努力の方向
クライスとラテラが死闘を繰り広げている時。
『ユーフィット医院』診察室にて。
「君は、えーと、ジルト君?」
レイデスが首を傾げながら言う。ジルトは頷いた。腹を押さえる。
「最近どこかの公爵のせいで、胃が痛いんです。診てもらえませんか?」
「それは、精神的なものじゃないかな」
レイデスの視線は、ジルトの背後へと向けられていた。壁際に立っている二人……ハルバとファニタに。ファニタは丁寧に名乗り、ハルバは簡潔に名乗った。
「三人で来ておいて、診察を受けに来たというのは、少し苦しい言い方じゃないか?」
指摘され、ジルトは「まあそうですよね」と腹に置いていた手を退けた。
「本当は? 何をしにきたんだい?」
「貴方の説得に来ました」
「説得、ね」
レイデスの瞳が冷たい色を放つ。
「それは、どんな説得? もう公爵に関わるなというような内容かな?」
「はい。あとついでに、あの公爵がやってきたことを新聞社にリークしてくれると助かります。トウェル王がやってきたことも全部アイツに擦りつけて」
「関わらないよりもハードルが高いね、その『ついで』は」
苦笑するレイデスは、ジルトのガウナへの敵意を読み取ったようだった。と、背後のハルバに目を向ける。
「君は、ダグラス家だったね。予知能力はあるの?」
唐突に訊かれて、ハルバはまごついたようだったが、頷いた。「あります」
「そうか。それじゃ、この“説得”の行方もわかっているわけだね」
つまらなさそうに言うレイデス。だが、ハルバは、今度は首を横に振る。
「俺にはわかりません。なにせ、音が聞こえないから」
「……音?」
「そう、音です。見えるだけです。唯一視えたのはーー」
口籠る。ジルトはその続きを知っている。“貴方が泣く姿です”だ。どんな意味の涙なのかはわからない。ただ、目の前のこの男が泣くくらいに、感情を揺さぶられることはわかっている。だから、来た。時間いっぱいまで説得するために。
『なんだか、今日があの公爵の命日になりそうだよ。ていうことで、ラテラを置いていくね』
ジルトたちの作戦を聞いたチェルシーは、そう言って、どこかへ向かった。
ハルバが視るも、チェルシーの行方はわからず。きっと、葬儀の時に使った“結界”を使っているんだろう。だがこれで、監視役のクライスを撒くことができる。
小さな女の子と、経験豊富な暗殺者。どちらもスピレードの“教え子”だが、ラテラの分が悪い……と、思いきや、ハルバの予知では互角とのこと。
ラテラの無事を祈りつつ、ジルトたちは、ユーフィット医院で“説得”に臨んでいる。
たとえ、成人男性を泣かすことになろうと、ジルト達には、やらなければならないことがあるのだ。
レイデスは、冷たく言い放つ。
「私が公爵と手を切ることはないよ。彼は、重要な被検体を提供してくれているからね」
「被検体?」
「死後二百年説って、知ってるかい?」
ジルトは首を横に振る。代わりにファニタが答えた。
「同じ人間の魂は、死後二百年後に蘇る。要は、生まれ変わりですよね」
「その通り。流石はアドレナ男爵の娘さんというところだね。全ての人間は、二百年後に生まれ変わるんだ……私の妻もね」
レイデスは笑った。それこそが、彼がガウナに協力する理由だと、ジルトは感じた。ファニタが何かに気付いたように言う。
「もしかして、『アッカディヤの魔術儀式』を使うつもりですか?」
レイデスは、頷いた。
「ただ、生まれ変わりを待つだけでは駄目なんだ。ジルト君のように。そしてあの魔女のように、お姫様のように。選ばれない人間は、魂の同一化を自力でするのは難しい。だからこそ、あの魔術儀式で調整をするんだ」
「調整?」
「私の妻……ティリアナと言うんだが、彼女は、不治の病で死んだ」
ジルトたちは、ごくりと息を呑んだ。
「『アッカディヤの魔術儀式』は、希望なんだよ! そうならざるを得なかった人の運命を変えるんだ。終わった運命の輪を断ち切り、今度こそ、病という運命を変える」
「そうすれば、ティリアナさんは、助かると?」
「そうだ」
陶然としたように言うレイデス。『魔女の信徒』、そしてトウェル王時代の禁域を庇うのには、妻への愛が根底にあるのだ。
難しいな、とジルトは思った。背後を振り返る。ファニタとハルバも、今のジルトと同じような表情をしていた。
既に亡くなった人が、心の中に住み続けている人は難しい。ジルトだって、母が焼死する運命から逃れられると聞けば、喜び勇んで飛びつくだろう。
「どうやら、理解いただけたようだね」
ジルトたちの表情を見て、レイデスは笑う。今度は、儚い笑い方で。
「誰を犠牲にしても良い。ただ一人の大切な人が助かるのなら」
彼の本心は、診察室に沈黙を作った。
「妻は喜ばないかもしれないが、私はティリアナを助けたいんだ。もっと、たくさん、美味い物を食べさせて、綺麗な景色を見させて、そして、愛したかった!!」
声を張り上げた自分に驚くように目を丸くしたレイデスは、ごほんと咳払いをする。
「そのためには、彼の力が必要なんだ。私は、もっとたくさん研究をする必要がある。妻の魂から、病死という忌まわしき運命を取り除くために」
悲痛な表情をする彼。机の上の、空白のカルテに皺ができるまで握りしめていた。彼の机には、何枚ものカルテが積み上げられていた。『魔女の信徒』目的でない、普通の患者の診察記録。
「……やっぱり」
それらを見て、ジルトは呟いた。両手を差し出す。
「やっぱり、診てください。精神的な方じゃなくて、身体的な方なんですけど。俺、ちょっと前に、両手にパンチを食らって腫れちゃったんですよ」
「……え」
固まるレイデス。背後の二人も戸惑っているようだ。いや違う、ファニタだけは、小さく笑っているようだった。
「頼みます、名医さん」
ジルトはレイデスの目を真っ直ぐ見た。きっとそこに、突破口があると信じて。




