嘘
ハルバがガウナに激昂したわけは、ファニタにはわかっていた。というか、ハルバが言わなければ、ファニタがガウナのことを罵っていた。
でも、ファニタには、ガウナを罵るよりも、優先すべきことがあったのだ。
「ねえ、ジルト」
そっと、肩に手を乗せる。ファニタはできるだけ、自然に言った。
「どうして、自分を無価値だなんて言ったの?」
委員長との会話を終えたジルトは、伏せていた顔を上げた。
この前から、彼の草色の瞳には、澱みが混じっている。
ルクレールとミュール、この二人が目の前で死んだ時、ジルトはその言葉を口走った。
前に、ガウナとジルトの因縁を聞いたことがある。良心。殺せないジルトのことを、ガウナはそう呼んだのだという。
一歩間違えば、正体を知られかねない言葉。けれど、双方とも正気じゃなかった。それは幸いだ。だからガウナはジルトを平手打ちしたし、ジルトも感情のままに殺意を口走った。自分を、否定する言葉を。
はっきり言って、ファニタはジルトのことを恩人だと思っているし、愛している。
だから、好きな人が自分のことを否定するのが、悲しくてたまらなかった。
ジルトは憮然として言った。
「あいつが信じてるものを否定するのが、いちばん効果があると思った。あいつは有りもしないまぼろしを追いかけてる。それを突きつけてやろうと思ったんだ」
「“良心”ね」
ジルトは頷いた。
「馬鹿みたいだ、あいつ。はじめて会った時は、俺を、人を殺す言い訳にして。どんどんどんどん神格化していって。そんなんじゃ、ないのに」
ジルトは机に伏せった。ぼそりと言う。
「死んでくのを、見届けることしかできなかったのに……」
自己嫌悪に陥っているところ悪いが、実は、ファニタはガウナの気持ちがわかる。わかるから、ジルトの気持ちに阿った。
彼女は、悲しいことに天才だった。
「そうね、ジルトは、普通の男の子だもんね」
良心という言葉とは違うけど、私だって貴方を特別視してる。自分の至らない部分を埋めてくれる、素敵な人だと思ってる。
「子爵が言った言葉、覚えてる? 地下の化け物の話。きっと、化け物は、地下の暗闇に慣れてしまって、少しの光でも眩しく感じてしまったのよ。それが、貴方だったって話」
きっとそれは特別な光だった。貴方が私を助けてくれたあの日みたいに。そうでなければ、パーティーの参加者は殺されていない。何百人もの参加者は殺されて、ジルトは殺されなかった。それが全てを物語っている。
「ええと、何て言ったかしら。犬に噛まれたと思ったら? 向こうが貴方を特別視しようが、貴方が向こうを特別視する必要はないのよ」
それは無理なんだろうけど。
たまたま居合わせたジルトが、たまたま彼の良心になっただけ。それだったら、どんなに楽だろうか。
「犬……」
ジルトが顔を上げた。ファニタは笑った。
「そうよ。だから、因縁なんて忘れて、今は……」
窓の外を見る。学園からは見えない教会で、行き倒れの遺体が弔われているはずだ。ジルトも釣られて窓を見て……
「許せなかったんだ」
机の上で拳を握りしめた。
「あんなひどいことをするあいつも、なにより、あいつの神格化してる良心が」
ようやく言ってくれた。
「大嫌いだ……だから、無価値って言ったんだ」
「自分で自分を嫌いになったのね」
ジルトは頷かなかったけれど、結局はそうなのだ。
たぶん、ガウナの思い人が……良心が別の人物だったら、彼はあんなことを叫ばなかった。良心が自分だとわかっていたからこそ、叫んだ。
ガウナへの意趣返しではなく、彼のまぼろしを否定するのではなく。現実の、自分自身を否定するために。
あのくすんだ金髪の子爵が謝ったのは、この結果がわかっていたからだ。死者を恨むのはお門違い。だけど、背中を押した彼に、ファニタは良い顔をできない。
ファニタの好きな人が、こんなにも傷つけられることになったのだから。
死者も所詮は人間だ。死ねば心象が良くなるかというと、別にそういうわけではない。
自分の父親の件で、それは痛いほどにわかっていた。
彼らはきっと、わるい大人だ。
そして、ファニタもまた、わるい子供だった。
「それなら、降りちゃえば?」
「……え?」
「何もかも放り投げて、自分を好きになれば良いのよ」
「放り投げたら、余計自分を嫌いになるだろ」
責任感のある言葉。けれどそれは、彼との間の複雑で、そして単純な因縁の上に成り立っている。
「あの人って、誰も彼もに恨みを買ってそうだし、貴方が討たなくても、放っておけば死ぬと思うわよ」
「でも、その分たくさんの人が死ぬ」
「貴方が関われば、たくさんの人が死なずに済む?」
「……わからない」
まさか自分も背中を押す側になるとは。文句を言う筋合いはないのかも。
「また、あの王様が召喚されたとして、勝てると思う?」
少し意地悪かもしれない。ジルトが傷ついたような顔をした。
「無理よね。なら何故、貴方は降りようとしないのかしら。簡単よね」
二人が死んで、瞳を澱ませて、でも彼が、降りるのを躊躇う理由。
「貴方が、殺したいからでしょ? 他の誰でもない貴方が。それが、理想の復讐だからでしょ?」
「……」
「自分が嫌いになっても、人が死んでも。貴方は一つのわがままを通したいのよ」
「俺って」
「ん?」
「俺って、そんなに重くてひどい奴だったんだな」
「そうよ」
ファニタは口では肯定しておいた。心の中では、ずっとジルトを褒め称えているにもかかわらず。
けど、ジルトを立ち直らせるには、“彼”と真逆のことを言うしかないのである。
ほら。
「ありがとう、ファニタ。そうだよ。俺が、俺だけが、あいつを殺したいんだ」
言ってる言葉は物騒だが、ジルトの瞳は、いつものように少しだけ濁ったものになっていた。
心は傷みに傷んでいたが、ジルトがそうやって笑ってくれるなら、安いものである。
窓の外を見る。細く棚引くそれが、見えるはずもないのに、見えた気がした。
ーー私は、降りてもらいたいんだけどな。
降りたとしても、愛する自信があるんだけどな。
そんなことを思いつつ、結局ファニタは、自分の好きな人を否定して、背中を押してしまったのである。




