水圧
目の前の金髪の少女が語ることは、リラにとって、到底信じられない話だった。
急に背中を押されて水の中にドボンと落とされたような感じだ。しかし、息ができないというわけではない。水中を目を凝らして見る余裕がある。
これはひとえに、少女の語り口が平易で、少しずつ少しずつリラに理解させようとしているからだろう。少しずつ、少しずつ。水圧を上げていっているのである。
「御伽噺は本物です。父は、王家の醜聞を隠そうとしましたが、研究自体が陽の目を見ないことを残念に思っていたんだと思います……そこで、伯爵を利用することを考えた」
自分が死ねば、残った研究は娘が引き継いでくれる。“遺志”という呪いで、答えに辿り着いてくれる。
「そんな打算があったんだと思います」
全て推測だ。推測だけれど、ファニタの静かな瞳は、確信を持っていた。
「伯爵は、私が完成させた論文を読まずに、自分で答えに辿り着くと言っていました」
「あの人らしいなぁ」
リラは、くすりと笑った。
悪いことばかりしていたあの人のことを調べていく中でわかったことは、案外負けず嫌いということ。特に、ヘルマン・ラートという暗殺者に関しては、あの恐ろしいシリウス・スピレード内務大臣とやり合った末に、配下にしたとか。
「……だから、伯爵が気に病むことはなかったんです。父“も”悪いんですから」
そう言うけれど、彼女は“許していない”。言い方からしてわかった。
……そこで、リラは、伯爵が手紙を送ろうとして、送らなかった理由を理解した。同時に、自分のしたことの無粋さも。
彼は、許されたいと思いながら、許されてはいけないとわかっていたから、あの手紙を送らなかった。自分の中に留めるつもりだったのだ。
封をされないで、封筒に入れられていた手紙は、はじめから、送るつもりのない手紙だった。
送られるとしたら、それは、論文が完成した時だ。
「もう一度訊きます、リブラ執行官。貴方が、『魔女の信徒』の教祖を法廷に立たせようとし、そして。あの手紙を送ったのは、何故ですか?」
「……あの人の悪事を暴こうとしたから」
心の奥底にあったものを、リラは素直に吐いた。ファニタ・アドレナは優しかった。きっと、会ったこともない彼女の父も、こんなふうに優しいんだろうと思うほどに。
彼女は、自分の父も悪いと言うことで、リラの心を軽くし、きっかけを作ってくれたのだ。リラが見ようとせずに、結局見てしまった、あの人の悪いところを。
「あの手紙を読んでから、あの人が本当に喜ぶことを考えたんだ……復讐は、私の自己満足でしかないから。どうしたら喜ぶのかを考えた。自己顕示欲が強くて、プライドが高くて、小心者のところがあるあの人が」
「お前、本当にアイツのこと好きだったんだよな?」
ランスの確認するような声に、リラは迷いなく頷く。
「そんなところを含めて好きなの。あの人が、私の目を褒めてくれたのは、きっと、私があの人に似てる目をしてたからだね」
初めて会った時、きっと、リラの瞳には光がなかった。嘘を吐いてまで、光を与えてくれたのは、あの人なのだ。
「だから、罪を暴けばあの人の心も軽くなるだろうって思ったんだ。でも、余計なことだったみたいだね」
所詮自分は、第三者でしかない。一度会っただけの、他人でしか。
そんな寂しさを押し込めて、「でも」とリラは続ける。
「復讐は、するつもり。あの人が何にも言わないで処刑された理由はわかった。良い機会だと思ったんだね、罪滅ぼしの。だけど、それは間違ってる」
「はい、私もそう思います」
おそらく、リラとファニタの思いは違う。
ーーこの子達は、私の復讐を肯定してくれるんだ。
「だから、別に裁判でなくても良いですよね?」
にっこり。笑いながら言われて、リラは考え込んでしまう。
こうして、リラのやりたかったことを突きつけられたことによって、あの人の悪事を暴いてもいいかなという気持ちにはなった。けれど、今度は別の問題が襲いかかる。
灰色の髪の少年を見る。殺すと容易く口にした少年は、一体、何を考えているのか。
ーー私の場合と、ジルト君の場合だと違うのかな。
実の両親を殺されたのと、一度会っただけの人を殺されたのと。
ジルトは、『一回殺してるから』と言った。そのあとあまりにも自然に、馴れ初めを訊かれたから、訊きそびれてしまったけれど。
「ジルト君は、どうして彼を殺したいの?」
「それが、俺の義務だからです」
「義務?」
「はい。さっき、一回殺してるからって言ったでしょ」
やはり、聞き間違いではなかった。夢と現の境目のようなところにいるような声は。
「俺が、裁判でアイツを裁くことをしたくないのは、俺が殺したいからです。一緒に殺しましょうって言ったけど、それだけは譲れません。俺は……アイツを、殺さなければいけない」
責任感、強迫観念。それらが混じっている言葉は、とても重く聞こえた。
「今度こそ、俺はアイツを終わらせないといけない」
今度こそ、リラの体は水圧に耐えきれなかった。
御伽噺は実在する。
リラが復讐を目論む男こそ、アゼラ伯爵が求めてやまなかった薔薇の魔女の生まれ変わり。そして、目の前の少年こそが、薔薇の魔女を殺した英雄の生まれ変わりなのだ。
法律という、人間社会の最たるものに触れてきたリラにとっては、受け入れ難いものだった。
そういえば、少し前、エリオット・ノーワン事件で、ダグラス一族には予知能力があると暴露されたが……それは、個人のプライバシーや、彼らが今まで行なってきた汚職に焦点が当てられたのみ。
リラも、これでリルウ政権の人材が減る、くらいにしか認識しなかった。
だが、今明かされたことは、さすがに、堪える。
「じゃあ、なに? あの男には魔術という力があるから、いざとなれば裁判所の人間を皆殺しにして逃げおおせるってこと?」
「そういうことになりますね。なんでまだそうしてないのか、疑問ですけど」
頭がくらっとした。あの男が大人しく有罪判決を受けているのは、最終手段があるからだ。
リラが明かしたくなかった伯爵の罪は、まだ水深が浅かったのだ。その下には、暗い暗い水底がある。
それを思い知らされたリラは、
「……そうだね。どうせなら」
飴色の目を閉じて、開いた。
「できるだけ、光を当てたいかも」
それが、リラの本心だった。




