牙を抜かれた獅子
聡明なるトウェル王は、金色の髪に紅い瞳を持った美丈夫だった。
帝国の皇族にも劣らない美貌を持った彼は、自国では、前王が始めてしまった戦争を止めたヒーローで、帝国では、戦債を負わされてしまった間抜けという、相反する評価を受けていた。
「……気に入らないわね」
ラミュエルと同じ白金の髪を持つ、十歳年上の長姉は、休戦日にのこのこやってくるトウェル王を毛嫌いしていた。
父や母、その他の兄弟姉妹は、この男をからかって遊ぶ陰湿な遊びにどっぷりとハマっていた。
そんな家族に蔑んだ目を向けるでもなく、姉はただ溜め息を吐き、膝に乗るラミュエルの頭を撫でながら、自分の考えを話してくれた。
「ラミュエル、戦争がどうやって始まったか知ってる?」
「はい! 王国の第一王子が、緩衝地帯で亡くなったことからです!」
「正解。じゃあ、戦争が終わったのは?」
「前王であるシド王が崩御したからです!」
「よくお勉強してるわね。えらいえらい」
「えへへ〜」
姉はたくさん人を殺していた。けれど、ラミュエルを撫でるその手つきは、たしかに優しいものだった。
「じゃあ、シド王はどうやって崩御したの?」
「えっと……病死です! 王都にて、日々の心労がたたり、治るはずの病をこじらせて衰弱死したと……トウェル王が」
「そう。あの男が、そう言ったのよ」
頭を撫でる手が止まった。姉の声には、緊張が走っていた。
「戦争が始まったのも、終わったのも、王国側が原因よ。そしてそれには、あの男の影がある」
「姉様?」
「ああやって道化を気取るのも、策略の内。私たち獅子の牙を抜こうとしているのよ……なめられたものね」
ラミュエルが見上げると、姉は獰猛に笑っていた。ラミュエルより深くて綺麗な翡翠の瞳を細めて。
絶対王者の獅子の如く、気高く美しく、聡明な姉は、十一年前に死んだ。あの男の前で。
「共和国の刺客が紛れ込んでいたようだ」
これ見よがしに、死んだ兵の懐から紋章を探し出して言うあの男の目の奥は、嗤っていた。きっと嗤っていた。牙を抜かれた愚かな獅子を、これから死にゆく帝国を。
だってあの男は、姉が死んだ後、真っ直ぐにラミュエルに向かって歩いてきて、頭を撫でてきたのだ。まるで姉がそうしたみたいに。ラミュエルと姉のやりとりを、ずっと見ていたぞとでも言うように。
怖くて怖くて足が震えた。
あの姉が負けた相手。私が、勝てるはずがない……。
俯くラミュエルの頬を、傍から見たら前を向かせるように、しかしラミュエルにとっては目を逸らすことを赦さないように、トウェル王は両の手で優しく包んだ。そして、ラミュエルにだけ聞こえる声で、言った。
「獅子の肉は、柔らかかったよ」
「あ、あ……」
「君は、どんな味なんだろうね?」
きたない、と思った。ラミュエルは、トウェル王の手に爪を立てた。思いっきり、肉を抉るように。それなのに、自分は非力で、ぱっと離された手は、赤い線が残っただけだった。
男が立ち上がる。繊細そうな見た目なのに、上背があって、ラミュエルより……姉より、ずっと大きくて。
怖かっただろうな、と思う。姉の遺体に駆け寄って、ラミュエルは、冷たい頭を撫でた。心の中で、謝って謝って謝って謝った。
男はそれを興味深そうに見つめていた。
「なんだ、まだ生きてるのか」
そう。まだ生きている。牙の生えた獅子は、まだ死んでない。
十年前。トウェル王は来なかった。
表向きは、「もしかしたら死んでいたのは自分だったかもしれない」という理由だったが、ラミュエルにはわかった。
あの男の狙いは、最初から姉だったのだ。ラミュエルを含めた皇族など、殺すにも値しない。
と、思っていたのに。
「僕の好きな女性の子供がね、四歳になったんだ」
どうでも良いことを、二人きり、緩衝地帯で話した。
「はあ。そんなことを言うために、私を呼んだので御座いますか?」
鎧を着込み、男の喉元に剣を突き付けながら、ラミュエルは要領を得ない話を聞いていた。既にこの時、ラミュエルは二桁の人間を殺していた。
一方トウェル王は手ぶら。一応の軍服にコートを羽織るというなめ腐った格好だ。
性格が最悪なのに容姿が良いせいで、ラミュエルの侍女たちにキャーキャー言われてるのが頭にくる。
喉元から剣を退け、しっしと剣で追い払えば、侍女たちは不満の顔をしながら散っていった。まったく緊張感がない。嘆かわしいことだ。
「せっかく口調を変えたのに、真面目さが出てしまっているよ。もっと戯けなきゃ」
「……」
「亡き姉になろうとする妹か。麗しき姉妹愛だね」
「……それで、私を呼んだわけは?」
この男に演技など無意味。ラミュエルは、剣を構え直した。
「なに、小さなお姫様に、現実でも教えてあげようかと思ってね。僕の好きな女性の子供と、三歳しか違わないお姫様に」
要は八つ当たりというわけだ。嘆かわしい。ラミュエルは半眼になった。そんなラミュエルに構わず、男はそれを口にする。
「戦争をすることが、君たちが生き残る術だよ」
「は?」
「小さなお姫様だけに教えよう。僕の国には、こんな御伽噺があってね。『獅子と太陽』。獅子が殺しても殺しても、太陽は蘇る。なぜなら、太陽は作り直されるからだ。だから、作り直される前に殺すしかない」
「謎かけですか?」
「まあそうとも言える。だが、賢い君はいずれ、その方法を知るだろう」
……嫌な記憶だ。
月明かり、ラミュエルは自室で目を覚ました。
月は好きだ。姉の髪のように煌々と輝いて、優しく包んでくれる。
太陽は駄目だ。あの男を思い出すから。
「太陽は、作り直される……」
その意味は、未だにわからない。
「非戦論者の愚か者たち?」
クレイが首を傾げると、ガウナは頷いた。
「そう。この術は、大切な人を甦らせるだけじゃない。優秀な人材を甦らせることもできるんだ」
かつ、かつ。
月明かり差し込む牢獄を、舞台のように闊歩する。白銀に輝く髪は、神聖なものであるかのように思えた。
「そう、たとえば」
藍色の瞳が、暗い昏い光を灯す。
「二百年前に死んだ、高名な武人とか、ね」




