忘れられない人
老人は、うんざりしたような表情だった。
「ああ、あんたもかね」
「……も?」
青年は、目を見開いた。こんなことをやっている人間が、他にもいるというのか。
「もっとも、あちらには貧民街の女王様がついてるから、あんたみたいに当てずっぽうというわけではないかもしれんがね」
貧民街の女王とは、最近公爵に返り咲いた、とある一族の生き残りのことを指す。
「その、女王様はどちらへ行ったかわかりますか?」
「ん」
老人は、北の方向を指さした。
「“落ちる靴通り”に行くと言っていたよ。ワシが教えた店に行くそうだ」
貧民街、深部。青年は老人に礼を言って、歩き出した……。
チェルシーは首を傾げた。
「んー、あそこだと思ったんだけどなぁ。まさか私とあろうものが、一発でたどり着けないとは」
「まあ、俺の師匠だからな」
「なんで得意げなんだよ」
なぜか嬉しそうなジルトに、ハルバが突っ込みを入れる。
「それにしても、すごいですね、チェ、ディーチェル公爵!」
「あ、チェルシーでいいよ。ファニタちゃん」
「じゃ、じゃあチェルシーちゃん! ナイフの特徴を聞いただけで、出どころの当たりをつけるなんて!」
キラキラした目でファニタがチェルシーに迫る。チェルシーは苦笑した。
「ファニタちゃんが特徴を覚えててくれたからね、それが功を奏しただけだよ」
「えへへ……」
と、ファニタが照れ笑いをした時。
「なあ、なんで俺もここに連れてこられてんの? あのクソ公爵の無実を証明するのとか、嫌なんだけど?」
「アントニーお兄ちゃんは、たくさん危ないところに行っていて、悪い人たちに顔が利くでしょ?」
「それ、褒めてんの?」
微妙な表情をするアントニーが、頭の後ろで手を組みながら、たらたらとついて行き、海に行ってから喋れるようになったラテラが、済ました顔でさっさと着いていく。
「大丈夫、いざとなったら、私がみんなを守るから」
「頼もしいよ。ありがとう」
ジルトが微笑むと、ラテラは赤面し、アントニーはつまらなさそうな顔をした。が、
「こんなことに巻き込んでしまってすみません、アントニーさん。だけど、アントニーさんの裏社会の力が必要なんです」
「それ、褒めてんの?」
「褒めてます」
「なら、いいか」
と、自分も単純になるアントニーである。
「あ、ほら、見えてきたよ。あそこだよあそこ!」
チェルシーが指さした先には、いかにもといった店構え。
だが、店主は首を横に振った。
「いや、そんなのは、ここで扱ってはいない。扱っているとしたら、さっきのジジイのとこだ」
「あ、合ってたんだ」
と、チェルシーがぽかんとして言うと、ファニタが顔を青ざめさせた。
「嘘を教えられたってことは……はやく、引き返さなきゃ! 逃げられちゃう!」
あの骨董商の老人は、口止めされていたということになる。
つまり、チェルシー達が探りに来た時に、すでに危機を感じて店を畳んで、逃げられてしまう恐れがあるわけだ。
さきほどの店(といっても地面に商品が置いてあるだけである)の前に行くと、ものの見事に、もぬけの殻だった。
「やられた」
チェルシーが悔しそうに言った、そのとき。
「チェルシー様」
ラテラが、一同の前に進み出る。前方から、こつ、こつ、足音が聞こえた。
ここは、王都の陽の当たる場所ではなく、貧民街から少し入った場所にある。どのみち、ここにいるのは、ロクな人物ではない。
路地裏から、足音の人物が出てくる。ラテラが隠しナイフを取り出し、構える。
こつ、こつ。
暗がりから出てきたのは、ダークブラウンの髪を撫でつけた男と、
「あっ」
その男にがっちりと首をホールドされている、老人だった。
だが、ジルトが声を上げたのは、そのことではない。
「貴方は……」
「君は」
双方、目を丸くした。
暗がりから現れたのは、あの現場に駆けつけた、ソマリエ裁判所の執行官の片割れだったからだ。
ランスは、老人を地面に下ろした。
「とっさに隠れたんだけど、そうか、ナイフを探していたのは、君たちだったのか」
セント・アルバート学園で会った三人を認めて、ランスは笑った。
「どうして貴方が、こんなことを?」
「……この裁判、少しおかしいと思うからだよ」
灰色の髪の少年の質問に答え、ランスは自嘲しそうになった。ほんとうに、なんで自分はこんなことをしているのだろう。答えはわかっているのだが、認めたくない。
「このご老人は、俺が尋ねた時も店を畳もうとしていたが、尋ねた後、物陰から見てたら、いっそう慌てて店を畳もうとしてたからな。なんだか怪しいと思って、話を聞こうとしたら、逃げようとしたんだ」
それで捕まえたところに、少年たちが来たわけである。
「君たちこそ、どうしてここに?」
「それは……」
少年は、少し迷った後、キッパリと言った。
「俺は、師匠を止めようと思ってます」
「師匠?」
「はい。セブンス・レイクを、殴ろうと思っています」
「そうか、奇遇だな」
あまりにもまっすぐな目をしてくる少年に、ランスは偽ることをやめた。
「俺も、止めたい人がいるんだ。殴りはしないけど、目を覚ませって言いたい奴がいる」
「それって」
「リラだよ。君たちも見たと思うけど、俺と同じ執行官の女。俺はアイツに、もう、傷ついてほしくないんだ。アイツが好きだから」
「それって……」
一緒にいた少女達から、妙にキラキラした目線を感じるが、ランスは苦い思いと共に首を振った。
「“俺が”好きなだけだよ。一方的な片思いだ。なにせアイツには、忘れられない人がいるから」
そう、それが、この裁判が始められた理由であり、リラが暴走している理由なのだ。
「忘れられない人、ですか?」
灰色の髪の少年が首を傾げる。ランスは頷いた。もう星になって、絶対に勝てないアイツの名前を口にする。
「ゴート・アゼラ伯爵。今年の春に処刑されたあの人のことを、リラは愛してたんだよ」




