約束半分
バルトは、アルセリアを庇ったままの姿で、ぽかんと口を開けていた。
ーー予知が、変わった?
共和国籍の暗殺者、ニェルハ・ラマナは、ガウナ・アウグストを暗殺しようとして返り討ちに遭う。共和国と王国の関係は悪化し、現政権は外憂に頭を悩ませることとなる。
ニェルハ・ラマナの死に方は、喉を掻きむしった末、数秒後に死ぬという特殊な死に方で、死因は不明。おそらく、窒息によるものだと考えられるが、なぜその場で窒息死したのかは説明がつかない。なぜ、アウグスト宰相に近づいて死んだのか、この事件を機に、若き宰相は、異端の目で見られることになる……はずだった。
ところがどうだろう! 実際にバルトが目にした光景は、あの人の弟子が、ガウナを“たすける”光景だった。
「は、はは……」
気付けば、バルトは笑っていた。アルセリアを抱きしめたまま、へたりと座り込み、計画が失敗したにもかかわらず。胸の奥に込み上げるのは、悔しさよりも、安堵の方が大きかった。
「せんぱい?」
アルセリアが、居心地悪そうに身じろぎする。離してやりたいが、今は、指一本動かせそうもない。
その様子を見ながら、ジルトは溜め息を吐いた。
なぜか左手に怪我をしていて、なぜか無言で立ち尽くすガウナの横を通り過ぎ、いちばん前に立ち、観客席を見た。何が起きたのかわからないという困惑した表情を浮かべている彼らに微笑みかけ、ジルトは、大きく息を吸った。
「と、いうことで、中庭の寸劇を見ていない方たちのために、女王陛下と宰相に協力していただいて、即興の寸劇をしてみました! 皆さんいかがでしたか? ニェルハちゃんの動き、キレがあったでしょう? まるで本物の暗殺者みたいでしたね!」
相変わらず観客は困惑しているようで、表情が硬い。まあ、ニェルハとはじめて会った時の主従ごっことはわけがちがうので、当然には当然なのだが。
「二年一組に投票してくださり、ありがとうございました! あ、そうだ、お礼に、私の特技をお見せしますね!」
ジルトは徐ろにニェルハが落としたナイフを拾い上げ、宙に放って、
「よっ」
ぱしん、と掴んだ。舞踏会の日に見た、ルクレールのナイフ投げ。チェルシーからナイフを買った後はうまくできなかったが、最近上手くできるようになってきた。苦しい手だが、これで少しは観客の気を紛らわすことができたらいいんだけど。
ぱらぱらと、疎らな拍手が飛んできて……
「っ!?」
鼓膜を破るような大音響。ナイフを取り落としそうになり、なんとか体のバランスを保って息を吐く。
「ああ、すみません。驚かせてしまいましたね」
拍手の主は、なんと、エベック・クレア学園長だった。さきほど、表彰先のクラスを淡々と読み上げた時の無表情とは違い、今は穏やかな笑みを浮かべて、ぱちぱちというよりばちばちと形容するにふさわしい音を立てて、ジルトの曲芸を褒めてくれているのである。
「とっても器用だなと思ったんです。続けてください」
「は、はい」
ーーいったい誰だよ、この人。
まちがっても、ジルトの知っている学園長は、興奮したように瞳を輝かせて、満面の笑みで拍手をするような人物ではない。
ジルトが驚いたのと同じように、会場中にも、先ほどとは違うざわめきが広がっていた。なにせ、セント・アルバートの学園長の噂は、王都中に広まっているからだ。感情を露わにすることのない、機械のような人間として、彼は恐れられている。
最後に一際大きく投げて、ナイフを掴む。エベックの童心に帰ったような態度に釣られるように、会場内の拍手が大きくなっていく。ジルトはここぞとばかりに、観客に向けて大きく手を振り、スカートの端を摘んでお辞儀した。
「ぶふっ、なんとかなったな、ははは」
あとでハルバ締めると思いながら。
空はもう真っ暗で、星は散り散りになっていた。
「もう、これはいらないな」
アルセリアの眼鏡をとれば、彼女は、少しだけ悲しそうな顔をして、笑った。
ーーこれは、墓にでも備えてやるとするか。
たぶん、お前の嫌なところ、この眼鏡がぜーんぶ吸い取ってくれたからさ。
「安心しろよ」
「? 誰に言ってるんですか? ていうか、どうして君がそんな格好をして……」
ハドソンが困惑気味に問うてくる。さて、どうしたものかと思っていると、アルセリアは「ふふっ」と笑う。
「全部終わったら迎えにくるから、それまで待っていてほしいそうですよ」
そう言って、トランの手から眼鏡を受け取り、ハドソンの手へと。
「これを預かってきたんです。それからこの格好は、学園祭に来れない彼女の分」
「君もエリサに会ったのか……僕も会いたいな」
「……『円卓』の誓いは絶対だからダメだ」
俯いたまま、ケイヴがそう言う。ハドソンは、「もうここに来てる時点で破ってますよね」と呆れ顔。
「もう良いと思いますけど」
「いいや、ダメだ。なあ? トラン、アルセリア。まだ、俺たちは会うべきじゃないよな?」
ケイヴが顔を上げる。ハドソンに見えないように。
卒業式の日、バルトに手を差し伸べた、誰よりも聡明な調整役は、アルセリアと同じ表情をしていた。
ーーそうさ。絶対なんて、ないんだから。
トランは空を見上げた。約束を半分破って、半分守った。
脳裏には、エリサがアルセリアを看病していた光景が思い浮かんだ。自分の手を引いてくれたクレア先生、バルトの手を引いた、ケイヴとアルセリア、そして……。
くくっ、と笑う。あの間抜けな顔。あの顔が見れただけで、四年前に見た幻想にヒビが入って、崩れ落ちていく思いだった。
ーーあれは。
藍色の目を見開き、愕然として自分の右手を見る彼は、ただしく人間だった。
そして、彼はただしく化け物だった。王宮の地下に、堆く死体を積み、王都を火の海にした張本人。
『……それは、たぶん、いちばん最初に会った人が、アイツを殺そうとしたからじゃないですか?』
甘い言葉だと思ったけれど、今考えると、それもありそうな気もする。
メイド服のまま、胡座をかいて座る少年を見る。
……たぶん、あの少年に、いちばん最初に会っていたら。
「なにか、変わってたんじゃないかなぁ」
…。
……。
ざあざあ、ごうごう。荒れ狂う運河に、雨が降り注ぐ。びしょ濡れのまま、ガウナは立っていた。
少し前に死んだアイツは、太眉を器用に上げて、憎たらしい笑みを浮かべながら、あの時と違ってはっきりした言葉で、
もう一度、ガウナに問うた。
『告解を?』
自分は、なんと答えただろう。
ガウナは、薄く笑う。
『そう、僕が告解をするのは、君だけだよ』
場違いに、荘厳な音楽が流れてきた。あの時とは違って、今度は自分が手を引かれる番だった。だが、ガウナはきちんと覚えている。あの時の、手の感触を。
『助けなければ、よかったのに』




