氷の花
その男は、ジルトの目の前で、ゆったりと、幸福そうに微笑んでいた。
「やあ。来てくれると思っていたよ」
ハルバと同じ黒髪に黒い瞳。見た目は完璧にクライスなのに、中身のせいで非常に胡散臭い。普段使われていない彼の表情筋が、悲鳴を上げている気がする。
「トウェルおじさんは、何をしたいんですか」
ここは、王立裁判所の応接室。来たる最終審の前に、法廷に立つ証人として、弁護士と面会……という建前だが、実際は証人同士で面会という、奇妙な状況にある。
「おじさんがアヴェイル判事を脅したせいで、俺のところに火の粉がかかりました。いい迷惑です」
「ガウナ君を助ける機会を与えたんだから、感謝して欲しいところだね」
否定しない。どころか、恩を着せようとしてくる。ジルトは、眉をピクリと動かしたが、小さく息を吐いた。
「俺は、アイツを助けたいんじゃないですよ。師匠が間違ってるからそれを正したいし、フレッドさんが後悔するからそれを防ぎたいんです。やり方さえ合っていたら、俺は喜んでアイツを刑場に送りますよ」
「けれど、そんなことはできないと君は理解している。なぜなら、刑場に送ったら最後、四年前と同じことが起きるからだ」
同じこと。ジルトの脳裏に、パーティー会場で、死体となって積み重なっていた人達が蘇る。そこには、たしかにおじさんもいたのに。
「四年前、何が起きるか、おじさんはわかっていたんですよね? わかったうえで、決行した。アイツに、自分を含んだたくさんの人を殺させた。そしてアイツに聖剣を渡した」
ファニタの言っていることが当たっているならば……トウェル王は、読んでいたことになる。
ルクレール・ヘッジに、その良心を発揮する機会を与え、邪魔者のシリウス・スピレードにクーデターの機会を与え。そして、ガウナ・アウグストを追い詰め、復讐の機会を与えた。もしかしたら、ルクレール以前の出来事も、すべて、彼の手のひらの上だったのかもしれない。
トウェル・ソレイユは化け物だ。自分の死すら計算に入れ、こうして、ジルトの目の前に座っている。
どうしてそこまでするのか、ジルトには理解できない。理解できないから、恐ろしい。
「ああ、シルヴィと同じ瞳だ」
嬉しそうに言うおじさんは、四年前に会ったおじさんでしかないのに。
「優しくて、慈愛に溢れている。何もかもを赦してくれる目だ」
「何を赦して欲しいんですか」
「僕が存在することを」
自己嫌悪の塊のようなことを吐いて、トウェル王は、ぱっと手を上げる。
「そんなことを、ガウナ君は言うんだろうね! 彼は僕に似ているから」
「アイツがそんな殊勝な生き物じゃないことは、おじさんも知っているでしょ」
「一族が大事にしていた聖剣を取り戻しに来るほどには殊勝だよ」
その言葉は、ファニタの推測が正しいことを示していた。トウェル王は、聖剣を餌に、ガウナに殺されたのだ。
「……だが、訂正しよう。僕に似ているとは言ったが、ガウナ君は僕よりずっと甘い。故に、捨てきれずにいる。だから、僕が背中を押してやるんだ。それが、僕のしたいことだよ」
「随分、アイツ贔屓なんですね」
「僕は、同胞には優しいんだ」
はぐらかすような言い方だが、背中を押してやるというのが、ロクでもないことなのはわかる。
「よおくわかりました。トウェルおじさんは、俺を揶揄うために、今日ここに呼んだんですね」
ジルトは、立ち上がろうとした。これ以上ここにいても無駄だ。と、目の前の人間の姿がブれる。
「……まあまあ、そう拗ねずに」
疾い。
クライスの体を借りたトウェル王は、にこにこ笑いながら、ジルトの首元に刃先を突きつけていた。
「可愛い甥っ子に会えて、気持ちが昂ってしまったんだよ。許してくれ」
「クライスさんの体、使い勝手が良いんですね」
「甥っ子のところには反応してくれないんだね。そうだよ、彼の身体能力は優れているし……なにより君と同じく、魂に魔力が宿っていないぶん、僕の魂が好き勝手できるんだ」
ジルトが立ち上がるのを諦めると、トウェル王はいそいそと向かいのソファに戻り、
「たとえば、ほら」
ぱちん。
指を鳴らして、手元に花を生み出した。それは、氷の花である。花びらの一枚一枚が精巧にできている、青とも白ともつかない、一輪の薔薇の花。
「触ってごらん」
机の上に、ことりと置かれた薔薇の花を、ジルトはおそるおそる触った。八重咲きの頭を支える細い茎。触っただけで壊れてしまいそうなのに、氷の花は意外にも丈夫にできていた。
こんこん、と机で二、三度叩いてみる。それでも花は割れることがなかった。
「おお……!」
感嘆した。これは一種の芸術作品だ。矯めつすがめつ、照明に反射させたところで、ジルトは、気付いた。
ーーこれ、あの時の氷だ。
「俺のことも殺すつもりですか?」
「そんなことを言われるとは思わなかった。悲しいな、まるで薔薇の魔女になった気分だよ」
泣き真似をするトウェル王を、ジルトは氷よりも冷たい目で見た。トウェル王は、それすら愉しむように笑って、ジルトから氷の花を受け取った。
「とはいえ、自分の体に比べたら、何倍も使い勝手が悪い」
そして、右手でいとも簡単に割ってしまう。机の上に散った氷は、部屋の熱で水滴になり、消えていった。
「こんなふうに、脆いものしか作れない。僕の体であれば、何年も溶けることのない、完璧な、そう、たとえば、花冠を作ることができるよ」
そのときだけ、トウェル王の瞳は遠くを見ていた。
「へー、すごいですね」
「まったく興味がなさそうだね」
苦笑するトウェル王。人を殺めたものに興味はない。いくら綺麗な薔薇が作れたって、人の心臓を凍らせた凶器には違いないのだ。
「僕は愛しい甥っ子にヒントを与えているのに、肝心の甥っ子は全く気づいてくれない」
嘆くように言うトウェル王。
「ヒント?」
「そうだよ。君が刺したはずのガウナ君は、なぜか生きていた。それを不思議だと思わないかい?」
「『アッカディヤの魔術儀式』を使っていたからじゃあ……」
「あれは、そういう術じゃないんだよ。肉体の持ち主が致命傷を負えば、当然憑依後に魂も死ぬ。本来、生きてはいない」
「じゃあなんで」
「これが、その答え。しまった、可愛さ余って答えまで教えてしまった」
うっかりといったように、口元を押さえるトウェル王は、またもや、氷の花を、懐から取り出した。
途端に鳴らされる指。ジルトは、息苦しさを覚えた。ひゅーひゅーと呼吸が薄くなっていく。
ーー結局、殺すんじゃねえかよ!
目の前が暗くなる。机に頭を伏せれば、ことりと何かが置かれた音とともに、声が降ってくる。
「魔術を使えない君に理解させるには、これが良いと思ってね。今日はあまり揺れなかったね。だから、これはご褒美だよ」
と言いながら、ジルトの髪を撫でていく彼が、どんな表情をしていたのか、ジルトには知る由もない。
ゆさゆさ、ゆさゆさ。
「大丈夫かい、君」
「……ん」
のそりと起きれば、心配そうな裁判所の職員の顔。当然、トウェル王はいなくなっていた。
「大丈夫です、ちょっと眠くなっちゃって」
「そうか、それなら良かった。一緒にいたエドガー氏は?」
「そういえば、いないなぁ」
わざとらしい返事をしておきながら、ジルトは、机の上の花を見た。
綺麗な赤い薔薇だ。まるで今摘んできたかのように、瑞々しい。とても、氷で包まれていたとは思えないほどに。
ジルトは、自分の胸を押さえた。とくとく、規則正しい鼓動を感じた。まるで、何事もなかったかのように。
「……そういうことか」
憎らしいほどに赤い薔薇の花を見て、ジルトは溜め息を吐いた。




