二枚舌の弊害
しかし、事態は複雑なのである。
リラは、飴色の瞳を思案の色に沈ませた。
「魔術のことは明かさずに、辻褄合うようにする。これが、私のできること」
「……そんなこと、可能なんですか?」
ジルトが訊くと、リラは頷いた。
「腐っても、名判事の元で仕事ぶりを見ていたからね、丸く収める方法は、心得てるつもり。現在、裁判は公爵に不利に進みつつある。私にとってそれは良いことなんだけれど……自棄を起こした公爵が、いつ魔術で陪審員を殺す暴挙に出ないとも限らない。差し当たって必要なのは、良い役者」
「役者、ですか?」
「そう。この国の裁判は、歪だからね」
肩をすくめながら言うリラ。彼女の家は、代々法律に携わる家系とのことだから、周辺諸国の裁判事例も、それなりには入ってくるのだろう。
「例えば、帝国は、法曹一元制度が採用されてるの。簡単に言えば、弁護士経験を通して、裁判官や検事になるってこと。根っこは同じ。まず、人を助けることを学んでからという考えね。これは、法律家を育てる上で非常に有効なの。入り口を設けることで、共通認識を持った人材の育成もできるし、何より、その統括をする組織があるから、ウチみたいに外部勢力に影響されにくい。まあ一つの組織が強いと、知らない間に腐ってるということもあるけどね。共和国も、内紛はあれど、民主化しているから、法律系は大統領府に集約されている。大統領の権限が強すぎるから、それも考えものだけどね。それに対して王国は、裁判官、弁護士、検事のなり方に、それぞれのルートがある上に、地方の裁判では貴族の権限が強いから、法律家が押し切られてしまう事例も報告されている。それに、上に行けば行くほどに女王陛下の力が強くなり、特に王立裁判所は極刑が確定してるようなもの。確認作業にしか過ぎないから、ここも、裁判のあり方については疑問の余地が残る……って、喋り過ぎたかな?」
「本当にな」
ランスは呆れたように言うが、ジルトは首を横に振った。ただ嬉しかった。
アゼラ伯爵の無念の死。復讐を望んでいた彼女が、正しさについて真剣に考えていることを、実感できたからだ。
リラは、少し顔を赤くして、咳払い。
「とにかく、この国の裁判は、歪ってこと。火刑が罷り通るなんてこの国くらいだし、貴族の権限が強いのもこの国くらい。だからこそ、揺らしがいがある。良い役者さえ用意できれば、たとえば、貴族に裏から働きかけられるくらいの権力を持っていて、手を汚すことも厭わない人物とか」
「なんで俺を見るんだよ」
アントニーが嫌そうに言う。確かに、リラの目は彼に向いていた。
「適任なのは貴方だと思っただけ。御令嬢方と示談で解決したんでしょ?」
「いや、あれは、なんというか……」
アントニーが言いにくそうにする。あれは、シリウス仕込みの洗脳を解いた結果だと知っているジルトは、それを遠回しに言おうとした。が、アントニーは、開き直ったらしい。
「そうだな、俺が適任だ。なにせ俺、人心掌握術がすごいから。な、ジルト。俺に任せとけよ。大丈夫、これは正しいことなんだから。悪いことには使わねえし」
ニヤニヤと悪どく笑うアントニー。
「手始めに、そこの執行官の家にいるだろう警邏隊と行政局員を“説得”してやろうか?」
「え? 私の家に? 何で?」
ジルトは、アントニーの推測を説明した。
セブンスが用意した、出どころ不明のナイフと同じものを用意して、リラを事件の首謀者に仕立て上げようとしている者がいること。その者とはおそらく、リラが匿っており、法廷に引き摺り出そうとしていた『魔女の信徒』の教祖である、シンスということ。
「あの男」
リラは、呆れたような声を出した。
「食べ方から思ってたけど、あんまり品行方正じゃないみたいだね」
警邏隊長は、懐中時計を取り出して、未だ帰ってこない家主を思った。
ここには家宅捜索に来たのだが、本人がいないとなると、分が悪すぎる。
強制的に踏み込むことはできるが、リスクが高い。本人が法曹界の人間であることもそうだが、集った警邏隊を監視するかのような、行政局員たちの視線も気になる。
警邏局と行政局は犬猿の仲。今ここで突入すれば、行政局に弱みを見せるも同然。
ゆえに、警邏隊は、リブラ邸に踏み込むことができずにいた。
これを打破するには、行政局員をどこかにやるか、リブラ執行官が帰ってくるか、しかない。
ーー行政局の野郎に告げ口したのは誰だ。
舌打ちもしたくなろうものだ。
三件の事件について、第一審で有罪が決まった公爵は、確かに潔白とはいえないだろう。だが、それを追い詰める行政局の動きに、警邏局上層部は不審を感じていた。
行政局は、王都の禁域調査に行った時から、アウグスト公爵の味方だったはず。それを手のひら返して追い詰めるのだから、何かがあったことは明白。そして、上層部は、ある情報を入手した。
……今回の出来事には、リブラ執行官が深く関わっている。
行政局が手のひらを返したのは、ソマリエ裁判所が、禁域について重要な証拠を握っているからだ。
あのオカルト局には辟易としていた。少し前まで行政局と繋がっていた公爵に味方をするのは癪だが、憎き行政局の弱みを握ることができるのは僥倖。そう思っていたのに、それを察知されて待ち伏せされるとは。
ーーだが、ここに野郎どもが来たということは、やっぱり、リブラ執行官が関係してるってことになるか。
警帽のひさしを直しながら、警邏隊長は確信を深めた。
そんな、警邏隊長の様子を見ながら、とある一人の警邏隊員は、向こう側にいる、内務省行政局から派遣された行政局員と、密かに目配せしあった。
ーーもう、争いは懲り懲りだ。
どっちが古いかとか、新しいかとか。老害とか若輩とか。帝国はいつ攻めてくるかわからない、共和国の王子の動向の不穏さなど、憂慮すべきことはたくさんある。
皆、正義を全うするべき仲間なのに、こんな仲間割れをするなんて、不毛としか思えない。
……警邏隊長は知らないだろう。警邏局の上層部も、公爵と繋がっていたことを。公爵の二枚舌外交を。
それが、とある人物の手で明らかになった時、前途ある若者たちは、こう思ったのだ。
争いなんて馬鹿馬鹿しい。結局、対立構造を深めて、利用されるだけじゃないか。
故に、彼らは、手を取ることにしたのである。いがみ合っている上層部たちを無視して、これから未来を作る自分たちで、自分たちの正義を作っていく。
そのために必要なのは、行政局と警邏局の解体、すなわち。
旧政権の、膿を出し切ることである。
ブランは、眼下にある運河を見て、笑みを浮かべた。
「義父さん、あと、もう少しだよ」




