自尊心
伯爵戦と言うまでもない伯爵戦
余計な知恵をつけたな。
アゼラは心の中で舌打ちした。
伯爵邸の応接間。かつて自分が優位に立ったその場所で、アゼラは劣勢を強いられていた。
目の前のソファに座るファニタは、十日ほど前とは違う顔つきになっている。前は打ちのめされるのに怯えているような弱者の顔つきだったのに、今は食らい付いてやろうということが伝わってくる顔つきだ。
そして、応接間の扉の前に立つ公爵の従者。なぜかいる彼は、その圧倒的な存在感でもってこの場の空気を張り詰めさせている。
それらとは異質な空気を纏うのが、目の前の灰色の髪の少年。たしか、ジルトといったか。
そのジルトは、ファニタの隣で話を切り出した。
「いやあ、まさか、お屋敷に入れてくれるとは思いませんでした! ありがとうございます伯爵!」
下手な態度だからこそ、アゼラの中にはふつふつと怒りが込み上げてくる。
ーーよくも抜け抜けと!
公爵の従者を使って伯爵邸の執事を脅し、あまつさえ出来上がったという貴重な論文を燃やすカウントダウンを大声で始められた。
ライターの火を嬉々として近づけるジルトと、若干涙目のファニタの焦りようを見るに、あれはジルトの暴走だったのだろう。
「入れてくれる」なんて生やさしいものじゃない。強行突破というのが相応しい。
アゼラはひとまず、ジルトではなく、ファニタに噛み付いた。
「味方を連れてきたからといって、貴方の不利が覆るわけではありませんよ」
「ええ、それはわかってます」
強い意志を秘めた瞳で頷くファニタ。
「わかっちゃダメだろ」
の、横でため息を吐くジルト。
「さっきも言ったけど、お前の意思一つで論文はどうとでもなる。嘘を教えることもできる。なにせ、今となっては、お前以外にその論文を完成させられないんだから。
ね、伯爵?」
ぎり、という音が聞こえて、アゼラは知らず歯軋りをしたことに気づいた。
ジルトの言葉は、アゼラの自尊心を見事に破壊していた。
そう。アゼラがファニタを脅した理由はただ一つ。自分で解けないからである。解けていたら、わざわざこんな回りくどい手なんて使わない。
自尊心を捻じ曲げてでも、小娘を使って成果を得ようとした。
それなのに。
「いや、ちょっと言いすぎました。ごめんなさい。
だから、その怖い目をやめてくださると……」
「御託はいい。君がここに来た目的を言え」
鋭く言葉を投げ掛ければ、ジルトは面倒くさそうに頭を掻いた。
「伯爵は詰んでいるって伝えようと思って」
「……ッ」
あまりにもストレートな言葉に、アゼラは言葉を失う。
「さっきはデモンストレーションで論文燃やそうとしましたが、今度はガチです。選んでください、伯爵。論文か、ファニタの家族の解放か。今なら俺を殺そうとした罪だけで済みますよ?」
カチッカチッ、と火花を散らす。
「そこのクライスさんが、この前の暗殺者を警邏に引き渡してくれました。そのうち足がついて、貴方にも捜査の手が及ぶでしょうね。俺も証言しちゃおっかな」
「はっ、たかが一学生の言うことなんぞ、誰も相手にしな」
「言ったでしょ? クライスさんが引き渡してくれたって。ここに彼がいることを見てもらえればわかるけど、俺は、公爵に口添えしてもらうこともできる」
ジルトは静かに言う。草色の瞳が、アゼラを射抜いた。しかし、その言葉は、アゼラに一つの違和感を与えた。
「そうだ、公爵だ! お前は公爵の手先だろう! それならば、たとえ脅しであろうと、貴重な論文は燃やせないはず……! お前は私を蹴落とし、論文を手に入れるため、ファニタに取り入ったんだろう!?」
ジルトが押し黙る。俯いていてその表情は見えないが、そこからは困惑が見て取れた。アゼラの口元に笑みが浮かぶ。
「ほらみろ。ファニタに取り入ろうとしているのは、お前たちも同じだ! 論文は燃やせない!!」
「いや、あの、俺は公爵の」
しどろもどろにジルトが言おうとした、その時。
ずっと黙って成り行きを見守っていたはずのクライスが、口を開いた。
「ガウナ様は、『魔女の信徒』を完全に切った。それだけです」




