チェルシーの脅し
諦めたような響きだった。悲しい響きだった。
ラテラは、しゃくり上げた。
「違うんです、チェルシー様っ、私は、チェルシー様に、幸せになって欲しくてっ、だって、私には、それしかないから、死ぬことでしか、価値を見出せないから」
家族に生き延びさせられた主人が、遺されることを嫌うのは理解できる。でも、とラテラは思うのだ。自分がいなくなっても、チェルシーには、ジルトがいる。まだ、生きる理由がある。
「どうして、貴方は死にたいの?」
耳元で囁かれる声。以前なら答えないでいられた。けれど、もうラテラには、逃げ場はなかった。意味深長な笑いでお茶を濁すことはできない。伝えなければ、伝えなければ!
「……ぁ、う」
けれど、口元が震えて、うまく声が出せない。あんなに滑らかに、神様への恨言を吐いたのに、自分の家族がしたことを言うには、勇気が足りなかった。軽蔑されることが嫌だった、自分がチェルシーを思うのが、罪悪感からだと知られるのが嫌だった。
「……教えてくれないんだ。結局私は、なんにも知らされない星のもとにあるのかな」
「そんな、ことは」
「それなら、教えてくれるよね?」
「……あ、あぁ」
人生で、いちばん怖い経験だった。ラテラは頭を抱えた。ばくばく、心臓の音が聞こえた。黄水晶の瞳が限界まで見開かれる。手足の先が、震えて、冷たくなっていく。
「わ、私の家族が、王様に」
「はい、ストップ」
鈍い音が聞こえた。気がつくと、手足の震えは無くなっていた。立ち上がったチェルシーが、抗議する声が降ってきた。
「何するのさジルト! あと少しで聞き出せたっていうのに」
「聞き出すっていうか、ほとんど脅しじゃねえか」
どうやら、さきほどの鈍い音は、チェルシーの頭に手刀を浴びせた音らしい。「責任とって結婚しろ」と喚くチェルシーに、「はいはい」とおざなりな返事をして、ジルトはラテラを見下ろした。草色の瞳はとっても綺麗だ。会った時から思っていた。この瞳が、チェルシーを救ってくれると。
英雄の瞳。魔女さえ助けた瞳だ。
ーーだけど、救われない私には、向けられる資格がない。
ラテラは、ジルトの視線から逃れるように、膝を抱えて俯いた。
「お前の裏社会トークじゃ、百分の一も伝わってないんだよ」
屈む気配。
「パフェちゃん」
そういえば、ジルトにだけは、そう呼んでほしいと望んだんだっけ。馬鹿な家族がつけた名前じゃなくて、特別な名前で。
肩に手が置かれる。
「顔を上げて」
首を振る。声が出るようになってから、良い子だったはずの自分は、ワガママになってしまった。
「それなら、そのまんまで良いから聞いてくれ。チェルシーが言いたいことはな、要は、“君に生きててほしい”ってことなんだよ」
「ちょ、ジルト」
「アイツ、ちょっと暗い世界に沈みすぎたせいで、脅せばどうにかなるって思ってるからさ。家族のことを引き合いに出して、君を繋ぎ止めようとしてるんだよ」
よく、わからなかった。ラテラは、顔を上げた。
「どうして?」
「そりゃ、アイツは君が好きだからだよ。嫌いな奴に、わざわざ生きてて欲しいなんて思わないだろ?」
当然のように言ったジルトは、含み笑い。
「それに、家族のことを引き合いに出すのって、けっこう勇気がいることだぜ。自分のトラウマをほじくってるわけだから」
思わず、チェルシーを見る。チェルシーは、居心地悪そうに地面を蹴っていた。その様子を見たジルトは、「な?」と今度は、半眼の笑い。
「アイツが素直じゃないことは、わかってるだろ? アイツ今、パフェちゃんの死にたい理由を探るのに必死なんだよ。どうしてかわかるか?」
「私の秘密を知りたいから?」
「惜しい。正解は、君が死にたいと思う要因を、取り除こうとしているから」
「……え?」
「だから、脅してでも知ろうとしてるってことだ。まったく、不器用な人間はめんどくせえよなぁ」
「貴方もそこに入るからね。他人事みたいに言ってるけど」
完全に拗ねたチェルシーが、ジルトの背中を小突く。ジルトが立ち上がり、代わりにチェルシーがそこに座った。
珊瑚色の瞳が、まっすぐに、ラテラを射抜いた。手を取られる。土を掴んだ汚い手を。
「まったく、ラテラは馬鹿だなぁ」
「またお前は」
「どうして、貴方が私に対して思ってることを、一方通行だと思うのさ?」
「……」
ジルトが黙る。チェルシーが、ラテラの右手の泥を、払い落としてくれた。
「こういうの恥ずかしいけど、言うね。私は、貴方のことが好き。ずっと見ててくれてありがとう。これからも見ていて。それが、私の幸せだよ」
ラテラは、そのとき、自分の間違いを知った。
ねじくれ曲がった少女は幸せになれないと、決めつけていた。神様の力なんて借りなくても、チェルシーは、ラテラの主人は、こんなにも真っ直ぐだったのだ。
残った左手で、チェルシーの手を握った。今度こそ、ラテラはわんわん泣いた。
心の底から泣いた。さっきは、死ねなかったことを嘆いての涙だったけれど、今度は違った。
ーーごめんね、神様。
うそつきなんて言ってけなして。自分じゃどうにもできないとはなから決めつけて、貴方に頼って。ゆっくり休んで、そうして、ちょっとだけ良くなった、人の世をまた見にきてね。
抜け落ちた万能感は、戻らない。けれどそれは、もともと無かったものなのだ。人の身には過ぎた、余計なもの。
ラテラは、ひとしきり泣いたあと、ぽつぽつと、チェルシーと、そしてジルトに向けて、自分の家族の過ちを話し始めた。
波は穏やか、時折相槌を打ってくれる二人の声はとっても優しくて、また涙が出そうになった。
ラテラは死に損なって、神様は海へと還った。
契約は藻屑になって、チェルシーの命は絶対とは言えなくなってしまったけれど。
ーーどうしてこんなに、ほっとしてるんだろう。
なんて、答えはもうわかっていた。




