きっと短い、五分の終わり
黒曜石の双眸には、一体どんな感情が渦巻いているのだろうか。
「待ってたぜ」
教祖室。
シンスが座っていた椅子から立ち上がり、こんこんと壁を叩く。
ジルト達が来るのを予期していたかのような彼の行動は、ハルバの予知の通り。だが、ジルトの胸は、どこかざわついていた。
「甘ちゃんのお前だったら、こっちに来ると思ってた」
虹色の縁の穴が、壁に現れる。
「これは、『魔女の棲家』つまり、旧アッカディヤ家につながる“抜け穴”だ。ここを通れば、クソ公爵に会える」
ジルトは足を踏み出した。シンスが、瞳を眇める。口を開いた。
「けど、お前は後悔する。絶対に」
足を止め、ジルトは笑った。シンスが、バツが悪そうに頰をかく。
「ジルト」
ハルバが黒瞳を光らせながら言う。「もう、始まってる」ジルトは頷いた。
ジルトはナイフを、その背中に突き立てた。きちんと、左を狙って。
ぼたぼたと床に溢れる血。それは確かに赤かった。この男が人間であることの証明だ。
本来の体の持ち主でないことはわかっている。ハルバが視たとおり、ガウナは自らに『アッカディヤの魔術儀式』を使い、誰かを降ろしているのだ。それは……。
男がナイフを躊躇なく引き抜く。からんと床にナイフが落ちる。こちらを振り返った。
ーー誰だ?
「待ってたよ、ジルト君」
声を聞いて、ぞくりと、肌が粟立った。向けられる笑顔は確かに甘くて瑞々しい。しかし、それはあくまでも表面上。皮を剥けば、どろどろと濁って腐りきっている。
国を憂えた老人の、昔話を聞いた時の感覚とおなじ。ジルトは、震える声で、彼の名を呟く。
「トウェル、おじさん……」
「正解」
微笑む。伸ばされた手を、ジルトは叩いた。叩かれた手を、トウェルはきょとんと見つめる。
「まさか、拒まれるとは」
「拒まれないとでも思ったんですか。俺は、あんたがやろうとしていたことを知ったんですよ」
一切の馴れ合いも必要ない。ジルトは全神経を張り詰めさせて、トウェルと対峙する。対してトウェルは、それはそれは仕合わせそうに笑った。
その歪な表情に、ジルトは怪訝な顔をする。
「怒らないんですか」
「怒るとでも思ったのかい? 可愛い反抗期じゃないか」
先程のやりとりを、そっくり返される。完全に遊ばれている。ジルトは奥歯を噛み締めた。その寛容さの裏には、蔑みが隠れていることを実感してしまう。
「頭を撫でさせてくれよジルト君。君は可愛い甥っ子みたいなものなんだ」
「俺は、もうそんな歳じゃありませんよ」
懲りずに手を伸ばしてくるトウェルに、ジルトがそう応じる。そう、彼はーー
「下がれ!」
ハルバがそうやって叫ばなければ、彼の膝は、ジルトの腹にめり込んでいた。トウェルが表情を消してハルバを見る。
「あー、そうか。レオンくんの弟もいたか。それと……」
トウェルの瞳がファニタを捉える。ファニタは、失神しそうなほどに顔を青ざめさせていた。
「天才の二番煎じ。よろしいよろしい。それならば、君たちに一つクイズを出そう」
トウェルが頷いて、ぱちんと指を鳴らす。ハルバが「だめだ」と小さく呟いた。
「あるところに、頭の良い獅子がいました。僕はその獅子の見た目を気に入っていた。でも殺さなくちゃいけない。その場合は、どうする?」
「獅子……?」
馬鹿正直にクイズとやらに答える必要はない。だが、今この場を支配しているのは、紛れもなく彼だ。
「あと、一分二十秒」
トウェルが告げる。
「中から」
「ん?」
「中から、殺す?」
「正解」
ファニタの答えに、トウェルは「やるじゃないか」と称賛する。その瞬間、ジルトは見た。ルクレールとミュールが、同時に床に跪くのを。彼らは胸を押さえて、苦しそうに呻いていた。
「臆病者のディーチェルは仕留められないか」
何が起こったか理解できないという顔をしているチェルシーを見て、残念そうに呟く。
「ただの病から死に至らせる方法。牙のある獅子に触れずに殺す方法。ほんとうは、シルヴィの心臓も凍らせるつもりだったんだ」
下卑た笑みを浮かべて、ジルトを見る。
「さあ、凍った心臓は、どうすれば治ると思う? 僕は、そこの無能に頼み込んで、炎で解かしてもらえばいいと思うよ」
指さした先には、リルウがいた。
「ただ、あの魯鈍な娘にそれができるかはわからない。姫の子孫とはいえ、炎の魔術を使えるかも、ね。彼らを助けられるのは、相当な炎使い」
とん、と自らの心臓を指さした。
「つまり、ガウナくんというわけだ。あと三十秒。ガウナ君が戻ったら、おねだりしてみるといい。きっと、君のお願いなら、快く聞いてくれると思うよ」
そんなことは不可能なのに、あたかも救えるかのように言ってくる。ジルトは、ルクレールとミュールを見た。床にうずくまって、トウェルのことを、燃える瞳で見ている。そうだ、まだ……まだ!!
「ルージュ秘書官は、儀式中の記憶がありませんでした」
声が震える。それは、トウェルではない、二人に向けた言葉だ。
「だから、なにもしらない。心臓を、燃やすように、仕向ければ」
どうやってかはわからない。わからないのに、ジルトは喪う恐怖から、ありもしない解決策を口に出す。トウェルが慈しみに溢れた笑みを浮かべた。
「なるほど、それは名案だ。さすがジルト君。だけど、もう遅い」
どさりと音がした。ミュールが、床に倒れ伏していた。
「内部からの攻撃には弱いみたいだね」
他人事以上の冷たさを以って言う。「ごめんねジルト君。僕の娘が弱いばかりに」
駆け出したジルトに、ハルバの声は届いていなかった。今度こそ、トウェルの膝が腹にめり込む。衝撃。吐瀉物が床に叩きつけられる。
トウェルが屈んで、ジルトの頭を撫でた。
「あともう少しか。楽しかったよジルト君。お別れの言葉は用意した?
またね」




