正義の女神
ソマリエ裁判所の判事が使う木槌は、代々受け継がれてきたものらしく、それすなわち、王都を襲った幾度もの火事を免れてきた神聖な代物らしい。
法律は、人間社会の最たるものなのに、そこに妙な神話をくっつけるところが、シンスには理解できない。素直に分けてればいいものを。
たかが木槌ひとつに、歴史だの権威だのをごてごてにくっつけるあたり、ソマリエ裁判所の品位が疑われそうなものである。
……と、シンスがやや荒み気味に、心の中でソマリエ裁判所を批判するのは、今朝の新聞に載っている内容ゆえに、である。
「あのクソ公爵、何してんの?」
ここは、王都のとある屋敷の一室。
改心(?)したユーフィット医院の院長レイデス・ユーフィットに、地下室から追い出されたシンスは、『魔女の信徒』の信者の家に、一時的に住まわせてもらっていた。
朝食のパンにかぶりつく。やはり、金持ちの家のパンは美味い。ベーコンとチーズという異なる塩気の効いた食材を挟むことで、美味さは二倍になる。
ちなみに、シンスが美味そうにパンに齧りついているのを見て、お嬢様育ちの屋敷の主人はドン引きしていた。信者のくせにドン引きするな。
それはおいておいて。今は、あのドジ踏んだクソ公爵のことを考えねばなるまい。
「なになに、殺人罪に、偽証罪? これはどう見てもハメられてんだろ〜。偽証罪は、わかるけど」
自分の崇拝する魔女の生まれ変わりが逮捕されて、拘置所に勾留されているというのに、呑気なことを言うシンス。なぜなら。
「ま、こってり絞られたあとに、いつもの判事が助けてくれるだろ」
いつもの判事とは、ソマリエ裁判所の判事、トラス・アヴェイルのことである。
あのクソ公爵が、公爵になってから四年。一所懸命ゴマ擦りゴマ擦りしてきて、旨味も多少は与えてやってるらしいから、そう簡単に、切られやしないだろう。
ソマリエ裁判所の木槌には、歴代権力者の手垢もべったりくっついているのだから。
まったく、反吐が出る話である。シンスは迫害される側の異端として、それをコーヒーで飲み流しながら、なおも記事を読む。
「なになに? 『殺害されたのは、元・王都通信社記者ソフィア・アルネルト。ソマリエ裁判所の執行官らが駆けつけたときには、現場に夥しい血痕が残っており、アウグスト公爵は、フレッド・シュルツを殺そうとナイフを振り上げたところだった』……ていうか、ソフィア・アルネルトって、マジで生きてたんだな」
なんだか、ややこしい事件だ。死んだと思われていたソフィアが、また殺された。しかも、その間には、あの英雄信者の死も挟まっている。
シンスは、朝食を食べ終わり、椅子の背に凭れた。金持ちの家は、天井も金持ちだ。さすがは侯爵家、といったところだろうか。宗教画らしき絵が、天井に描いてある。
天使と悪魔の対立? その間に立つ変な女が持ってるのは、天秤と剣だ。
「うん?」
はて、これ、どっかで見たことがあるような。
考える間もなく、視線を落とせば、その正体は見つかった。紙面の中に。
「あ、これ、やべえな」
自慢じゃないが、シンスの勘はよく当たるのだ。
シンスは、こんこんと壁を叩いて、虹色の枠を出現させた。大体四百メートルしか移動できないが、ここを脱出するには充分だろう。
食事は美味かったが、罠の匂いがぷんぷんする。しょうがない、また別のところを探すか。
綺麗に平らげられた食器を前にして、彼女は舌打ちをした。食べるだけ食べていきやがって。
新聞なんて与えないようにしてたのに、どこから持ってきたのやら。そう思ったが、首を振った。決まっている、あの忌々しい魔術とやらで、街に出て、新聞を買ってきたのだろう。
「別の新聞を与えておくべきだったねー……」
よりにもよって、ソマリエ裁判所の外観の写真を載せている新聞を買うなんて、悪運の強い男だ。
彼女は、ぐしゃりと新聞を握りしめた。
代々彼女の家を守ってくれた正義の女神様は、優しく彼女を見下ろしている。だが、これが仇になった。だが……彼女には、正義の女神の目隠しはすれども、その姿を覆い隠すことは、できなかった。
彼女は、敬虔に手を組み合わせる。
「正義の女神様、どうか、お赦しください……そして、お父さん、お母さん、どうか、私の戦いを見ていてね……大丈夫、これは、正しいことなんだから」
彼女は、リラは、閉じていた目を開いた。飴色の瞳を細める。
「正義は、悪を絶対に許さない。“間違った正義”は、絶対に許されない」
呪文のように呟いて、リラは、部屋を後にした。
残っているのは、シンスが置いていった新聞のみ。
『裁判は、ソマリエ裁判所(写真)で行なわれる。かつては裁く側として、名采配を振るってきたアウグスト公爵だが、今度は裁かれる側として、裁判所に赴くわけである。
信の厚い公爵が裁かれることに、疑問を持つ声は少なからずある。だが、今回のことに際して、とある裁判所関係者はこう証言した。“我々は、これまで公爵が行なってきた裁判が公正であると信じています。ですが、この裁判の結果次第で、それも揺らぐことになるでしょう。いちばん恐れているのはそのことです。しかし、この裁判は、回避できないことなのです。なぜなら、確たる証拠が、すでに挙がっているのです”』




