ながい、五分のはじまり
銀色の髪に藍色の瞳。されど彼は、彼ではない。
同じはずの声帯から発せられる声は、全員の背筋を凍らせた。
「正解だ」
全員が飛び退ったのを見て、彼はゆったりと微笑んだ。まるで児戯を褒めるかのように、ぱちぱちと手を叩く。軽い音が、緊張感で張り詰めた室内に虚しく響く。
何が正解なのかはわからない。だが、あの場にとどまれば、たしかに皆死んでいたことはわかる。
ガウナが口にした名前は、最低最悪の男のものだった。それは威しであろうか。いや、それは紛れもなく、彼自身なのである。
彼は、何かを探すように室内を見回し……溜め息を吐いた。
「なんだ、ジルト君はいないのか」
残念そうに零し、「いるのは、役立たずだけ」と呟いた。ひらりと手を振る。
「やあ、愚娘。お前、まだ死んでいないのか。嘆かわしいな」
たっぷりと嘲笑を含んだ瞳を向けられて、リルウはびくりと震えた。実の父親は、死んで蘇っても性根が腐りきっていた。
それでも、リルウは何かを思い出したかのように拳を握り、彼を睨みつけた。
「私はっ」
「応えるな。お情けで声をかけてやっただけだ。そんなこともわからないのか、愚図が」
氷のように冷たい言葉。リルウが拳をほどき、唇を噛み締める。
リルウを沈めた彼は、今度はその場にいる全員に目を向けた。
太陽のように朗らかな笑顔で。まるで人好きのするような、害意の全くない笑顔を浮かべて、言い切った。
「愚かなる臣民よ、残念なことに、君たちをすぐに殺してやることはできない。なぜなら、その方が面白そうだからだ」
「舐めた口を……!」
ミュールが唸り、細剣でなく小刀を投げる。その小刀は、彼のすぐ前で止まった。否、凍った。
鈍い音がして、凍った小刀が床に落ちる。
それが、さきほど彼が「正解」と言った理由。あの時飛び退らなければ、きっと皆、心の臓まで凍っていた。
「ところで、ヘッジ子爵。君は先程から、転移魔法を発動しようとしているね」
ルクレールが舌打ちする。いくら踵を鳴らしても、彼が転移することはなかった。
「君はもう少し賢いと思っていたのだけれど、付け焼き刃の魔法で僕に挑む程度には愚かなんだね」
失望したような声。それとともに。
ルクレールは、見た。いや、この場合は、彼がそれをわざわざ見せてくれたのである。
「転移魔法は、“抜け穴”の原理を利用している」
転移魔法陣が、凍っていた。彼は、とんとんとつま先で魔法陣を叩いた。
「イメージとしては、足元に突然穴が空くような感覚だ。だから、皆対応できない。しかし厳密に言えば、これは穴ではなく“抜け穴”だ。それがわかれば、対処のしようがある。つまり、穴を塞ぐんだ」
音を立てて魔法陣が割れる。ルクレールの転移魔法が無効化されたのである。
「きっと君には見えていないだろうから、視覚化してやった。魔法陣……抜け穴に物理的な力を加えることは不可能。凍るというのはあくまでも現象であり、実際は、魔力で“抜け穴”を塞いでいる」
つまり。
彼は、穴が足元にできるのと同時に、穴を塞いでいるのである。その人間離れした芸当に、ルクレールは息を呑んだ。
「じゃあ、やってみようか」
彼が指を鳴らす。ルクレールの足元に、魔法陣が浮かび上がり……ミュールが即座に体当たりする。
ルクレールの体が神がかり的な速度によって魔法陣の上から退けられる。
「ふむ」
不発となった魔法陣が消える。顎に手を当て、彼はミュールを見た。
「流石はシルヴィの元従者。前に突っ込むことしか知らないという評価は取り消そう」
「勝手に変な評価をするのやめてもらえます?」
ミュールの声は低い。口元がひくついている。
「ドブネズミに負けた男のくせに、何を偉そうに講釈を垂れ流してるんですか。それよりなにより、その薄汚い口からお嬢様の名前を出すのやめてもらっていいですか? 正直、ジルト様の名前を出されるのも我慢なりません」
「まったく、よく喋る犬だな」
彼が指を鳴らす。だが、ミュールは動じない。
「さっき、転移魔法は、“抜け穴”を利用してるって言いましたよね」
「ああ、言ったよ」
「だったら、私には通じませんよ。だって私、おそらく、抜け穴と絶望的に親和性がありませんから」
彼女の言った通り、転移魔法は発動しない。彼は少しだけ、ほんの少しだけ、目を見開いた。
「だから、ヘッジ子爵を庇ったのか。すごいね、ちゃんと根拠があったんだ。すごい、すごい。考える頭があるんだね」
ミュールに転移魔法が効かないことではなく、侮っていたミュールが思考していることへの驚きだった。
そのどこまでも人を舐めた態度に、ミュールは舌打ちする。
彼は、ミュールの特性を脅威と考えていないようだ。
「さて、そろそろ飽きてきたな」
未だに彼は無傷。悠然と二本の足で立っている。
「ディーチェル家の君は、何かしないの?」
珊瑚色の髪の少女に問う。
当然のように正体を看破されている時点で、彼に結界の攻撃は無効。
近づいた時点で、転移魔法陣のように、そしてミュールの投げた小刀のように、氷の塊とされてしまうだろう。
不用意な攻撃はできない。チェルシーは奥歯を噛む。魔法的な攻撃が通じないのは、彼のこれまでのご高説で痛いほどわかっている。
ーーこのとき。
チェルシーは、願ってしまった。彼女の英雄が、来てくれるのを。こんなどうしようもない状況を、あの時のように笑って変えてくれるのを。
そして、彼もまた、甘やかな笑みを浮かべた。
「だから、そろそろ、君が来てくれるといいなと思ってたんだよ」
彼は、トウェルは、誰にともなくそう言った。いや、トウェルと対する者たちは、その言葉が誰に向けられていたか、わかっていた。
トウェルの背後に、虹色の縁の穴がぽっかりと空く。突き立てられる刃。
ぼたぼたと、あまりにもあっけなく、大量の血液が床に落ちる。トウェルは背中の刃を引き抜いた。
振り向いて、蕩けるような笑みを浮かべる。
「待っていたよ、ジルト君」
君に、見せたいものがあるんだ。
ブラフ王




