人以外
久々登場
どうして、どうしてと少女は呟いた。
大きな瞳から、ぼろぼろ雫が落ちて、地面に染み込んでいく。静かな海は、何も答えてくれなかった。
瞳は、絶望に染まっていった。切れてしまった糸は、もう、つなぎ合わせることはできないのだ。
「なんで、どうして」
澄んで綺麗な声を震わせ、陽の光に照らされてきらきら光る海を見る。その海面の、ずっとずっと下に、人間が呼吸することもままならないような、深くて暗いところに、彼はいる。
だから、正確にはそうじゃない。彼は眠っているだけなのだ。けれど、ラテラは言わずにはいられない。
「どうして、死んじゃったの。神様」
時は、少し遡る。
「ふぅん。ニェルハ・ラマナは、失敗したのかぁ」
帝室御用達のクッキーを摘みながら、セブンスは呟いた。
さきのセント・アルバートでの一件。ソフィアの予知上、クライスに捕捉されなかったバルトに計画を吹き込み、暗躍をさせたのだが、最後の最後に、予知がひっくり返されてしまったというわけである。
「そのためにやってきたってのに、ジルトのやつ、魔女なんかを助けやがって」
最後の最後に、ハルバに決定権が戻ってしまったので、ソフィアにはその光景が視えなかったらしい。だが、バルトから聞いた話によると、ニェルハの刃を受けそうになっていたガウナを、後ろから手を引いて助けたのがジルトだったとか。
『俺には、あの瞬間、アイツが人に見えた。本当にアイツは、殺さなければいけない存在なんですかね?』
「当然に決まってんだろ」
低い声が出る。セブンスは、がり、と苛立たしげにクッキーを噛んだ。
魔女の一族は殺さなければならない。人が人を超える力を、持ってはならない。そんな力を持ったら、人は不幸になるからだ。
『神様は、自分のことを考えられる人に微笑むのよ。だから、貴方はそういう人間になりなさい。他の人を踏んづけてでも、生きるの』
それでも、優しい甘みが口の中に広がっていく。あの人に、そう思わせてしまった神様が憎らしかった。神様にゴマを擦ってまで、魔法を使う父親が。自分の愛する女一人、助けられない父親が……なにより。
「……はっ」
思考を打ち切り、セブンスはそれを鼻で笑った。途端、がちゃりとドアが開く。
「セブンス様ー、ホットミルク淹れてきましたよー。あと、通りすがりのラミー様も連れてきましたー」
「通りすがりのラミーです」
「本当はドア前に待機してたけど、どのタイミングで入るか考えてたみたいですー」
「そ、ソフィア殿ォ!」
あわあわするラミュエルを引き連れて、ソフィアが部屋に入ってくる。もうすっかり皇族であるラミュエルと仲良しだ。歳が近い分、意気投合する部分があるのかもしれない。
「私は予知能力者なので、カップは三つです!」
えっへんと胸を張るソフィアは、お盆を机の上に置いた。学園祭での予知が外れたというのに、少し嬉しそうなのは、人死にが出なかったからなのか。
丸テーブルを三人で囲み、ソフィアがほっこりした顔で、窓の外を見ながら言う。
「いやぁ〜、夜の女子会もオツなものですね」
「俺は女子じゃねえけどな」
「女児ですもんね」
ごつん、とソフィアの頭に拳骨を落とし、セブンスはホットミルクを飲む。美味しい。この体になってから、より一層、甘いものが美味しく感じるようになってきた。
ソフィアが、不満げに殴られた部分を摩った。
「いったぁ……それで、次はどうしますセブンス様。共和国を敵に仕立てる作戦は失敗しましたし、外交的に、共和国と王国は良好な関係になりそうですよ」
「そうすると、立場が危ういのは我々帝国の方ですな!」
ラミュエルが明るく言う。別に彼女にとって、共和国と王国が手を組もうがどうでも良いのだろう。王国さえ、滅ぼすことができれば。
むしろ、共和国と手を組んだことで、王国が反帝国の流れになることを、喜んでさえいる。
ーーアイツのいた国を滅ぼせるんだもんな。
今度は共和国を理由にして、戦争を仕掛けられるというわけだ。
……親友のしたことは、卑怯でもなんでもなかった。ただ、必要なことだった。持て余しているとはいえ、レーナ姫という優秀な人材を保有している帝国は、脅威だった。だから、排除した。それだけの話だ。
アイツは、ただ臆病だっただけ。自分を大きく見せる方法を知っているから、弱いものいじめだと恨まれるのだ。
ラミュエルがセブンスを尊敬しているのは、突然トウェルの前から姿を消したから。残虐なトウェルについていけなくなったセブンスが、親友を見限ったと思っているからだ。
その勘違いは、たいへん都合がいいので、そのままにしている。
セブンスは、頭の後ろで手を組んだ。
「そうさなあ、次は、王国と共和国を潰してみるか?」
ラミュエルは瞳を輝かせ、ソフィアは渋い顔をした。
「なんて、ジョーダンだよ。いくら帝国とはいえ、二国同時に相手取ることはできないだろ?」
「で、ですよね! さすがに帝国っていっても」
「むう……私にもう少し力があれば……」
無自覚な獅子の言葉に、セブンスの肝は冷えた。“もう少し”力があれば、実現可能というのだろうか。これだから天才は。
溜め息をミルクで流しつつ、「だけど、それは悪手だぜ」とセブンスは笑う。
「なんたってあっちには、レデン・アーウィッシュがいるからな」
わざわざ警戒する人物を口に出すのは、相手への牽制だ。“右目”を持っているはずの男への。
「レデン……共和国の、副大統領ですな」
ラミュエルが呟く。セブンスは頷いた。
「ああ、アイツは神の左目を持っている」
「なんですか? それ」
ソフィアがキョトンとして訊いてくる。ああそうか、例の童話作家は、それをボツにしたのか。
「お前らの先祖が神を殺した時に手に入れたモンだよ。神が万能たる所以は、体の部位ひとつひとつに、力が宿っているから。親友を不幸にしてしまったことを嘆いた魔法使いは、神を殺して、未来が視える左目を抉った」
「女子会になんて話題を持ち込むんですか」
血生臭い話題に、ソフィアが眉を顰める。ラミュエルは、眉一つ動かさず、
「それを、副大統領が所持している。戦争を仕掛けても、予知能力を発揮されればこちらが負けると?」
「そうだ。そもそも、戦争を仕掛けることすら許されないかもな。どころか、絶対にあっちが勝つ戦争を仕掛けてくるかも」
「なんでそんなこと、知ってるんですかぁ」
ソフィアが「公爵以外にもめんどくさいのがいたなんてぇ」と言いながら、机に突っ伏した。クッキーがひっくり返った皿から飛び散る前に、ラミュエルが回収。
そのうちの一つを摘んで、セブンスは嗤った。
「それはな、俺のご先祖さまが、お前らのご先祖さまをたぶらかしたからだよ」
「は?」
「なあソフィア、お前の“良心”は、人限定か?」
「どういうことですか?」
「ニェルハを殺す計画にも、密かに抵抗を覚えてたろ? それなら、人以外を殺す計画には、心を痛めないのか?」
悪辣な表情を浮かべている自信がある。だが、この表情が、自分のデフォルトだ。
「それって……」
ソフィアの声が震える。考えもしなかったことなのだろう。
「神様を、殺すってことですか?」




