約束
「これから死ぬ人間は、なにやっても許されると思ってんのか?」
トランはどっかりとスツールに座り、エリサを見た。エリサは「そうかもしれないですね」と言って、くすりと笑った。
彼女の視線は、ベッド脇のサイドテーブルに注がれている。正しくは、果物の積まれたカゴに。
「じーっ」
「はいはい、剥いてやるよ」
溜め息を吐き、トランはりんごを手に取って、くるくると手持ちのナイフで皮剥きをする。
「で? わざわざギャングのトラン・ネラルに依頼をしたのは、どういう了見だ?」
へったくそな字で手紙を書いてきたのは、この女。エリサ・モルトーである。りんごの皮剥きが終わりそうになると、「あ、梨もお願いします」と図々しいお願いが降ってくる。
「りんごだけでも腹に溜まると思うんだが、そんなに食って大丈夫か?」
「これはトラン先輩の分ですよ。いわゆる依頼料です」
「依頼料、ねえ」
梨は、やわらかくて剥きにくい。というか、トランが食べていいのなら、そのまんまかぶりついてもいいのだが。
ーーこうして皮を剥いてれば、顔を見られないと思ってんだろうな。
顔を見ずともわかる。彼女の声は、か細く震えていた。
「んで、依頼って? 殺しか、人攫いか?」
「そんな物騒なことじゃないですよ。ただ、騙して欲しい人が、二人いるんです」
「騙して欲しいやつ? なんで」
「詮索はしないお約束ですよ、ネラルのギャングさん」
『円卓』のトラン先輩ではなく、ギャングとしてのトランへの依頼というわけだ。そうすることで、『円卓』同士で顔を合わせない約束を守っているつもりなのだろうか?
「二人には、私が死んだとしても、生きているって偽って欲しいんです」
「当ててやろうか、一人はハドソンだろ?」
「……お見通しでしたか」
梨を剥き終わった。今度はすももを注文された。
「ハドソンを余計なことに巻き込まないように死んでくつもりなんだろ、お前は」
「そうやって、綺麗なことを言えたら良いんですけどね……違うんです」
嗚咽が聞こえた。もう顔を伏せている必要はないだろう。トランは、死にゆくエリサの言葉を受け止めるべく、顔を上げた。
「ハドソンが、私以外の人を愛するのを、私以外の人に愛されるのが、嫌なんです」
エリサは泣いていた。彼女の首から下は動かない。だから、袖で涙を拭うことさえできなかった。
「死んだら、どのくらいあの人の心の中にいられるんだろうなって、思うんです。私みたいな人間が、あんな素敵な人の心に……」
ちょっと美化しすぎなんじゃねェかな。
そう言いたかったが、トランは口をつぐんでおいた。かわりに、はらはらと流れ落ちるエリサの涙をハンカチで拭った。
「だから、私は、あの人の中でずっと生きていたい。忘れられたくない、死んで忘れられるくらいなら、私は生きたままでいたい」
ハンカチはもうぐっしょりだ。「ごめんなさい」とエリサは笑った。「アイツはお前が死んだって、お前以外の奴を愛することなんてない」と言うこともできたが、それこそ美化である。トランは、彼を含む『円卓』たちは、大いに思い知っている。絶対などあるはずがない。変わらないものなどないのだと。
「んで、もう一人は?」
「もう、一人はーー」
遠い記憶を思い出していたトランは最初、なぜハドソン達が「ひっ!?」だの、「誰だ!?」だのと声をあげているのかわからなかった。
「おいおい、お前らどうしたんだ?」
のんびりと尋ねれば、ケイヴが暗闇の向こうを指さした。
「誰かが降りてきたんだよ、たしかに足音が聞こえた!」
「トラン先輩助けてください〜」
大の男二人が自分の背中に隠れる……一人はエリサが愛した男であるのに、トランは溜め息を吐きたくなった。だが、たしかに、足音は近づいてくるのである。
ーー大人のモノじゃねえな。こりゃ、ガキの足音だ。
わずかに気を緩める。だが、次の瞬間姿を現した少年を見て、トランは自分の運のなさを呪った。
少年は、あの一族特有の色をしていた。あの一族は、瞳は真っ黒、髪は黒に近ければ近いほど力が強くなるらしい。だから、目の前の黒髪の少年は、おそらくダグラス本家だ。
ーーなんで、こんなところに。
ハドソンとケイヴを見る。どちらもダグラス一族とは会わせたくない人物だ。ケイヴはエリサの偽物を糾弾するだろうし、ハドソンに知られたら、エリサとの約束を果たせなくなる。
意外な人物の訪れに、驚いたのはハドソンとケイヴである。
「もしかして、君がジルト君の親友のダグラスの子?」
ハドソンが目を丸くして言う。ダグラス本家は頷いた。
「アイツがどう言ったかは知りませんが、そうですね。それにしてもおかしいな、どうして貴方たちは、こんなところにいるんですか? 本当は」
そこで、トランを見、続ける。
「中庭にいるはずだったのに。少なくとも、俺の予知ではそうなってた」
「だけど、そうはならなかった。誰かが君の予知を変えたからだ。やっと見えてきたぞ、全体像が。トラン、僕たちはな、ここに降りてきたんじゃない。突き落とされたんだ」
なぜか偉そうなケイヴは、したり顔。「偉そうに言うことじゃないと思いますよ」と控えめに突っ込むハドソンは、それを否定していない。
「……突き落とされたって、誰に」
「バルトのアホにだよ。なんだっけ、“全部終わるまで、ここでじっとしててくれ”って言ってたな」
「全部、終わるまで……」
嫌な予感が、トランの全身を駆け巡った。エリサとの約束、もう一人、死を偽装しなければならない相手……全部終わったらどうなる? アイツはエリサの望みを知っているのか?
…。
……。
その名前を聞いたトランは、「お前も残酷なことをするよな」と言って、りんごを丸齧りした。
「さんざん代筆で使っといて、自分の死に際には立ち会わせないとか。ていうか、俺には立ち会わせるのな」
「トラン先輩は、ギャングだから、人の死とか慣れてるでしょ? というのは冗談で」
「笑えない冗談だな」
「最初は、あの子に見送ってもらうつもりだったの。だけど、気付いてしまったんです。私が死んだら、今度こそ、あの子は私になってしまうって」
彼女の手が動かせたなら、シーツが強く握られていたはず。眉間に皺を寄せる彼女は、再び泣き出しそうな目になった。
「私の嫌な部分、全部あの子に押し付けちゃった。だからお願い、トラン先輩。私の死をあの子に伝えないで。そうしたら、あの子はあの子のままでいられるだろうから」
「……ああ、わかったよ」
この時、トランは言わなかった。言えなかった。もう遅いということを。エリサの指示でなく送られてくる手紙には、狂気の色が混じり始めていたことを。
だから、それを言わない罪滅ぼしに、約束した。
「お前が死んだことは、誰にも言わないから」




