跫
リーちゃんの選択
いつものようにジルト(今日は隣に見知った少女がいる)を遠くから監視し、尾行していれば、不審者を見つけた。
夏も近いというのに分厚い外套を纏い、頭には庇付きの帽子、顔には大きなサングラスを掛けている。首に提げているのは、意味があるのかないのかわからない双眼鏡。クライスは前方にいる彼に音もなく近づき、話しかけた。
「何をされているのですか?」
「うわっびっくりした」
至近距離で話しかけられた彼は尻餅をつき、拍子にあまり似合わないサングラスがずれて黒瞳が現れた。不審者の正体は、思った通り、今世間を騒がせているダグラス本家の次男、ハルバ・ダグラスである。
彼はさっとサングラスを直し、周囲と前方を念入りに確認。ほっと息を吐く。
「尾行ですよ尾行、あの鈍感コンビが無事にデートを終えられるかどうかを見てるんです」
ダグラス一族が、これまでの不自然な優遇の理由を暴かれ、予知能力が嫌煙される事態になっているというのに、この少年は何をしているのだろうか。
「デート、ですか」
クライスは、前方を歩く少年と少女を見た。
ジルトとファニタは、通りの名で盛り上がっているようだ。「“七つ傘通り”の由来は……」「“落下する花嫁通り”からはミステリの匂いがする」云々。会話内容はハルバにも聞こえているらしい。頭を抱えている。
「もっと恋人らしい会話をしろよ!」
「あの二人らしいのでは」
比較的友好的な会話である。恋人らしいかは無しにして。
「まあ、恋人も年がら年中甘々な会話してるわけじゃないですし……」
ハルバが自分を納得させるように呟く。そうこうしているうちに、二人は“落下する魚通り”へと入っていく。
この王都には“落下する”通りがやたらと多い。それはなぜかといえば。
「天国から人や動物が降ってくる。そんなこと、あると思います?」
機能しているのかしてないのかわからない双眼鏡を構えながら、ハルバがぽつりと言う。父を亡くしたばかりの少年は、少しだけ寂しそうな顔をしていた。
「通りの名前になっている以上、無いとは限りません」
クライスが答えると、ハルバは双眼鏡を下ろしてこちらを振り向いた。非常にわかりにくかったが、サングラスの向こうで目を瞬く。
「意外だ、そんなこと言うんですね」
「“落下する猫通り”は、死んだ愛猫が空から降ってきた伝説からつけられたと聞いています。ソマリエは、一番天国に近い場所とも」
「天国に近い場所、か。それなら」
地獄はどこにあるんでしょうね。魔法使いの末裔の少年は呟いた。
簡単なことだ、クライスは思った。地獄もまた、ここから近いところにある。いや、
「“落下する”という言い方からして、実はここが地獄なのではないかという説があります。せっかく天国に行けた愛猫が、また地獄に戻ってきてしまった、そんな嘆きからつけられた名前だという異説もあります」
それと共に、亡き恩師の冗談めかした言葉を思い出す。
“あの男のお膝元である王都こそが地獄なんだ”。
「おお、それは良い説ですね」
ハルバは笑って、双眼鏡を構え直した。
全くもって笑えない。そんな状況にいるのが、ガウナとリルウである。
「若輩者ですが、精一杯務めさせていただきますので、よろしくお願いいたします」
故カルキ・ダグラス外務大臣の後釜になり、にこやかに挨拶するレオンに、少ない拍手が向けられる。とても大きく拍手をしてくれるのは善意の塊カイリ・マルクス財務大臣。拍手をしていないのは、
「ふん、本当に若輩者だ」
「スピレード元内務大臣の“教え子”じゃないのかね」
「これ以上中央に軟派な男が増えるのは困る」
等々、不満たらたらの他数名。そもそも君たちが不甲斐ないせいでレオン君を選ばざるを得ないのだけれどと恨みごとも言いたくなるが、そんなことを言ったら“いる方がマシ”な人材さえいなくなってしまう。
悲しいかな、どんなに魔法や魔術を使えても、人間社会で生きていく以上は媚びを売ることが大事なのである。
しかし、そんな媚びすら通じないのが約一名。
「火中の栗を拾うにしては、誰にも利益がないように感じますが、宰相殿はそんなに政権の人材不足を露呈させたいのですかな?」
ーー出たな。
心の中で舌打ちを五回ほどする。
ガウナの天敵であるユリズ・クリードは、案の定皮肉たっぷりにガウナに問うてきた。
その太眉を焼いてやりたいとガウナはいつも思っている。いつもいつもいつも、何の恨みがあるのかわからないが、ガウナのやることなすことにケチをつけるのはこの男。
スピレード元内務大臣を逮捕する時に衛兵を動かすことも、その後継に“教え子”を選んだ時も難癖つけてきた。もはや難癖をつけることに生き甲斐を見出しているに違いない。さてどう返答したものか。いつものように逡巡する。
「実際人材不足なのだから仕方ないわ」
リルウがどストレートにコメント。その場が固まる。
ユリズが食いついてくる。
「おやおや、前回欠席した女王様がいらっしゃる。あまりに存在感がないので、いらっしゃらないのかと思いましたよ」
「貴方の正面にいたのだけれど? 内務副大臣さんは、視界がお留守なのかしら」
はっ、と馬鹿にしたように笑うリルウ。その紅い瞳は自信に満ちている。その表情を見て、むっとするユリズ。
「どんな気の変わりようでしょうかな? 逃げ続けてきたお飾り女王様が、今更腰を上げて」
「手放したくない人材が、ここにいるからよ」
リルウの視線を辿れば、そこにはレオンがいた。
「ダグラスだからとか、若輩者だからとかで彼を逃がせば、我が政権は、いえ、我が国は大きな損害を被ります」
レオンは「ありがとうございます、女王陛下」とあくまでも受け止める姿勢。ユリズは片眉を上げる。
「過大評価では? 実績もない彼に全てを任せるのは……」
「ユリズ・クリード内務副大臣」
静かにリルウが言う。
「これは、貴方のためでもあるのよ」
リルウの口元は緩やかに弧を描いていた。
座っているのは普通の椅子だが、ユリズには違うように見えたらしい。だらりと座っていたのが、背筋をまっすぐにしてリルウを見た。その顔は蒼白。まるでリルウの中に誰かを見ているような感じだ。実際、ガウナも彼女の中に彼を見ていた。故郷の海で、さんざん暴虐を尽くした愉快犯である彼。
「仕事、増やされたくないでしょう?」
後ろの席に座るブラン・ルージュ秘書官が、なぜか感心したような顔をする。あんなに噛み付いていたユリズも、なぜか口をぎゅっと噤んでいた。
「さて、レオン・ダグラス外務大臣。私たちは、手始めに何をするべきかしら?」
しんとする会議室。芝居がかったリルウの言葉に、レオンもまた、彼にしては大仰な身振りで答える。
「そうですね、帝国との戦争などいかがでしょうか?」
「……は?」
ユリズの間抜けな声が聞こえた。それとなく匂わせるはずが、一気に駒を進められた。ガウナはリルウのことを半眼で見た。リルウはガウナのことなど意に介さず、支配者の笑みで高らかに言う。
「太陽は獅子を喰らい返します。天上に座す我々が、地上で這いつくばる獅子ごときに負けるわけがない」




