも、共和国内でどうにかしようとしていた時と比べると、万倍もいい。帝国か王国か、という選択肢だと、血気さかんで身の程知らずの共和国民は、あっという間に戦争に舵を切り、あっという間にボロ負けしていただろう。内紛で鍛えられた、その無駄に高いプライドによって。
リルウ陛下は、共和国民が無駄に傷つくことを回避する策を授けてくれたのである。
だから、これは、願ってもない、良案なんだけれども。
体を床に引き倒され、ひんやりとした刃先を首筋に突きつけられる。
「いますぐ、王国から手を引いて」
「無理だ」
「もっと違う方法があるはず。もっと、誰も傷つかない、良い方法が」
ユバルは嘆息。
「お前は贅沢だなニェルハ。良いか、これは最良の策だ。お花畑で戦争してた国民は目を覚まして身の程を知る。スェル大統領は単純だけど、お前の飼い主は優秀だ。潮目を読むことに長けてる。実際、俺たちが資金協力を結んだら、あっさり帝国を切り捨てただろ。王国への不信は戦争にブレーキをかける。お前の大好きな国民は、誰一人として傷つかな」
ぽたり。
熱いなにかが、ユバルの頬に当たった。
「貴方はっ」
ああ、またか。急に襲ってくる自己嫌悪。ユバルは、ニェルハの目元に手を伸ばした。
「なんで俺、お前を泣かせてばっかりなんだろうな」
「本当だよ、馬鹿ユバル……! どうして私のことをわかってくれないの? どうして、私が貴方を心配してるって、わかってくれないの!?」
ニェルハが、ユバルに抱きついてくる。
「リルウ陛下の策が成功したとして、その未来に貴方がいないことはわかってる。国民が、誰一人として傷つかない? それって、貴方もちゃんと入ってるの?」
「これが最良の策だよ」
ユバルは目を閉じた。処刑された家族が、そこにはいる。早く、そこに行きたくてたまらない。
生まれた環境が異質なことは、外の世界を知らないと気付けない。自虐みたいな王族ジョークを飛ばしながら、なんやかんやで、ユバルは、家族が好きだったのだ。
それこそ、狭いお花畑にいる間は、本当に、幸せだったのだ。そのお花畑には、目の前の女の子もいたわけで。
ーー俺は、お前には、そこにいて欲しいんだ。
たとえ、違う世界に行ったとしても、傲慢だけど、ユバルの帰る場所でいてほしい。
「だから、これで最後な。さよなら、ニェルハ」
今度は、ユバルがニェルハを蹴る。ニェルハは、何かを言おうとしたが……飛来した暗器を避け、窓から出ていった。
「よけーなことを」
扉から入ってきた片眼鏡の従者を、ユバルはじろりと睨んだ。ターゴは、つかつかとユバルの元に歩み寄る。
「良い子ですね、ニェルハ様は」
「そうだな」
「それと同じくらい、ユバル様も良い子ですよ」
「お前、なんか悪いもんでも食ったの?」
「ぶち殺すぞクソガキ……はあ、もう不敬なフリも飽きてきました。若様、お願いです。このターゴに、全ての責を負わせてください」
ターゴの瞳は、どこまでも真摯だった。ユバルの足元に跪く。ユバルは、嘆息。どいつもこいつも。
「お前の命で、賄えると? 俺に、従者に罪を着せた恥知らずになれと?」
「そうです。何も知らない子供でいてください。今まで通り、馬鹿な王族でいてください」
「そりゃ、できないな」
「どうして」
「俺は、共和国の王族だから」
ちゃり。
紋章付きの真鍮製のネックレス。それを掲げて、ユバルは笑った。
「大樹の養分になることが、王族の務めだから」




