擲った先
滅多な気は起こすものじゃない。
ケーキが美味かった。
『偵察デート大作戦』は、大きな戦果を持って幕を閉じた。
「ほら、土産」
寮の自室にて。ジルトはハルバに持ち手付きの小箱をずいっと突きつけた。
「あそこの店、持ち帰りもやってるらしいぞ。すごい美味かったからお前にも買ってきた」
「お、おう……ありがとう。なんで二個?」
「俺のおすすめとファニタのおすすめが見事に分かれたからだ。このチョコレートが俺のおすすめで、チーズがファニタのおすすめ」
「たしかに揉めてたもんな、お前ら……」
「? 知ってるのか?」
たしか、ハルバの予知に音声は含まれていないはずだが。
首を傾げるジルトに、ハルバは「うわあ、このケーキ美味そうだな! 後で食べるわ!」となぜかやけくそ気味に叫んだ。
「そ、そんなことよりジルト君、ケーキ以外の戦果はあったのか?」
「もちろん」
それが本命だ。ジルトは偵察の成果をハルバに伝えた。公園で出会った医者親子のこと、その親子が住んでいるのが『ユーフィット医院』で、おそらくそこの地下に『魔女の信徒』の本拠地があるということ。
「問題は、そのユーフィット医院だ。ファニタが言ってた。医院は地図に記載義務があるのに、書いてないのはおかしいって」
「うーん、確かに。怪しさ満点だな」
ハルバも首を捻る。
王都内務省行政局により発行されている地図。それがこの国の地図の大元だ。ジルトたちの通うセント・アルバートの教科書に載っている地図も、これを元にして作られている。
ハルバが天井を見て唸りながら言う。
「考えられるとしたら、軍事機密とか? それ関係のは載ってないっていうし」
「あー、他国に見られてもいいようにってやつか。『魔女の信徒』じゃなくて、医院それ自体がやばいってことだな」
つまり、『魔女の信徒』は後付け説が考えられるわけである。ジルトは二度目にガウナに会った時のことを思い出した。
「そういえば、あの公爵、『魔女の信徒』は四年前につけられた名前だって言ってたな。自分が教祖に接触して、あとで一掃しやすいように纏めさせたって」
結局それは嘘だったのだが。いや、あの恐ろしい魔法か魔術で殺すつもりなら、ある意味嘘とは言えないだろう。
ジルトの言葉に、ハルバは満足そうに笑った。
「じゃあ、調べる価値はあるってことだな。ユーフィット医院が、一体何の役割を担っていたのかを」
「あてがあるのか?」
「あるよ。なんたって」
ハルバは黒瞳を光らせた。
「ライケット・オリヴァーの名前と姿はわかってるからな」
坂を転がり落ちるように、ライケットの人生は転落していた。
今日もまた、暗い夜道を一人で帰る。なるべく人に顔を見られないように、黒い瞳と黒髪を見られないように、帽子を目深に被り。
灯のついていない屋敷、そのドアを開ける。
「……ただいま」
声が虚しく暗闇に吸い込まれる。妻ネリアと子供たちは、あの事件の直後に家を出て行った。ライケットは視てしまった……彼が陥れた婚約者の墓の前で、泣き喚くネリアを。
戦争による倫理観と、ダグラスの瞳は、ライケットに多くのことをもたらして、最終的に多くのものを奪って行ってしまった。
じき、ブラン・ルージュ秘書官を殺そうとした証拠も揃い、自分は逮捕されるのだろう。まったく、エリオット・ノーワンはとんでもないことをやってくれた。
「いや」
とんでもないことをしたのは自分である。戦友を殺した重みが、今更になって肩にのしかかってきた。
「先祖を笑えないな」
愚かなのは、子孫も変わっていないということだ。ライケットは苦笑して、五杯目のワインを注いだ。もうすっかりできあがってしまっている。酒と仕事だけが、彼を癒してくれていた。
あんなに嫌だった総合監察官の仕事に、未練を持ち始めている。地図を片手に王都を渡り歩く体力を使う仕事だが、何も考えなくて済む。秘書なんてクソ喰らえだ。
たぶん、明日の仕事で最後になるだろう。明後日は、アレリア監獄か、王城の地下。
ライケットはベッドに潜り込み、目を閉じた。カチ、カチ……静かな部屋に、時計が針を刻む音だけが聞こえた。ライケットを労る妻の声も、子供たちの寝息も聞こえない。妙に神経が研ぎ澄まされて、ライケットは目を開けた。
ベッドから降りて、書斎に向かう。書斎には、これまでにライケットが監査を行った場所の地図が貼られている。
今まで自分が積み上げてきた仕事の成果が、ここにあった。そこには、“正しさ”があった。あるタブーに触れないための。
『君は、“正しい”判断ができるはずだからね』
ライケットよりも若く、聡明だった王の言葉が蘇る。総合監察官は、実は据え置きだ。現宰相が任命するよりも前に、ライケットはトウェル王からこの地位を賜るはずだった。
「……」
地図には、いくつものばつ印が書いてある。「済」の意味と、もう一つ「調査してはならない」の意味のばつ印だ。
四年間曲がりなりにも仕事をしてきたライケットには、その区別がつく。
「七つ傘通り、南、四丁目、三番地……」
一際大きくばつの描かれたそこは、「調査してはならない」の筆頭である。
「うん、そこがいい。そこにしよう……」
ライケットは、虚ろな目で呟いた。くだらない地位を手に入れるための条件。立ち入り禁止の場所。
これまでライケットがやってきたことに、自分で非をつきつけるのなら、そこがうってつけだ。作られた“正しさ”を投げ捨てるのには。
ーー翌日。
跳ね橋が上がり、船が通る。並々と水をたたえた運河は、昼の陽光を反射して、きらきらと光っていた。とても、アレリア監獄のある地区とは思えない。
その運河の岸辺に、人垣ができている。船が通った後の水面に、赤い何かが尾を引くように漂っていた。新しくやってきた男は、元からいた男に尋ねた。
「一体どうしたんだ?」
「あれだよ」
簡潔な言葉で、男は水面を指さした。赤は濃くなっている。しばらく見ていると、ぷかりと膨張した腹が浮かび出た。
「死体だよ、運河に死体が投げ込まれてたんだ」




