最後に微笑む者
夜道を街灯が照らしている。煌々とした光に、虫が寄り集まっていた。
バルトは、ぴたりと足を止め、後ろを振り向いた。
「公爵んちの烏くんか」
闇夜に紛れ、残念、街灯に浮かび上がるのは、冷徹な目をした青年である。あれだけ表彰式で目立ってしまったのだ、跡を尾けられるのは、わかっていた。
「俺が誰と繋がっていたかを知りたいんだろ。いや、もう見当はついてるか」
歩き始める。中空に浮かぶ月を見ながら、バルトは頭の後ろで手を組んで、クライスと、遠くの国で視ているであろう人物に話しかける。
「なんだかなぁ、どっちが化け物か、わからなくなっちまったんだよ」
クライスは無言。それに構わず、バルトは続ける。
「化け物を倒すために、あんなに可愛い子を犠牲にしていいのかって」
少し茶化しながら、苦笑した。そうしなければ、やってられなかったからだ。
きっと、ジルトは気付いていた。バルトがどうしてニェルハを気にかけるのかを。犠牲にする前に、せめて彼女の人となりと、希望を聞いておこうと思ったバルトの迷いは、しっかりと受け止められていた。
「だから、あの公爵の手が引かれた時、ああ良かったって思っちまったんだよ。ニェルハが死ぬことがなくて良かった、ってな。不思議だよな。俺はずっと、誰かの手を引きたかったのに」
クライスが、そして、隣国にいるあの人が知りうるはずもない話。
「アルセリアの手を引いた時、俺は少しだけ後悔しちまったんだ。俺がしたかった、“たすける”ことは、もっと違うことなんじゃないかって。俺はどうせ、真の意味で、誰も助けることができないんじゃないかって」
「それは、違うと思います」
沈黙を守っていたクライスが声を発したことで、バルトは思わず、後ろを振り返った。ちょうど、街灯と街灯の境目にいる彼の表情は、今度こそわからない。
「貴方は、ペトラ様を“たすけた”のです。手を引くという、単純な動作で」
「……目的はどうであれ、“たすけた”ってことにしたいわけか」
そう、目的はどうであれ。
バルトはわかってしまった。目の前の烏くんは、バルトの行為を正当化することで、あの少年の行為も正当化しているのである。あれは間違いではなく、正しかった。そういう考えが、彼の主人の救いになるかのように。
ーー馬鹿だなぁ。
ジルトは小声で呟いていたが、バルトにははっきり聞こえていた。
「後悔しない道を選んだんだよ。ジルト君は」
くるりと向きを変えて歩き出す。
「公爵の烏っていやあ、冷徹冷酷、感情なんて無いって聞いてたけど、事実は違うんだな。主人を思う気持ちはあるわけだ……その主人が、合っているかは別としてな」
ぽとぽとと、目の前に虫が降ってくる。街灯の光に寄り集まっていた虫だ。
バルトはそれを見て、少し眉を顰めた後、「かわいそうに」と呟いた。これが、“ただの”鎮魂をしたいバルトの感想である。
……あの地下の死体になった人間達が、何をしようとしたのか、それに目を瞑っての感想である。
「やっぱり、俺は中途半端だったよ。たぶん、あのままだと後悔してた……予言してやろうか」
夜空に浮かぶ月を仰ぎ見る。太陽よりも優しく、けれど、冷たい光を放つ月を。
「近い将来、お前は誰を“たすける”かを選ぶことになる」
「私が“たすける”のは、ガウナ様だけです」
「どうだか。烏はどうあっても、太陽からは逃れられないと思うがね。なあ、クライス・エドガー君?」
「……」
「なんてな。意地悪なこと言っちまったけど、俺が言いたいことはただ一つ。後悔だけはするなよ」
「ご忠告、痛み入ります」
そう言って、クライスは踵を返した。
ーー殺さないのかよ。
そう思ったのを感じ取られたのか、クライスが振り返りもせずに言う。
「貴方を殺したら、第二のエリサ・モルトーが生まれてしまいますから」
「あ、そ」
実に合理的な理由だった。
じゃあ何しに来たんだよ、という疑問が口から出かかったが、やめておいた。たぶん、彼も、“後悔しない”道を探しているのだろうから。
一歩踏み出す。
「おーい、バルト! てめえどこほっつき歩いてやがった! お前には聞きたいことが山ほどあるんだから、一杯付き合えや!」
「付き合う以前に、もう飲んでんじゃねーか、お前」
赤ら顔のギャングにそう言うと、「まだ飲んでねえ!」と堂々とした嘘を吐かれた。
「ハドソンとケイヴが言ってたぜ、てめえに突き落とされて骨折したって、アヒャヒャヒャ」
「お前、大丈夫か? クレア先生と仲直りして、頭ハッピーになっちゃった?」
「そうかもしれないなぁ、そうだ、せーぎはかつ! せんとあるばーとばんざい! そつぎょうせいをおくりこんだかいがあったぜ!」
「何言ってんの、お前」
酒臭い息が顔にかかる。だめだこいつ、完全に酔っ払ってやがる。
「クレアせんせーはなあ、すごいんだぜ。さくしだよさくし、せいこうほうのおに!」
「はいはい」
「おまえもたたえろ、クレアせんせーを!」
「すごいすごい」
「たたえがたりない!」
「誰だよこいつを一人にした奴はさぁ!!」
月明かりが、窓辺に差していた。わざと灯りを落とした学園長室には、二人の客人がいた。
「今日はたいへんお疲れ様でした、クレア先生」
「ええ、ありがとうございます」
エベック・クレアは微笑んだ。ジルトの曲芸を褒めた時の瞳の輝きは失せている。
「『円卓』の皆さんが宰相を引きつけてくださったおかげで、学園に忍び込むことができました。あの方々には、少し悪いことをしましたけど」
「みんな、とっても優しいから大丈夫ですよ」
「だといいのですが」
「おい、そろそろ帰るぞ」
「ええ、まだ先生と話したいのに!」
「目的忘れんなよ。俺だって話したいわ。そんで先生、ブツは?」
エベックは立ち上がり、本棚から、一冊の本を抜いて見せた。本にしては軽いそれを開くと、二人は感嘆を漏らした。
「おお、これが」
「あとは、アヴェイルのクソをどう説得するかですね」
「口が悪いぞお前」
指摘を無視した細身の影は、ぱたんと本を閉じ、宝物のように胸にかき抱いた。
唇の端を釣り上げる。
「たしかに、いただきました。天秤と木槌をもって、私たちは必ずや、彼に報いを与えてみせましょう」




