勝ち逃げなんて許さない
実はメンタルが強いガウナ君
夏の到来を感じさせる日差しは、きっと、誰の上にも平等に降り注いでいた。
でも、ラテラは、それだけじゃ満足できなかった。
「うそつき、うそつき……っ」
とめどなく流れる涙。拭っても拭っても、それは頬を濡らし続けている。
「どうして死んじゃったの、どうして約束を守ってくれないの」
声を出せるようになってから、はじめて気付いた。自分は、思ったよりもたくさんの激情を秘めていたのだと。
「私の声と、命を差し出すかわりに、チェルシー様を幸せにするって、守れる力をって約束したのに!! どうして、なんで、私の声が戻ってるの!?」
ありったけの土を右手に握りしめ、海に投げる。魔力を込めれば、海面に穴の一つや二つ空けることができたのに、ぽちゃんという音がして、水飛沫が上がっただけ。
ラテラは、自分の両手を見た。その両手は、細かく震えていた。万能感が抜け落ちている。血液とともに体を巡っていたはずの魔力が、消え失せてしまっている。
地面に座り込み、ラテラは空を睨んだ。神様がいる、深い深い海の底とは正反対の空を。唇を引き結んで、照りつける太陽をじっと睨んだ。
なにも、眩しさを感じなかった。
目が。眩む、灼ける、痛みが、
「こら、目を悪くするよ」
唐突に遮られる視界。優しい声が、耳朶を打つ。
ーー彼はどんな感想をくれるのだろう!
ガウナの胸は、高鳴っていた。エリオットから教えられた、ジルトの行き先。どうしてチェルシーがジルトを海に連れて行ったのかはわからない。だけれど、嬉しくてしょうがなかった。あのキラキラ光る水面を見て、潮風を感じて、焼けそうな砂浜を、きっと彼は歩くのだ。いや、もしかしたら今、歩いているのかも。
おんなじであることが増える!
ダグラス外務大臣の葬儀の時、チェルシーに掛けられた言葉が憎くてたまらなかった。ガウナが“あの子”にして欲しいことを、言って欲しいことを、いとも簡単に言ってのけたジルトも。
……今思えば、憎く思うのは当然だ。ガウナが欲しいものは「言葉」だけではなく、「彼」の「言葉」で、「目」だったんだから。
ーーたとえ、君の隣に僕がいなくても、僕は嬉しいんだ。
どくどく、心臓が早鐘を打つ。思わず右手を見てしまう。きっと自分は、恋する乙女みたいな顔をしている。
学園祭で手を引かれてから、ガウナは赦すことを知った。もう、あの頃の狭量な自分ではない。なんたって、自分は、ジルトに手を引いてもらったんだから。
“あの子”が優しさを見せてくれた以上、手に入らないことなんて、ないんだから!
万能感が、ガウナを包んでいた。一つの喜びがあっただけ。それなのに、全部全部、うまくいくと思えてしまうのはなぜだろう。
「クライス、ジルト君が見つかったらすぐ、ここに連れてきてくれ」
「承知しました」
世界は輝いている。全ては満たされて、それで。
ぷつん。
「あれ?」
なにかが消えた。そんな感覚があった。ガウナは、なぜか心臓を服の上から押さえた。
「こっちはある……だけど、なんだ、これ」
まるで、心臓が止まったみたいだった。変わらず魔力は流れている。けれど、なんだろう、この不思議な感覚は。懐かしい感覚は。
しばらく思い出の中を探って、ガウナは気づいた。
ーーああ、そうか。あの時の感覚に似ているんだ。
魔女だからって、暗闇に閉じ込められていた時の感覚。人間以下の生活を強いられていた時の、光も何もない虚無。
思いついて、ガウナは手のひらを上に向け、念じた。だが残念、何も起こらない。炎は出なかった。それを無感動の瞳で見つめて、ガウナは溜め息を吐いた。
別に失ったわけじゃない、これは。
「ふりだしに戻っただけだ」
わざわざ山を降りるのは、転移魔法が使えなくなったからだ。魔の山の麓まで、のんびりと降りてきたセブンスを待っていたのは、みすぼらしい老人だった。
「僕は約束したんだ。死ぬまでお前のファンになってやるって」
ずいぶん若作りな話し方をする老人だった。
「この“死ぬまで”は、僕が死ぬまでって意味だったんだ。神様と人間じゃ、寿命が違うだろうから」
セブンスが苦手とする人間だった。瑠璃色の瞳は、まっすぐに、セブンスを見ていた。老人は拳を握った。
「だから言い直そうと思ってさ。僕は、死んでも、アイツのファンだ」
「そうか」
老人のしわくちゃの手には、一冊の本。たしかそれは、王都で有名な作家の本だったはず。そう、あの天才の論文に踊らされた、可哀想な男が書いた、とるに足らない物語だ。
「だから、僕だけはアイツを忘れない。誰もがアイツを忘れても、僕だけは」
「別に、良いんじゃねーの?」
老人の脇を通り過ぎる。
セブンスは、空を見上げた。神なきこの世界でも、太陽は輝いている。
『お前さ、死なないんじゃなくて、死ねないんだろ』
『当たり』
その鬱憤を晴らすために、特定の時に死ぬ……言い換えれば、その時まで死ねない人間を、契約で作り上げるのである。少しでも、自分の痛みを知って欲しくて。
ーーなんか、悪いことしたかもなぁ。
セブンスは、髪を掻いた。これが、中途半端と言われる所以とはわかっている。
説教というのは、相手だけじゃなくて、自分にも説教してるという話がある。要は、彼の話はそれだったのかもしれない。
振り返る。寂しげな背中が、取り残されていた。
ーーもしかしたら、俺にとってのトウェルが。
「やめだ、やめ」
殺したから後悔してるだけ。実に人間的で健康的。そう思おう。
その手は、死人にそうするように、優しくラテラの瞼を閉じさせた。
ラテラが守れなかった少女は、ラテラを後ろから抱え込んで、存外低い声で呟いた。
「貴方も、私を遺して死んじゃうつもりだったんだね」




