二百年
クライスが珍しく、本当に珍しく小さく息を呑むのが聞こえた。
「どしたんです?」
「視ましたか?」
「はあ?」
ハルバが二重の意味でわからないという風に怪訝な顔をすると、彼はいつもの無表情に戻った。
「いえ、それはありませんね」
クライスは、ハルバの中でのルールを把握しているようにそう言った。
そう、ハルバは今回、最低限の予知しかしていない。ジルトとファニタが、半日後、無事に学園へと帰っている。そんな予知しか。偵察はおまけ、メインはデートである。
そして、ハルバの中ではお互いを意識するのは“できれば”の範疇に入っている。それは、植樹祭当日にジルトを説得した時と変わっていない。
だから、『魔女の信徒』の本拠地以上の情報を得られるとは思っていなかったわけだが、果たしてクライスが異常な反応を見せている。
ジルトとファニタが、公園で、医者とその息子に会った後のことである。
ハルバとしては「余計なことを」と囃し立てた息子の方に拳を握っていたのだが、もしかしたら、“当たり”を引いたのかもしれない。
「あの親子、なんかあるんですか?」
そう訊けば、
「……私から言えることは、ただ一つです」
クライスが、真剣な顔をしてハルバに言った。
「ジルト様を、あの男に関わらせないでください」
地図には、その建物の名前は書かれていなかった。
王都内務省行政局により発行されている地図は、登録されている店舗や公的機関は書いてあるが、基本的に一般住宅の情報はない。ハルバとファニタが特定した住所は空白、一般住宅かと思いきや、そうでもないらしい。
いやにゆっくり歩きながら、ファニタとジルトは表向き目的の建物を目指す。左手には本命の、白くて小さな建物が見えた。
「あ、もしかしてこれ、クレイの家か?」
立ち止まり、ジルトがそれを指差して言う。ファニタも「そうだと思うわ」と笑いながら、小さく出ている看板を確認。『ユーフィット医院』と書いてある。
医院なら、地図にも書いてあるはずだ。実際、この近くの医院は地図に記載されている。大火後、病院や診療所は重要視され、もしものことがあった場合に駆け込むことができるように記載の義務があったはず。それなのに、この『ユーフィット医院』は記載されていない。
ーーそれが、『魔女の信徒』が地下にある理由と関係あるのかしら。
いずれにせよ、一筋縄ではいかなさそうだ。記載義務を守っていないということは、何か後ろめたいことがあるということだろうから。
「あ、ほら、あそこのケーキ、屋……」
道の突き当たりにあるケーキ屋を指差していたジルトもまた、何かを感じたらしく、言いかけていた言葉を止めた。ばっと上を見る。二階建ての建物は、一階が医院、二階が住宅になっているようだが……。
「どうしたの?」
ファニタもつられて上を見る。二階の窓が見えた。そこには誰もいない。ジルトはすでに歩き出していた。ファニタもまた歩き出す。
「見られてたな」
早足で歩きながら、ジルトが険しい表情で言う。誰にかは言わなくてもわかる。あの、クレイの父親にだろう。
「なんとなく見てたのかも」
「そうかもしれない。気にしすぎかもな」
次の瞬間には、ジルトは肩の力を抜いて笑っていた。
「すまん、偏見があるってことはバレたら駄目だった」
小さく呟いて、今度こそ先を指さす。
「そんじゃ、美味いケーキでも食って帰るか」
「そうね!」
これから考えなければならないことはたくさんあるが、まずは糖分補給だ。ファニタは力強く頷いた。
窓際から離れたレイデス・ユーフィットは、眼鏡を押し上げて、「ふむ」と頷いた。
「あれは、あの時の少年だね」
二回とも、彼は気絶していたから、灰色の髪はともかく、瞳の色を見ることはかなわなかった。クライスも無言で地下室に降りて行ってしまうし、教祖は教祖で口止めされているし。
教えてくれないわけだ。あの少年の瞳の色は、英雄アルバート・ドーガーと同じ瞳の色なのだから。
「ガウナ君の遊び相手か。関わるなと言われてるけど、あちらの方が来てくれた形になるのかな?」
研究対象である青年は「目の上のたんこぶだよ」と言いながらも楽しそうに笑っていた。なかなかに関係は良好なようである。
「魔女と、英雄か……」
ーーこれは、魔女様との約束を果たす時が来たのかもしれないな。
血が騒ぐ。“二百年説”の実証。魂の定着と回帰。人間の“運命”を意図的に作り出す方法ーー愛する人の魂と、再び巡り逢い、やり直しをする魔術。
姫と魔法使いの編み出した儀式は、“殺すこと”が条件だ。対して魔女が選んだのは、“殺される”こと。そして、あの男が選んだのはーー。
不快な男のことを思い出しそうになり、レイデスは首を振った。
「父ちゃん、飯できたぞ」
妻亡き後、たくましく育ったクレイがエプロン姿で駆けてきた。やんちゃだが、家事が不得意なレイデスに代わって食事を作ってくれ、洗濯をしてくれ、掃除をしてくれと忙しく動き回ってくれている。レイデス一人だと、白衣はもうとっくに使い物にならなくなっている。
「そんで、実験はいつ?」
クレイの作ったパスタを食べながら、テーブルで向かい合って早めの夕食を摂る。
「まだまだ先だ。だけど、良い資料は貰っているから、当分退屈しそうにない」
研究対象である彼にもらった“死因”の資料。直近のエリオット・ノーワンは、馬車の中で“殺された”。今はなきノーワン家の出身で身元が洗いづらいが、二百年の条件は満たしている。
あとは、彼が誰の生まれ変わりであるかを照らし合わせるだけ。仮説を立てるとするならば、そこそこの予知使いのはず。
「楽しそうだね。母ちゃんが死んだ時以来だ」
「お前は悲しかったか?」
「悲しかったよ。でも、また蘇るんでしょ?」
「そうだ。“病死”は二百年のうちに入るからな」
最愛の妻の死は、慎重に取り扱わねばならなかった。レイデスは家族を愛していたし、愛している。
「今度は、母さんは丈夫な体を持って生まれてくるんだ。我々はまた家族になれるんだよ」
「そうしたら、たくさんいろんなところに出かけられるね!」
「そうだ。どこにだって行ける……海も、山も、連れてってやれなかった分を……」
そのためには、魔女の願いを叶えるのが近道なのだ。大火や災害では駄目だ。何もかもがなくなって、個人のことは塵芥の扱いになってしまうから。
『一つところに閉じ込めて、信者たちを秘密裏に殺すんだ。そこでまず“魔術で殺された”という条件がつく。信者たちの遺体は綺麗に残るから、解剖し放題だし、そこそこ有名な家の人もいるから二百年前まで遡ることはできるかもね。まあ、何が言いたいかっていうとーー』
『私が屍を積み上げることに、また一つ、正当性が与えられるってわけ』




