幸福の定義
ハルバの瞳が光った。
「で、どうする?」
それは、今から三十分後の未来。ジルトは、「決まってる」と、草色の瞳に決意を宿した。
けれども、ジルトはこの決意を後悔し始めていた。故郷に行って“知った”はずの銀髪の公爵は、あいかわらず、得体の知れない存在だと思わされたからだ。
ソファに座っていたガウナは、ジルトが部屋に入ってくると同時に立ち上がり、右手を差し出して来た。満面の笑みつきで。
「まずは、学園祭で僕を助けてくれたことのお礼を言わせてほしい。ありがとう」
「はあ」
どうしてお礼で右手を差し出されているのかはわからないが、とりあえずそれを握り返す。
「〜〜っ!!」
「公爵?」
声にならない何かを発したガウナは、我に帰ったらしく、こほんと咳払い。名残惜しそうに手を離し、「まあ座ってくれ」とまるで自分の家のように言う。ここは学園の応接室なのに。
「あんまり驚いてないね。ハルバ君の予知でわかっていたのかな?」
机を挟んで向かい合う。余裕そうに笑みを浮かべているが、目線は自分の右手に注がれている。
ーーもしかして、あの行為には何か意味があったのか?
ジルトも自分の右手を見た。特に異常なし。といっても、ジルトは魔力も感じ取れないから、本当に術を掛けられていたとしてもわからないのだが。
これからは、不用意に握手しないようにしよう。と、思っていると、心を読んだであろうガウナは、苦笑。
「別に、魔術を使ったわけではないから安心してくれ。君を殺す気なら、とっくにクライスに拘束させてる」
扉の前に立ち、微動だにしないクライスを見て言う。この人がここにいるのは新鮮だな、とジルトは思った。思えば、学園祭の日以外、クライスが学園に乗り込んでくることはなかった。
ジルトは、目を伏せた。こんなところにも、あの人が辞めた影響があった。
「いつもの門番は辞めたらしいね。おかげで簡単に学園に入ることができたよ」
当然、ガウナもそのことは知っているらしい。肩書きだけは立派なこの主従を、急遽雇われた門番は、安全だと判断したわけである。と、同時に、今まではフレッドさんに守られていたんだな、とジルトは思った。どういうわけかはわからないが、フレッドはガウナの手先であるクライスを危険人物扱いしていたようだ。
今までのフレッドに対する感謝の気持ちと共に、どうして彼はガウナ達を危険人物扱いしていたのか、という疑問も湧く。
きっと、フレッドは何かを知っていた。ハルバの能力を知っていた時点で、クロはわかっているが。
そんな彼が学園を辞めた時点で、ジルトの知らない何かの力が働いていることは予想できた。
「それにしても、会ってくれるとは思わなかった。ハルバ君の予知で、僕が来ることは、当然わかっていただろうに」
一変。ガウナが、探るような目つきになる。単に、「自分が嫌われているから会ってくれないかと思った」という意味ではない。彼は知りたいのだ。魔術がまだ有効なのは、自分だけではないということを。
海で泣きじゃくっていたラテラが言うには、神様が死んだことで、魔法が使えなくなったらしい。
そうしてジルトは、ようやく、ハルバの父カルキが、ラテラと同じことをしていたこと、そして、彼が死ぬ前に遺した伝言の意味を理解したのである。
彼ら彼女らは、神様と契約して願いを叶えてもらうかわりに、自分の寿命と、身体の一部を犠牲にしていた。自分を削ることで、愛する人を守ろうとし、守ったのである。
加えて、ラテラは魔法適性があったから、チェルシーの生命と幸福、それに加えてラテラ自身の身体能力の強化が与えられていたらしい。
……さて、どう答えようかとジルトは考え、素直に思ったことを言う。
「あんたの故郷に行ってきたから、ちょうどいいその感想でも伝えようかと思ったんですよ」
事実には事実だ。肌を焼くような日差しに、それを跳ね返して輝く海。舌に残る魚の味。エベックがご馳走してくれた魚のフライは美味かった。海は、確かに綺麗な場所だった。
「……ずるいな」
なぜか、ガウナが不貞腐れて言う。
「君とはこんな会話ばかりしたいと思ってしまうよ。本当は、ハルバ君がまだ予知を使えるかどうか、聞きたかったのに」
ずいぶん好感度が上がったものだ。まあそれは、こちら側も同じだけれど。
「そんなに嬉しそうに話されたら、こちらまで嬉しくなってしまうよ」
「俺、そんなに嬉しそうでしたか?」
ガウナが頷いて、くすくす笑う。
「君が、その瞳で海を見てくれて良かった。僕と同じものを見てくれて、良かった」
穏やかな瞳だった。と、同時に、理解し難い感情の光を宿していた。
「僕は、幸福だよ」
ーー幸福っていうのは、けっこう曖昧だと思うんだけどな。
ガウナとの穏やかな会話の後、ジルトは拍子抜けしながら、そんなことを思った。
ラテラもチェルシーに幸福を望んでいたようだが、何をもって幸福とするかは人それぞれだし、その時に幸福でも、将来不幸にならないとは限らない。
人の行く道に、躓くための石はいくらでも転がっているし、何もないところでも人は躓く。いくら神様が平坦な道を用意しようが、花を植えようが、幸せがずっと続くことはありえない。そう思ってしまう。
その点、不幸になることは簡単だ。
神様が用意した平坦な道でわざと躓いて、道に植っている花を無視すればいい。躓くための石があるならば、その石で自分の肉を切り裂けばいいだけの話なのだから。
だからたとえば。
会ったこともない神様に、ジルトは少しだけ、嫌悪感を持ち始めていた。ラテラが死んだとして、チェルシーは幸福になんてなれない。そんなことは、海でのできごとを見ればわかる。
……神様を詰るとしたら、約束を守ってくれない点ではなく、最初からできないことを約束するなと、自分の不幸で示せば良いのである。




