ふくしゅー
ガウナは、ジルトの言い方に気を悪くしたようだ。ずいっ、と写真を見せつけるように前に出す。
「気持ち悪くないよ。とても美少女だと思わないかい?」
「その子じゃなくて、あんたがその写真を持ってることに気持ち悪いって言ったんですよ」
きょとん。ガウナは目を瞬いた。
「なんで?」
「…………なんとなく?」
正解は、自分の女装した写真だからであるが、それを口することは憚られる。なぜこの場で写真がすぐに出てくるのか。あまり考えたくはない。
「肌身離さず持っているんだ。そうしたら、彼女に会える気がして」
鳥肌が立った。
「あと、彼女が履いていた靴も大切に保存しているよ」
「うわぁ……」
「クライスが持ってきてくれたんだ」
思わずクライスを睨みそうになったが、持ち堪える。ジルトはさりげなくセブンスの服の裾を掴んだ。
「……まあ、こいつはずっと暗闇に閉じ込められてたし、魔女なりの愛し方しか知らないんだろうから、許してやれ」
セブンスも死んだ魚のような目をしていた。そんな反応を見たガウナは、ちらりとリルウの方を見た。
「ねえリルウ、君ならわかるだろう? もしジルト君の持ち物が手に入ったらどうする? たとえば靴とか」
「そんなの、即宝物庫行きよ」
「ほら」
なにが「ほら」だ。得意げな顔をするガウナと、何かに敗北したように拳を床に叩きつけるリルウ。
「リーちゃん、靴は保存するなよ、絶対だぞ」
「わかりました。お兄様の綺麗な髪を一房ください」
笑顔で言うリルウ。ジルトは聞こえなかったふりをした。
「毎日頬擦りします」
「……髪か」
ガウナがぼそりと呟いた。
「やっぱり、学園のことを探らせるべきかな」
なぜだか、深刻な響きのように聞こえた。ジルトが見ていれば、ガウナはおどけたように言う。
「彼女の髪はどんな感触なんだろうね!」
「……付き合いきれねえ」
セブンスがうんざりしたように呟く。
「おい、レオン君。とっとと墓場に移動しようぜ」
「そうですね。アウグスト宰相に釘も刺せたことですし……あちらの方も、もうすぐ終わることでしょうし」
なぜか寂しそうに、レオンは言った。
この跳ね橋を、無事に渡るとは思わなかった。
予定では、橋の途中で跳ね橋が上がり、馬車もろとも運河の中。行方をくらまし、英雄の誕生を見るーーそのはずだったのに。
「人生、上手くいかないな」
なにも、今日だけのことじゃない。先祖の頃から、ずっとずっと、ダグラスは間違ってばかりだ。せっかく予知能力を手に入れても、救いたかった英雄ではなく、自分しか救えないときた。
視えるのは真っ暗な闇、目の前には、亡霊。殺したはずの、ソフィア・アルネルト。彼女は、エリオットのことを苦笑しながら見つめていた。
「三日後は、虚勢張りすぎだよ。ダグラスが視ることができるのはせいぜい半日後だって、彼が教えてくれたよ?」
“彼”というのはわからない。だが、その笑みは本家の誰かを思い出させる。
「半日後じゃ、わかりにくいだろう。あの場にいる人々を納得させるには、ブラン・ルージュ秘書官の殺害計画を提示する方が良いと思った」
「三十四ヶ所は出鱈目?」
「嘘も方便だ。だが、グランテ領主がライケットと結託しているのも、ブラン・ルージュ秘書官が呟いた言葉も真実だ。ラグル商会も、調べれば真実だとわかる」
「よくそこまで調べたね……警邏官の仕事も、カルキ様の裁判の準備もしていたんでしょ?」
ソフィアの頬が引きつっている。エリオットは、ソフィアの方こそこちらの動向をわかっていることには言及せず、真顔で答えた。
「そんなもの、視ればわかる」
「でも、私たちが視れるのって、せいぜい一場面くらいじゃない? 偶然秘書官の呟きとライケットの動向を拾えるとは思わないんだけど」
ソフィアの言っていることがわからない。そんなもの、全部視ればいいだけじゃないか。
だから、エリオットはそう答えた。
「片っ端から視ていくんだよ」
「まさかの物量……疲れるよそれ」
たしかに、謎の頭痛や眩暈がしたが、そんなもの、スピレードの元にいた時の訓練に比べれば遥かに容易い。エリオットは自らを落ちこぼれと認識しているので、物量で攻めるのは当然のことだ。
「情報は多いに限る。説得力が出るからな。ましてや、今回のように推理擬きをする場合、抜けがあると足元を掬われやすい」
エリオットは、そこで初めて苦笑した。「今回のようにな」
完全な敗北。教会のことが筒抜けということは、予知の上でソフィアがエリオットに勝っていたということ。自分が能無しと揶揄した人間に、してやられるとは。
やはり人間、欲張るものではない。まったく、先祖の頃から学習していない。
そして、エリオットには、先程から視えている暗闇の意味がわかっていた。
「魔法使いは自殺した。全て上手くいくわけないと悟ったから。予知能力なんて、自分を生かすだけの罰に過ぎない」
ソフィアが取り出したのは、鋭く光る白刃。
「同僚の人がね、“ちゃんと罪を償って、出てきてください”だって。良い人たちだね」
「“元”同僚だ」
「素直じゃないね。でも、私はそうは思えない」
ソフィアの瞳に闇が宿る。良い表情をするようになった。少なくとも、阿呆ヅラ下げてエリオットを見送るよりはよっぽどいい。同時に痛ましさを感じる。母親の元にいれば良かったものを。
「馬車という密室、いるはずのないソフィア・アルネルト、か」
「好条件でしょ?」
「お前に殺せるのか? 非力で弱い女のお前に」
背中を押してやる。ソフィアの瞳に意思が宿る。
「しゃちょーと、あと、あの女の分。ふくしゅーさせてもらいます」
綺麗に笑った従姉妹は。
じんわりと、痛みが広がり、エリオットの着ている服に赤が滲んでいく。
「首を掻き切らないのか?」
「……伝えたいことがあったから」
エリオットの肩に顎を乗せ、ソフィアは呟く。体温が、こちらに伝わってくる距離。
「……忘れてて、ごめんなさい。あの日、助けてあげられなくて、ごめんなさいっ……レオン様のことを思い出して、貴方のことを思い出したの……あの日、馬車に詰められていく貴方を。何者でもなくなった貴方を」
声は震え、唯一視界の端に見える肩さえ震えていた。やっぱり、この女は弱者だ。でも、エリオットとは違う弱者。
「……」
ここにきてようやく、あの男の気持ちがわかった気がする。
「性分じゃないんだがな」
だが、どん詰まりの人生を変えるためには、そうしなければならないのだろう。エリオットは、小さく小さく、ため息を吐いた。
「お前には、まだ復讐しなければならない者がいるだろう。だから、こんなところで立ち止まるな」
これは呪いなんかじゃない。祝福だ。
「ダグラスとして、魔女を討て」
茶色い頭に手を置いて、横に往復させる。エリオットは横目で外を見た。
「そろそろ監獄に着くぞ。逃げる準備をしておけ」
「……うん」
「それから」
「うん」
「名前、思い出してくれてありがとうな」
「……ずっと、覚えてるから。私が殺した名前として」
「お前よりジルト様に覚えていてほしいんだが」
「冗談上手いね」
冗談じゃないのだが、まあ、良いか。エリオットはソフィアの頭を撫でるのをやめた。ぱたりと座椅子に手が落ちた。
黒瞳を光らせる。少し驚いて、微笑む。
「……泣くなよ」




