どうしてこの人は
相手を殺すには、自分も同じくらいに泥を被らなければいけない。
……妥協はあるか?
ある。なぜなら、ディーチェルがそれを証明しているから。
それを考える時ーー不思議とガウナは、自分の足元に、汚泥を見た気がするのだ。泥なんてちゃちなものじゃない。人間の、穢い部分を集めに集めた、どろどろの塊。一度足を取られたら、もう戻って来れなくなることがわかる、そんな物体。
それに身を沈ませることの、なんと狂気なことか。汚泥に沈んで、呼吸ができなくなる時には、もう手遅れなのに。
「まったく、天才の考えることは、わからないな」
「……」
ソフィアは、偶然視てしまったガウナが、自分に向けて放った言葉を反芻していた。
『君もセブンスに、使い捨てられるよ』
うすうす、思っていた。戦争を防ぐだけではない、たぶん、帝国は、最初から踏み台だったのだと。
だが、セブンスが次の目的地と標榜する共和国は遠く、ユバル王子たちが入ってきたルートもまた、今は帝国領になってしまったヒルレアンを通るルート。空間魔法を使えなくなってしまったセブンスが共和国に渡るには、帝国の目に触れる必要がある……。
だから、完全にラミュエルを切ることはしない。そう踏んでいたのに。
わかり切ったような公爵は、皮肉げに笑いながら、こう付け足したのだ。
『フレッドを殺させられた後に、きっと』
ーーどうして、私がフレッドさんを殺す必要があるのだろう?
わざとらしく考えてみるが、心の奥底では、わかっていた。それは、どうしてラミュエルに魔術を教えなかったのかと訊いたときの話。
大切な人を殺させて、その魂を神と契約させる。それが、神様のいない世界で、魔術を得るための裏技。
セブンスは、それを実行しようとしているわけである。大切な人というのが、どの程度なのかはわからないが、学園の後輩で、トウェル以外に友達がいないと思われていたセブンスに接触できるだけで、“大切な人”の分類に入るのではないだろうか。
ガウナがセブンスの目的に気付くことを織り込み済みだとしたら、ソフィアを殺人者に選ぶことも頷ける。
ーーでも、私は予知能力者だ。
私は、フレッドさんを殺す未来を、回避することができる。それは、セブンス様もよくわかってると、思うんだけど。
「くだらないこと、考えてるな?」
“左耳”を弄びながら、疑惑の人が、姿を現す。王都のとある宿。そこに、セブンスとソフィアは逗留していた。
「俺のこと、信じられなくなってきただろ?」
「しょーじき、そうです」
ソフィアは、帝国のものとはだいぶ質感が落ちる椅子に座って、子供のように膝を抱えて丸まった。
「貴方が、何をしたいかさっぱりです。どうしてそんなことを、嬉しそうに言うのかも」
どうして、人の心が読める左耳を、わざわざ神から刈り取ったのかも。
「私の思考、読めてるでしょう? 私は、セブンス様を疑っています」
「ふぅん?」
「私は、貴方を、後輩さえ殺させる人間だと思っているってことなんですよ!?」
「それ、当たってるからな」
あっけらかんと言われて、ソフィアは、きっ、とセブンスを睨んだ。
『王都通信』の記者の端くれとして、殺人事件があれば、その凶悪性と派手さに歓喜し、貴族の汚職疑惑があれば、該当する貴族をノイローゼになるまで追跡して追い込んだ。
自分がそんなに綺麗な人間ではないことはわかっている。だから、これから言うのは紛うことなき綺麗事で、甘ったれた言葉である。
けれど、言わずにはいられなかった。
「貴方を疑うのは、苦しいです」
ソフィアは、苦渋に歪んだ顔を、セブンスに向けた。
「言ってください。貴方は、優しい人間なんですよね? フレッドさんを、殺しはしないんですよね?」
「いいや? 殺すよ」
清々しいほどの笑顔だった。
「あの公爵の探偵スキルを舐めてたな。まさか、俺の狙いに気づくなんてな」
「私は、殺しませんよ……」
「いいや。お前はフレッドを殺す。予言してもいい」
「私だって、傍流とはいえダグラスです。エリオット・ノーワンがいなくなった今、私に勝てるのは、ダグラス本家だけ……」不意に、暗闇が襲ってきた。
部屋の明かりが消えたのではない。未来が視えなくなったのだ。
「あ……なんで」
決定権が、奪われた。なんで、どうして。決まっている。
「なにも、予知はダグラスの十八番じゃあない。それなりの人物を殺されてれば、“資格”は与えられる。ま、俺のは銀貨ってところだけどな」
「だって、貴方の予知は、魔法のはず」
「両方、持ってたとしたら?」
くらりと眩暈がした。エリオットに会った時の、絶望を思い出す。
強くなったと思っていたのに。
「じゃあ、どうして私を拾ったんですか……!」
魔法では難しい、“過程”を補うために拾われた。役に立てると、思っていたのに。
「決まってるだろ。俺以外に、フレッドを殺させるために拾った」
眩暈が治った。ソフィアは、椅子から飛び降りて、手を振り上げた。
躱されると思った。それなのに、彼は躱さず、激しい音が、室内に響いた。
わざとらしくよろめいた彼に、ソフィアは、目に涙を溜めて叫んだ。
「貴方の生き方は、悲しすぎます……! どうしてそんなに、自分が傷つく生き方ばっかり…………なんで、笑ってるんですか」
「いや、本当に単純だよな、お前って」
「〜〜っ!!」
ーー私ばかり、私ばっかりだ!
なんで笑っていられるの。人の本心ばっかり読んで、自分の本心は教えてくれない。
助けてくれた時、この人に尽くそうと思った。稀代の魔術師様は、本当は優しいのだと、思いかけていた。
それなのに!
どうして私じゃないんだろう。
場違いな感情が、心に浮かんだ。ソフィアは、取るものをとって、扉に手をかけた。
「もう、貴方には付き合えません! 私は私のやり方で、魔女を殺してみせる!」
不思議と、セブンスは、ソフィアを捕らえようとしなかった。未練など何もないかのようなその反応に、安堵して、失望した。
ーー結局、私は、あの人にとって必要じゃなかったんだ。
ソフィアは、走った。今にも泣き出しそうな空の下、王都の大通りを、走った。
目指す場所は、ただ一つ。
鈍く光る時計台。
荒く息を吐きながら、ソフィアは、黒髪の彼に助けを乞うた。
「お願い、あの人を、助けてあげて……!」




