増える不正解
チェルシーは、青緑の瞳を輝かせていた。なぜかといえば、好きな人が、自分を頼ってくれたからである。
それと同時に、申し訳なさもあった。枕の下に隠していたというあのナイフを、ジルトをさらう時に一緒に持っていけばよかった。
と、思っていた。彼に会うまでは。
「急に呼び出してごめんな。そういうわけで、新しいのを売って欲しいんだ」
学園に帰ってきた時、ナイフが無いことに気付いた。このナイフのことを知っている人は限られるし、部屋には鍵がかかっていたから、普通の物盗りの犯行ではないんだろう、というのが、ジルトというか……彼の弁。
ジルトの部屋の匂いを思う存分吸い込んだ後、チェルシーは、すうと目を細めた。
「売るのは良いけど、ひとつ聞かせて。どうして、また、刃物が欲しいの?」
「あの公爵が学園に来れるとわかった以上、護身用のナイフくらいは欲しいと思ったんだ」
「……ふーん」
チェルシーは、彼から視線を外して、刃物を見繕う。
「あ、これとか良いんじゃない?」
わざと魔力の低い物を渡せば、彼は苦笑した。
「もう少し、別のものはないか?」
「じゃあこれ」
今度は、それよりマシなものを。
「いちばん良いのをくれ」
「……なんだ、やっぱりわかってるんだ。英雄は、魔力を持たないんじゃなかったの?」
「そっちこそわかってたんだな。さすが目利きのディーチェル。好きな男のことを嗅ぎ分ける能力も長けてるんだな」
隠そうとしなくなった英雄に、チェルシーは溜め息を吐いた。
「ナイフが無くなったというのに、落ち着いてるのがおかしいと思ったんだよ。誰かを傷つける可能性がある物が無くなったのに、ジルトが慌てないのがおかしい。貴方、本当は、誰があのナイフを持っていったかを、わかってるんじゃないの?」
それを聞いた彼は……アルバートは、目を瞠った後、小さく手を叩き始めた。チェルシーは、眉を顰めた。いちいち癪に触る。
「さすが、ディーチェルだね。そのとおり。俺は、あのナイフを持っていった奴の見当がついている。だけどそれは、些末なことだ。どうせアレは、俺の元に戻ってくるんだから」
「だったら、戻るまで待てばいいよ。ジルトならともかく、貴方に売るものはない」
「ひどい嫌われようだな。だけど、売らなきゃ君が損をするぜ? これは、ジルトを守るための手段になるから」
「……は?」
「英雄っつーか、俺は、“殺される”運命にある。ただ殺されるってことだ。誰に殺されるかは、決まってない」
ごくり、とチェルシーは唾を呑み込んだ。
「それ、って……」
アルバートは、心臓を親指で指さした。
「ローズと結ばれないうちに、どっかの知らん奴に殺されるなんて、俺は御免だね。だから、コイツでも扱える刃物を見繕ってくれ」
「……わかった」
前半の言葉は気に入らないが、英雄様は、曲がりなりにもジルトを守ろうとしているようである。
ーー少なくとも、害は与えないつもり、だよね?
せっかくの肉体の持ち主が死んだら意味がない。
チェルシーは、とびきり魔力の高いナイフを選んで、アルバートに渡した。
「全力でジルトを守ってよね。守れなかったら、殺すから」
「おお、怖い怖い」
おどけたような表情。チェルシーは、口を尖らせた。
「ジルトはそんな顔しないから、もっと顔を引き締めて、あとついでに“チェルシー愛してるよ”って、笑顔で言って」
「それはできない。俺が愛してるのは、ローズだけだからな」
一途なことで。もちろん、半分冗談で言ったことだから、べつに落ち込んではいない。ちっとも、全然!
そんなチェルシーに苦笑しつつ、アルバートは、窓辺に立ち、ナイフを日に翳した。
「良いナイフだな」
「魔力なんてわからないくせに」
「たしかに。だけど、俺は“英雄様”だぜ? だからわかるんだ。どれがいちばんよく、人間を殺せるか」
英雄というより、殺人鬼の言葉である。ジルトの声で、そんな言葉を吐いてほしくなかった。
「殺せるかじゃない。守れるかに重点を置いてよ」
「そんな器用な真似できるか」
「ま、それはそうか」
貴方は、ジルトじゃないもんね。
声には出さなかったその言葉を、アルバートは感じ取ったらしい。
「よくもまあ、君は“英雄様”にそんなことを言えるな?」
「気に障ったなら謝るよ。ごめんね」
さらさら謝る気はない。この男に、真心の一ミリたりとも向ける気はない。
重たい沈黙が室内に落ち……最初に笑ったのは、英雄だった。
「さすがは、ディーチェルの子孫だ。愛想がない感じ、ご先祖さまにそっくりだぞ」
「貴方の時代では、ディーチェルはまだ有名じゃなかったでしょ?」
そう言うと、アルバートはゆるりと首を横に振った。
「いいや? 俺は、ずいぶんディーチェルに世話になったんだ」
華麗な手捌きで、鞘付きのナイフをくるくる回す。ひとつ頷き、懐にしまう。
「俺にあのナイフをくれたのは、他ならぬ君のご先祖さまだからな」
「あの、ナイフ……?」
「魔女を殺したナイフだよ」
寂しそうに言った彼は、次の瞬間には、ジルトになっていた。
すやすやと寝息を立てるジルトの体を受け止めて、チェルシーは不満げに呟いた。
「代わるなら代わるって言ってからにしてよね」
まあ、こうやってギュッと抱きしめることができるのは、役得には役得か。
「それにしても、魔女を殺したナイフ? 聖剣じゃなくて?」
それに、ディーチェルのご先祖さま?
ーーなんか知ってる?
心の中のご先祖さまに話しかけるが、ご先祖さまは首を振るばかり。
「だよね」
そう呟き、チェルシーは、ジルトの髪をさらりと撫でた。自分でも驚くほど、優しい笑みが溢れる。幸福だ。きっと、この時間は長く続かないだろうけれど、今この時だけは。
「ね、ご先祖さま。ジルトが殺される運命なら、私は」
目を閉じる。海が見える。彼が最期に見た海が。
「どういう死に方をするんだろうね」
もうとっくに、魔法は解けている。




