自尊心の高い名医
保険はかけるものではないのだ
レイデスは、ペンを置いた。丸椅子をぐるりと回し、ジルトを見る。
「折れてはないようだね。腫れは一時的。クライス君は、手を抜いてくれていたらしい」
「良かった、ちょっと心配だったんです」
ジルトは笑って、手をグーパーする。反対に、レイデスは怪訝な顔をしていた。
「それで、私に診察をさせて、何を確認したかったのかな?」
「貴方が医者であるということをです」
「……私が?」
ジルトは頷いた。空白のカルテには、ジルトの診察記録が新たに書き加えられていた。儀式も何も関係ない、ただの院長としての仕事の証が。
「貴方は、たくさんの人を救ってきたんですよね。きっと、火事で、志を折られたたくさんの医者の分まで」
「私が折れなかったのは、引き返せなかったからだよ」
誰かを思い出すように、レイデスは遠くを見るような目になった。
「君のいう通り、たくさんの人を救ったよ。感謝の言葉も聞いた。でもそれは、私には響かない。信じられるのは、ほんとうの私を肯定してくれる、悪魔のような人間たちだけ」
一人忘れてないか。ジルトはそう思ったが、口を噤んでいた。
「たくさん救ったから赦されるというのは、通用しないんだ。なぜなら、私は、全てを見下しているからね。“血筋に縛られない圧倒的な個”。それが私だからさ」
「人を見下しながら、人を救ってるから駄目ってことですか?」
「そうだ。行為に精神が宿っていない。赦されたいとも思わないね」
たくさん救ったから良いじゃないか。レイデスの悲痛な気持ちを知ったジルトはそう思うのだが、なかなか彼は自罰的な思想を持っているらしい。
たしかに、ガウナによる『魔女の信徒』の信者を殺す計画を容認したのは悪いことだ。でも、まだそれは実行されていない。まだ間に合う。
あの男とは違ってーー。
ジルトは内心で苦笑した。妻に会いたい男と、恋した少女に会いたい男。似通っているのに、そこには深い深い谷間が存在する。紛うことなき逆贔屓だ。
自分の嫌なところを見てしまったジルトは、背後に目をやった。大丈夫。情けない話だが、引き戻してくれる友はいる。
頼もしい気分だった。ファニタは薄く笑みを浮かべているし、ハルバは不安そうながらも、決して口出ししないでいてくれる。
だから、ジルトは踏み込んでいけるのだ。再び、レイデスと目を合わせた。
「人を見下すってことは、自分が優れていると自覚してるってことですよね?」
「そうなるね。正直言って、私はとても傲慢な人間だと思うよ。私より優れている人間なんて、この世にいないと思っている」
「それで良いと思います」
ジルトは笑った。レイデスは、「君はよくわからないな」と憮然として呟いた。とん、とん、と、ついさっき埋まったばかりのカルテをペン先が突く音が室内に響いた。
「褒め殺し作戦とでもいうのかな? 私の荒んだ心を懐柔するつもりかな?」
「いや、俺はあんたの性格は肯定してないですよ。あの公爵と匹敵するくらいにドブみたいな性格してるなと思います」
誤解されないように、ジルトは訂正しておいた。レイデスがペンの動きを止め、口元をひくつかせた。が、それは事実なので気にしない。ジルトが評価しているのは、レイデスの今までの功績と、そして。
「自信があるのは、良いことだって言ってんですよ」
「その自信が、増長を呼んでるんだが?」
「そう。貴方は、方向性を間違えてるだけなんですよ」
「大人に向かって説教かい?」
「ていうセリフが、既に大人じゃないんですよね」
ーーうっわ、俺生きて帰れるかな。
内心冷や汗ダラダラで、だが、ジルトは言わざるを得なかった。
「あんたが誰よりも優れてるっていうなら、どうして、医術じゃなくて魔術に頼っているんですか?」
初めて会った時のことを思い出す。クレイが自慢気に言った言葉を。
『父ちゃんはめーいなんだぜ! あっという間に患者を治しちゃうから人気なんだ』
名医。それなのに、彼は自分の領域ではなく、『アッカディヤの魔術儀式』による運命操作で、彼女を救おうとしている。
「より確実な方法が必要だからだ」
「医術に自信がないってわけですね。だから、魔術に頼ってるわけだ」
レイデスが、ぎり、と奥歯を軋ませた。
「使えるものならなんでも使うよ。私がアッカディヤ一族の生まれだから、それを使ったまでさ」
「血筋に縛られない圧倒的な個なのに?」
笑みを絶やさないようにするのに努力しすぎて、そろそろ表情筋が疲れてきた。ので、ジルトは真顔になった。
「貴方は、医者なんですよ。レイデス院長」
「……知ったような口を」
「さっき診てもらったから、“知ったような”じゃないです。俺も患者だから」
「本当に、何を言いたいんだ、君は」
「勝算のないご先祖さまの魔術に頼るよりも、自分の力に頼れって言ってんだよ」
ジルトは不遜に足を組んだ。がくがく震えるのを誤魔化すために。
「『アッカディヤの魔術儀式』を使って、魂の同一化? とやらをやってもいい。けど、奥さんの病気を治すのを、魔術頼りにするなって話です」
「……来世で失敗したら? 現に、今世では失敗した」
レイデスの瞳が震えるのがわかった。
「あんたが心の奥底で、失敗しても魔術があると思っていたからでしょう」
もしかしたら、今世で助かったかもしれないのに、とは言わないでおいた。だから。
「だから、来世では、救えますよ」
「……っ」
「貴方は、名医なんだから」
どんな理由があれ、たくさんの生きてる人を救ってきたのだから。あの地獄のような世界で、医者を続けてきたのだから。
むしろ、『アッカディヤの魔術儀式』こそ、この天才の足を引っ張っているのだ。要は、努力の方向性が違う。
『あいつ、惜しいな』
あの言葉は、きっとそういう意味なのだ。
ジルトは、泣き伏すレイデスを見ながら、そう思い。
それを見守っていたファニタは、その結末に安堵していた。
最終手段を使わずに済んだことを。まだ、彼が頑張れば妻の運命をどうにかできると、信じられていることを。
どこかの鳶色の目をした伯爵の、清々しい笑顔を幻視しながら。




