死ぬにはまだ
気付いたら、意識が戻っていた。
この好機を逃す手はないと、クライスは、自身の限界を超え、街中を疾走していた。
逃げるというのは無様だが、現状セブンス・レイクに勝てる手は存在しない。セブンスのそばにいれば、また例の魔術を使われてガウナの枷になってしまう。
ーー自害。
走りながら、クライスは小刀を取り出した。セブンスには敵わないとはいえ、戦闘力には自負がある。だが、その戦闘力も、裁判という法的な力の前では無力。
ーーすみません、ガウナ様。
喉元に刃を突きつけ、一気に引こうとし……銀髪が、視界の端を過った。と、同時に、ぐんと引かれる後ろ首。
「まだ、死ぬには早いんじゃないかな」
その手を、振り払う。
「貴方は誰ですか」
「君のご主人様だよ、って、危ないなぁ」
クライスが突きつけた刃に、主人の形をした何かは、降参というように両手を挙げた。
セント・アルバート学園に行った時のように、普段は緩く束ねている銀髪を、高いところで結わえている。変装といえば変装に見える。
つまり、この人物は、今のガウナの境遇を理解しているということになる。
「さすがは魔女の家系と言ったところかな。ガウナ君は、目立ちすぎる」
それでも、衆目を集めることに辟易したように呟き、その人物は、クライスを路地裏まで連れて行き、
ぱちん。
景色が変わる。これは、“抜け穴”、だろうか。
「貴方は、一体……」
その人物は、表情をわざと厳しくした、ように見えた。
「真の主人の名前さえ忘れたか。なーんてね。ついさっき、前置きが長いと言われたから、手短に言うよ。君が死ぬにはまだ早い。君にはまだ、やらなければならないことがあるはずだ」
真の主人、と言われて、クライスは目を見開いた。が、すぐに否定する。クライスにとっての主人は、ガウナだけである。
クライスのその変化を、寧ろ良しと捉えたかの王は、ひとつ頷き、クライスの両肩に手をかけた。
「君は、気高い烏だ。そこらに転がっている小鳥たちの死骸とは訳が違う。自害なんて、つまらない真似をしてくれるなよ」
「ですが、私はもう、ガウナ様の役に立ちそうもありません」
苦しい思いで、クライスは言った。
「私の体は、何者かに憑依され、裁判でガウナ様の不利になることを証言させられています。これ以上この命があれば、あの方を死刑に導きかねません」
「堅いなぁ」
かの王は嘆息。
「死ぬのは結構だが、もっと有用な死に方をしろと言っているんだ。ただ死ぬのであれば、無様な死骸が残るだけ。どうせなら、その羽を毟って主人を暖め、その肉を主人が食らいやすいように火で炙ってから死になさい」
「火で炙るなら、やはり自害では?」
「違う。君は、太陽に焼かれるんだ」
ぱっ、と手が離される。自分の主人が到底するべくもない笑みを浮かべ、かの王は言う。
「今行なわれている裁判は、眠っている民衆を起こすために過ぎない。いずれこの国の深部に達するための、ね」
まるで先が見えているかのように、確たる調子で言う。かの王は、時々、未来を予言した。
「深部に達すれば、君の一族がしてきたことは、白日の下となる。賢い君なら、もうわかっているね」
かの王の言葉は、クライスの中に燻り続けていた“良心”を掘り起こした。
「御助言、感謝いたしますトウェル王。ひとつ、伺ってもよろしいですか」
「うん?」
「貴方は、どうしてガウナ様を、王宮の地下に閉じ込めていたのですか」
「それは、英雄を呼び出す餌として……」
「ではありません。なぜなら、ジルト様は、すでにシルヴィ様の胎に宿っていたからです」
はじめて、かの王の顔が歪んだ。
「貴方の行動は遅すぎる。終戦を待たず、ガウナ様を攫いに行けばよかったものを、すでにジルト様が生まれるとわかっている状態で攫いに行った。まるで、それを待っていたかのように」
「……」
「もう一度訊きます。貴方は、何がしたかったのですか。いえ」
何がしたいのですか。
クライスに見つめられて、かの王は、またもや嘆息。ただし、その嘆息は、先ほどのような呆れではなく。
「所詮は太陽に焼かれる烏だと思っていたけれど、まさか、こんなに優秀だとは。いやはや、死ぬにはまだ早かったのは、僕だったのかもしれないな」
それから、口の端を吊り上げた。
「死後の世界はある」
「は」
「そこは真っ暗闇で、一人では到底生きていけない場所だ。だが、誰にも邪魔されない場所であることは事実なんだ。まさに、無何有郷。ユートピアさ」
死後に希望を見出したかの王は、「語れるのはここまで」と小さく手を叩いた。お話はおしまい、ということだ。
「それでは、もう一つ別のことを訊いてもよろしいですか」
「質問が多いな、君は」
「なぜ、ジルト様のところに行かなかったのですか。貴方はジルト様のことをたいへん気に入っておられるはずです。せっかくガウナ様の体を手に入れたのなら、あの方の元へと向かうのが自然かと」
「五分だけの逢瀬なんてつまらないじゃないか」
かの王は、藍色の瞳を細めた。
「“またね”は今ではないからね。今は、君のような迷える子羊を導いてあげる時間だ」
「……」
「本音を言うと、今、君に話しておかないと、君に接触する機会がなくなってしまうからね。僕の友人は、二度目を許すほど甘くない」
友人、という時だけ、瞳には柔らかな光が浮かんだ。
「さて、そろそろ五分もおしまいだ。君と話すことができて楽しかったよ。シンス君にはこの場所を伝えておいたから、いずれ迎えにくるはずだ。ガウナ君のことは、ここに放置しておいてくれ。まあもっとも」
放置せざるを得なくなるだろうけどね。
その言葉を最後に、クライスの意識は途切れた。




