迷わない子羊たち
くるり、くるりと、ナイフを回す。よく磨かれている刀身は、照明を跳ね返し、目に眩しいくらいの光を放っていた。それを矯めつ眇めつ、ひっくり返したり振ってみたり。
チェルシーは、ほうと溜め息を吐く。
「うーん、流石はセブンス・レイク。良いナイフを見繕ったね〜。どう? ラテラ、新しい武器にしない?」
「はい、そうし」
「証拠品を携行させようとするな」
ラテラが続きを言う前に、ジルトはチェルシーの頭に拳骨を落とし、ナイフを回収した。
「まったく……これは、俺が預かっておくからな? パフェちゃんも、自分の主人だからって、なんでも言うこと聞かなくていいからな?」
「なんかジルト、ラテラに甘くない?」
「お前が意地悪な分、甘いだけだ」
「むう……」
頭を押さえたチェルシーが頬を膨らませ、「ジルトが意地悪な分甘やかして!」とラテラの胸に飛び込む。どっちが年上だか、わかりはしない。
ラテラは、優しい笑みを浮かべてチェルシーの珊瑚色の髪を撫でた。
「ごめんね、ジルトお兄ちゃん。チェルシー様、人のためになる良いことをしたことがないから、ちょっと悪いことしないと、バランスが取れないみたいなの」
「なんだそれ」
「ラテラ〜!」
チェルシーの頬が赤く染まっているのを見ると、どうやらそれは事実らしい。ジルトは、机の引き出しにナイフをしまった後、頬を掻いた。
とはいえ。
「そうだな。チェルシーとパフェちゃんは、良いことをしたんだ」
チェルシーの認識阻害結界と、ラテラの隠密機動能力があったからこそ、誰にも気付かれずに、リブラ邸に侵入することができた。
いくらアントニーが警邏局と行政局を惹きつけたとしても、中のナイフが屋敷にあったのでは不安が残る。かといって、誰かが屋敷に入ってナイフを持ち出そうとしたら、その時点でアウト。もちろん屋敷の主人であるリラも、屋敷から出た途端に持ち物検査をされてしまうだろう。
だから、アントニーが両局を惹きつけている間、チェルシーが隠密行動に慣れたラテラと共にリブラ邸に潜入。見事にナイフを回収してきたというわけだ。
「力を貸してくれてありがとう。二人がいなければ、リラさんは今頃逮捕されてたんだ。リラさんからも、お礼を言っといて、ってさ」
「……ふ、ふへへ」
「面映いものですね」
目を泳がせるチェルシーと、黄水晶の瞳を細めるラテラ。
「不正ばっかの執行官とはいえ、無実の罪で投獄されたんじゃ可哀想だしね」
「また、そういうことを言う」
素直じゃない奴だと溜め息を吐き、ジルトはチェルシーの前に立った。
「な、なに!? また拳骨!?」
「違う」
そもそも、チェルシーなら、拳骨の一つや二つ避けられるだろうに。
手を伸ばす。
「人のためになることは、なんにも悪いことじゃない。だから、胸を張れ」
チェルシーの髪は、さらさらと指をすり抜けていく。リルウのふわふわした髪とは違って、これもまた良い感触。
青緑の瞳が見開かれ、さきほどの比ではないくらいに顔を真っ赤に染めたチェルシーが、ばっと顔を下に向けた。どうやら、勝手に髪を撫でたのを、許してくれるらしい。「あ」とか、「う」とか、一文字の言葉ばかり発しているが、大人しく撫でさせてくれている。
「……昔、優しい時の母さんが、よくこうしてくれたんだ」
「優しい時?」
「俺はいたずらっ子だったから、怒られてばっかりだった。でも、人のためになる時、良いことをした時に、よくこうして、ご褒美で撫でてもらったんだ」
そう、あの夜も。きっと母さんは、リルウのことを知っていた。パーティーに出ることを拒絶したお姫様と、友達になろうとしたことを褒めてくれたのだ。
「お前、よく考えたら、この国で五指に入るくらい偉い奴だもんな。そんな奴をただ働きさせたんだから、ご褒美くらいはあげなきゃなと思ったんだ。まあ、これは、俺がされて嬉しかったことをしてるだけだけど」
「ううん」
チェルシーが、顔を上げる。
「とっても嬉しい。私、良いことをしてよかった」
あの海の水面を思い出させる、キラキラした笑顔。ジルトの口元も、自然に緩んでしまう。
あんなに悲しい顔をしていた少女が、こんなに明るく笑えるようになった。
ラテラの方を見れば、ラテラもまた、チェルシーに、優しげな瞳を向けていた。
「パフェちゃんも、撫でてやろうか?」
「あ、えっと……」
「冗談冗談。俺は君の主人じゃないから、嫌なことはすぐに断って良いんだよ」
「そして、嬉しい申し出には、すぐに頷かなきゃだめ。勉強になったねラテラ」
ドヤ顔を取り戻したチェルシーが、ジルトから離れて、ラテラの髪を撫で回す。
そんな仲睦まじい様子を見て、ジルトは「アントニーさんにも礼を言わないとな」と呟く。と、ぐりん、とチェルシーが振り向いて。
「アントニーの頭は撫でないよね!?」
「いや、撫でないから」
音声は無しだが、視えたままのことを伝えると、ファニタは面白いくらいに青ざめていた。
なんだか酷なことをしたような気がするが、彼女自身が頼んできたことなのでしょうがない。
「うう、ご褒美は必要だから、必要だからぁ……!」
声がものすごく震えている。
「私も撫でられたいぃ……」
「しっかりしろ、優等生」
とうとう本音を暴露したファニタに、ハルバは冷静に突っ込む。
「今から起こることだから、先にジルトの部屋に行けば、予知を変えることもできるぞ。どうする?」
「そんなことするくらいなら、少しでも、この状況を良くする手段を考える!」
「おー、すごいすごい」
ちょっと寄り道してるが、立派な決意だ。ジルトの意思に関しては関与しないと決めているハルバだが、この予知は、ここ数日、考えに考えている天才へのご褒美でもある。
「それで? 判事がここに訪ねてきた時にどうするかの作戦はできたのか?」
「ええ、できたわ」
嘆くような表情はなりを潜め、彼女は青い瞳を細め……自信たっぷりに、笑った。




