愚かなもの
ドツボにハマっていく。
「結論から言いましょう。我々は、第二の手段に出ます」
伯爵邸。オーク材の重厚な色をしたテーブルの天板に、写真が三枚並べられた。一枚目はファニタの母、二枚目はファニタの妹。そして三枚目は、灰色の髪の少年。
「彼も、人質に加えましょうか?」
鳶色の瞳を冷え冷えとさせて、目の前に座る、アゼラ伯爵は言う。
「あ、あ……」
ファニタの頭は真っ白だ。
「なんで……」
ジルトのことには言及せず、ただ、失敗したと報告した。それなのに、なぜ。
震える指先で、写真を持ってみる。隠し撮りのような写真。街中ではない、これは。
「学内……」
「ええ。貴方にハルバを引き込むのを任せたと同時、私の手の者を学園に紛れ込ませました。貴方のお粗末な演技のことを、しっかり報告してくれましたよ」
「なんで、だって」
言葉が出てこない。
「そんなに簡単に紛れ込ませることができるなら、私なんていらないんじゃ……」
「ただ遠くで見ているだけの者なら。存在しないはずの生徒が接触するのは、あまりにリスクが高すぎる。だから、貴方なのです」
ファニタの体から力が抜ける。
「ああ、それとも、ジルト君に手伝わせましょうか? 今度は貴方を人質にして」
「彼を巻き込まないでください! わかりました……わかりましたから!!」
悲痛に声を絞り出すファニタに、アゼラは穏やかに微笑む。
「ええ。それでいいんです。とはいえ、私もそこまで鬼ではありません。ハルバは他の者に任せましょう。多少手荒になりますがね。まあ、生きてさえいれば問題はありませんから」
アゼラの甘い提案に、ファニタは首を横に振り、
「ハルバは、連れてきます。だから、私に任せてください、お願いしますっ」
懇願した。自分の手からこの件が離れてしまった時、ハルバは一体どうなるのか。それが怖い。ハルバを連れていきたくもないが、このままこの件から手を引いたら、一縷の望みが無くなってしまう。
「……」
鳶色の瞳と目が合う。アゼラの表情が、苦み走ったものになる。だがそれも一瞬だった。すぐに、作った笑顔に変わる。
「良いでしょう。ハルバの件は引き続き貴方に任せます。勿論、あの研究も忘れずに」
「はい……」
ファニタは細い肩を震わせた。その青い瞳からは、光が失われつつあった。
学園に行くのが好きだった。なぜなら、彼がいるから。でも、今のファニタには、そこは地獄に思えた。
どうやって帰ったかは覚えていない。
ぐるぐるぐるぐる。アゼラの言葉が頭の中を回っている。
ハルバを連れてこないようにする方法。ジルトを巻き込まない方法。そして、“あれ”を完成させない方法。考えても答えは出てこず、深みにはまり、マイナス思考が止まらない。
暗い顔で学園の門を潜ると、門番の青年が勢いよく頭を下げてきた。たしか、フレッド・シュルツという名前だったと思う。
「すまんアドレナちゃん! 俺、アイツに君のこと話しちゃったよ!!」
「アイツ……?」
「バルフィンだよバルフィン! あの唐変木が君の気持ちに気づいたのかと思って……てっきりデートだと……」
「……私って、そんなわかりやすいですか?」
学園に紛れ込ませたという、アゼラ伯爵の間者。その間者にさえ下手な演技と言われてしまうくらいに、隠しきれなかった恋心。
ファニタの質問に、フレッドは頷く。
「うん、すっごく」
そう聞いた途端、ファニタは薄く笑った。
「そうですか。そうなんだ……」
「お、おい、アドレナちゃん?」
焦ったようなフレッドの声。
「何でもないです。大丈夫ですよ、フレッドさん」
そう言って、足早に歩き出す。
ーー何が、恋心が役立つだ。
食堂で安堵した自分を、殴りたくなった。浮かれすぎていた。乙女の恋心とかいうあやふやなモノで、問題が先送りになったことを喜んだ。
結局産んだのは、事態の悪化だ。
自分の恋心は、本当に愚かだったのだと、ファニタは今日、痛いほどに思い知ったのである。




