俺じゃなかったんだ
鼻歌を歌いながら、掃除用具入れに手を伸ばし、引っ込め、結局、開いた。
「もう、後戻りできないもんな」
用具入れに入っているのは、綺麗に畳まれた門番の制服。アイツが離脱した後に、残していったものだ。
フレッドは、それを手に取った。先輩の説明によると、フレッドがこの行動をした時点で、決定権を得られる、らしい。
久しぶりに袖を通した制服は、なんだか息が詰まるような気がした。
……アイツのナイフを拾ったのは、気まぐれだ。
制帽を被り、ぎゅっと庇を下げる。視界が狭くなるが、そんなのはハンデにならない。
「“誰だかわからないようにしたいから、そんなにきっちり着るんでしょ〜”ってか?」
アイツの軽口を思い出しながら、フレッドは、笑っていた。
笑っていたはずだった。
もとより、殺すつもりはない。殺したら、それは妥協じゃなくなるからだ。
だから、ジルトのことはナイフで脅して、あとは動けなくなるくらいに壁に叩きつけよう。そう思っていたのに。
「やっぱり、フレッドさん、なんですよね?」
静かな草色の瞳が、制帽の陰になっているフレッドの瞳を射抜いた。
「…………クソッタレ!!」
ナイフを握ったまま、フレッドは叫んだ。
知らない門番として、殺されるつもりだった。殺すしかない道を選ばせるつもりだったのに。
「なんで、ソフィアさんを殺そうとしてるんですか?」
「そうしなきゃ、コイツには勝てないからだよ」
フレッドは、ガウナを指さした。大丈夫、まだ、殺されるのはソフィアだと、あっちは思ってる。
「いや、勝てないじゃねぇな。コイツを、殺せねえからだ」
四年前の炎を幻視する。人を火だるまにし、のたうち回らせたあの炎を生み出した男に、どうして殺さないという選択肢を選べる?
魔女の生まれ変わりは、藍色の瞳を細めていた。くだらない、そう言いたげな瞳に、フレッドは舌打ちする。
ーーお前にとって、積み上げた死体は、死体でしかないんだろうな。
どんな名前がついていて、どんな人生を歩んでいて、どんなふうに、幸せだったのか……そんなこと、考えもしないんだろう。
「俺はコイツを殺すためなら、喜んで死体になる。殺される覚悟が、ある」
「よく言った」
上機嫌な声が、聞こえた。フレッドは、ほっと息を吐いた。
元の姿を取り戻したセブンスは、堂々とドアの方から入ってきて、ゆるりと、ハルバを指さした。
「なあ、そこの。ジルトがフレッドの名前を呼んだ時、誰を視た?」
「あ……」
ハルバが、可哀想なくらいに顔を青ざめさせる。セブンスは、底意地の悪い笑みで、にんまりと笑った。
「それが真実か、フレッドの魂を視て、確かめようとしたんだよな? つまりーーその瞬間だけは、ソフィアを視なかった。目を、離した」
フレッドは、能力者ではない。だから、なぜ、ハルバがこんなにも死にそうな顔をしているのかわからない。
「お前は、この場の決定権が自分にあるという自覚がないな? ハルバ・ダグラス」
「……」
「勿体無いな。せっかくお前には魔法が残ったってのに。持ち主がこれじゃあ、宝の持ち腐れ。俺の方が、よっぽど上手く使えるよ」
たっぷりの皮肉を込めて、言う。ないはずのものを弾く動作をしながら、セブンスは、口の端を釣り上げた。
「だから、こんな俺でもソフィアを殺すことができる」
セブンスの動作は、いちいちゆったりとしていた。まるで、自分に注意を惹きつけるように。
事実、この場にいる人間は、彼の一挙手一投足を見つめていた。場を、支配しているのは、間違いなく、セブンスだ。
ーーああ、そうか。
乾いた笑い声が漏れた。
ーー俺じゃ、なかったんだ。
ナイフを、握る。ファニタが、小さく声を漏らした。
フレッドは、ジルトの腹を蹴って壁に叩きつけた後、そのまま、ソフィアを睨め付けた。
ーーもう、殺されるチャンスはなくなった。だったら、俺には。
ハルバが瞳をもう一度光らせるが、遅い。
セブンスのことを見ていたソフィアは、くるりと振り返った。諦念の光が、その瞳に走るのを、フレッドは、見た。
「どうせなら、ここに、してください」
とん、と。
綺麗に笑って、ソフィアは、首を指さした。
要望通り、フレッドは、ソフィアの真っ白な首に、銀の刃を走らせた。噴き出す血液は、フレッドの上に、びちゃびちゃと降り注ぐ。
「あはは、残念でしたねフレッドさん」
死ぬ寸前だというのに、ソフィアの笑みは勝ち誇っていた。
「選ばれたのが、私で!」
弱々しさなど、微塵もない。ダグラスの少女は、最後に瞳を光らせた後、静かに、床に倒れ伏した。
「お前は単純で、実に踊らせやすいな、ダグラスの。おんなじ間違いを二度繰り返すなんて」
瞳は燃えるように真っ赤なのに、この、ナイフを伝うソフィアの血のように真っ赤なのに、どこまでも冷めている。
「所詮、神からの借り物か」
だが。
「なるほど、エリオット君が言ったことは、正解だったわけだ」
後悔するでもなく、憐れむでもなく。ただただ、事実を確認しようとする元凶が、フレッドの前に立つ。
「信じてやれば良かったな」
悲鳴は漏れなかった。漏らす余裕もなかった。めり込んだ膝は、すべての内臓機能を一瞬でダメにした。
拍子に、フレッドの手からナイフが離れる。それを拾って、魔女はフレッドに、ナイフを振り下ろした。
ーーお前、この期に及んで、俺がそうだって可能性を捨ててないのか?
ソフィアの最期を見たのならわかるだろう。殺されるのは、俺じゃなかったんだ。あの人が魔術を得ることができるのは、俺の死じゃない。
「クソッタレが……」
先輩は俺を助けようとするだろう。それこそが、俺の死が無為なことの証明だ。
四年前の奴らみたいに、俺は意味もなく死にたくない。価値のある死に方をしたいのに、それはもう、叶わない。
ーー……。
ーーもう、いいかな。
これ以上ないほど、自分が無価値だと思わされた。もう、生きてなくてもいいかな。
「諦めるなよ、フレッド。お前には、まだ、やるべきことがある」
誰よりも認めてもらいたい人の声が飛び込んできて、同時に、フレッドを押さえつけるガウナが、蹴り飛ばされた。
「現行犯っ、現行犯ですよ公爵ぅ! 二人も殺すなんて、悪いんだぁ」
「子供みたいな煽りをするなよ……それはともかく、公爵。これはどういうことか、話を聞かせていただいて良いですか?」
「……君たちは?」
高潔、清廉。真白の制服を纏った彼らに、フレッドは、見覚えが、ある。
「……そういうことか」
ガウナは、澄ました顔をして立っているエベックを睨んだ。そんなガウナに、謎の二人組はにんまりと笑う。
「いっつも上司がお世話になっておりますアウグスト公爵! 私たちは、ソマリエ裁判所の者です!」
「今回、貴方を裁判所に引っ立て、じゃねえや、出廷命令を言い渡しに来ました」
「なんの罪で?」
「そりゃあ、もちろん! 殺人罪と、偽証罪です!!」




